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談話室(第28話~)
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「48昭和百年戦後八十年に思う」について
 S.Sさん(男 60代 海外在住)R7.10月

 自民党も左から右へ、参政党の躍進等、物価に苦しむ庶民の怒りもありやや右に振れてきていると思います。世界中、ドイツを含めてそうですが。
 資源、食糧を持つ大陸国家は本当に強いと思います。平和が一番ですが、日本は巻き込まれずに、大国同士で戦い消耗してもらうのがいいと思います。例、朝鮮戦争、ベトナム代理戦争。
 今回、金光教のお話は全くなかったですが。。。

 教会長より

 世界の国々の「右傾化」の背景には、移民問題など、グローバリズムがもたらすマイナス面が強く意識され始めたからでしょう。

 今回金光教色を前面に出すことを控えたのは、より多くの人と問題意識を共有したいため、最初から友人知人への文書の配布範囲を拡げる意図もあったからです。
 そして、金光教の一信奉者として国家の繁栄と安泰を祈るということの背後でも、過去にどれほど様々な思いを積み重ねてきたか、そして今どれほど強い危機感を抱いているかということを伝えたかったのです。

 朝鮮戦争やベトナム戦争の頃と違って、アメリカが世界の警察であろうとする意志も能力も失いかけている今日、中国の台湾侵攻でも始まれば、日本は巻き込まれずに済むどころか、戦場となり、輸送路も絶たれてたちまち飢えや物不足に苦しめられることになりそうです。
 どうすればそれが阻止できるのか、ただ祈るしかないわけですが、徹底した無知無力の自覚に立ちながらも、自分一人の祈りで戦争を食い止めてみせるのだというほどの意気込みで、無力感を捨てて祈るのが我が道の信心なんだと考えています。

 再び教会長より
 実弟奥村正利から長文の感想が届きましたので、ひとまず全文掲載しておきます。今回から実名にて紹介します。ついでに略歴も末尾で自己申告させました。
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 奥村正利さん(教会長の弟 84歳 千葉県市原市在住)R7.10.7

 明治は維新後45年、昭和も終戦後44年続いた。偶然乍ら、思えば長かった。

 自虐史観は、我が経験では、幸いにして、小学校では歴史教育は殆どされず、地理に至っては、購入させられた地理書を学校へ持参したことさえ無い。教師に教える自信が無かったと思われる。
 中学校では、歴史を頑固な袴姿の老婦人が担当して、旧日本を賛美していた。
 結局歴史教育は、兄や姉の戦時教科書を紐解いて自学自習、中学ではすっかり国粋少年になっていた。英語授業なんて国賊だと決めつけ、公言し、若い気弱な教師を無視して、授業中は一番前の席で背を向けておしゃべりしていた。お陰で実力テストでは、他教科がトップクラスでも平均以下の英語に足を引っ張られ、総合順位は常にBクラスであった。この露骨な嫌がらせとその結果を、両親も教師達も、誰も何も咎めなかった。表向きと違い、内心では共感していたのではなかろうか。
 大学入試に至る英語には苦労した。予備校への電車通学中にバルザックの「ゴリオ爺さん」の英訳版を読み切って、やっと克服できた。考えなくても英作文がスラスラと!しかし発音やヒヤリングは未だに不得手である。
 1960年代、大学は自虐史観の坩堝であった。戦後教育の優等生達である。個人的には素晴らしい人材達、喧嘩することはない。殻をかぶって、共産党の民青とも反日共系の全学連闘士達とも仲良くやった。数年後なら二股掛けでリンチに遭ったかもしれないが、半世紀以上、未だに交流は続いている。政経分離である。
 下宿先は留学生が半分を占める43室のアパートであった。紛争も多かった。留学生達は断固として「自己の非」を認めない。物証が有ってもである。後年ロシア大使は、ウクライナ侵攻が始まっているのに「我が国は決して他国を侵攻しない」と主張しているのを見て、さもありなん!しかしその留学生達、紛争解決手段で「ポリス」に言及した途端、サーッと部屋へ消えていった。権力には弱いのである。国際関係では力が物を言う。彼等に比べ、日本人の「悪(ワル)」なんて可愛いもの、話せば解る!

 日本人にとって政治・宗教は深刻なものでは無くなっているのだろうか?神社仏閣では礼をし、皇室を敬愛し、しかし日常は忘れている。クリスマスを祝い、教会で結婚式を挙げる。そんな日本人を私は愛してやまないのである。
 日本人とは何か!「日本語を話し(思考方法が同じになる?)、皇室や伊勢神宮を敬愛するなら誰でも日本人だ」と言い切る学生がいた。年齢差50歳ながら感心した。他方、一神教徒の戒律は迷惑である。上記の学生宿では、タオルで前を隠すイスラム教徒に、「共同風呂では衛生上裸で入れ」と、彼等の戒律を曲げさせた。土葬も禁止させるべきである。菜食主義者も意味不明で大迷惑!植物も我々とDNAを多く共有する生物である。智恵もある、会話もできる。石でも齧れ!
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 司馬遼太郎は日本人を目覚めさせてくれた。しかし、対ソ戦では本人も騙された。ソ連の資料が公開されて判ったのは、あのノモンハン事変では、あれだけ圧倒的な物量差が有りながら、ソ連軍は日本軍より損害が大きく、スターリンを絶句させたと言われる。戦後、スターリンと毛沢東が日本軍国主義復活を大袈裟に恐れる理由を、子供心に分からなかったが、納得である。
 中国戦線は「日本軍は点と線だけ」と主張されていたが、その「点を占拠される」事がどんなに大変だったか、中国人作家が百家争鳴の時の作品で述べていた。その作家は後の反右派闘争で消されたが、中国は日本軍を点から追い出せなかった。勝てなかったのである。終戦で引き揚げる日本軍の途中武装解除もできなかった。抗日戦勝利なんておこがましいのである。

 日露戦争での乃木希典の評価:ロシア側では、旅順の敗北原因として、11インチ砲とトンネル掘り作戦を高く評価しており、攻撃側の機関銃による屍山血河は、日本もロシアも同じとしている。この突撃攻撃法はその後も踏襲され、各国語に翻訳された櫻井中佐の「肉弾」を、ドイツ皇帝ウィルヘルム2世は全将校に配布し、第一次大戦初頭のベルギー防御線突破では、屍体の山が堤を成すのをためらわなかった。
 北一輝は「あれだけ兵を殺しながら、兵から許された唯一の将軍」と評している。

 日本人とユダヤ人:28歳の時に読んで衝撃を受けた。「日本人は安全と水をタダと思っている」等々の比較文明論もさりながら、書中の日本側古典を殆ど読んでいなかった。一念発起して平家物語・古事記に始まり、吾妻鑑・・甲陽軍鑑・・日本外史・・等々、片っ端から読み漁った。20年を要した。作者のイザヤ・ベンダサン=山本七平の空気論では、「日本における多数決は、議場と飲み屋の二重方式で、両者を合わせた総計の多数決が最も正しい多数決となる」とか「ジュッと熱く感じない限り理解しない人々には、如何に論証しても耳を傾けさせることはできない」も実感である。
 「平和」「平和」と叫んでいれば平和が保てるという思考は、お経で蒙古襲来を防ぐようなものである。「命は地球よりも重い」なんて叫ぶ輩もいる。呆れたものだ。社会あっての人民、地球あっての命である。
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 焚書:GHQが「日本人に読ませたくない本」とした中にあるか否かは知らないが、「石原莞爾」に触れたことが有る。僅か万余の軍隊で全満州を掌握するなど、常人の技ではない。余程の政治的働きをした筈、しかし掴むことはできなかった。石原なら対米戦にどんな戦略で臨んだかも、推察できなかった。「新兵器(原爆?)開発に先に成功した方が勝者」ということだけ。当時大慶油田に気付けなかった不運は決定的だが、小生なら、レーダーと潜水艦に国力の大半をそそぐのみ。
 日露戦争では、発明されたばかりの無線電信を、あの遅れた貧乏国が世界に先駆けて実用化し、全艦船への装備に成功しことが、ロシア艦隊の発見と報告につながり、日本海海戦の勝利につながった。一方今大戦では、レーダーは東北大学で発明されたのに、採用せず、後れを取って一方的に叩かれた。対等休戦に持ち込むには、太平洋と言う長大な輸送路を遮って、物量差と均衡させるしかない!それでも新兵器(原爆?)の前には潔く降伏しよう。優秀な軍人官僚に過ぎない東条英機には、沸騰する強気論を調整するのみ、対外駆け引きの決断は無理というものである。
 東条はエースを集めて調査機関を作ったは良いが、その調査報告「長期戦になるとドイツはソ連に勝てない、日本はアメリカに勝てない」を、世を混乱させるとして握り潰した。目先の政治的配慮が優先したのであろう。
 開戦直後の嚇嚇たる武勲は帝国陸海軍の面目躍如であるが、ミッドウェー敗戦は、旅順での「保有主力艦6隻のうち2隻を、示威航行中に機雷で撃沈される」という大失態に似たようなもので、不利な態勢が少し早く来たと言うに過ぎない。物量差との均衡をどう築くかが肝要であった。同じ15万tなら、大和・武蔵より「潜水艦100隻で通商破壊」がより適切であったと考えられるのである。

 補足:終戦に際し、本土決戦派も早期終戦派も、共にソ連の誠意頼みだったことは驚きである。
 ソ連が日ソ不可侵条約を守る事を前提に、本土決戦派は満州の精鋭をことごとく南方へ、多くを沈没や飢餓に斃れて無駄に喪ったが、後背地の安全は確保されているとして、本土決戦で一泡吹かせて休戦へ!一方終戦派は何とかソ連の仲介で休戦交渉をしたいと、主戦派のテロに怯えつつ対ソ交渉に持ち込んだは良いが、1ヶ月も返答をのらりくらりされた挙句に、突き付けられたのが宣戦布告、東郷外相は腰を抜かさんばかりに驚いたのだろうが、自分の不明を恥じるだけであろう。
 それにしても杉原千畝のグループが、ソ連参戦と言うヤルタ会談の内容を入手し、外務省に送りながら、何処かで握り潰された。主戦派にも終戦派にも都合の悪い情報であったと考えられる。

 結語:日本の独立を守るには、半世紀以前なら、無数のミサイルを設置して、攻めてくる艦船・航空機を片っ端から沈めればよい。それでもだめなら、例えば核攻撃してくるなら、地球を亡ぼすコバルト原爆をセットして、地球毎一緒に亡ぼせばよいと考えていた。
 2008年だったか、尖閣を巡り、日中衝突が危惧されたとき、中国では海保への志願者が激減したのに反し、日本の海上保安庁には万余の志願者が殺到した。筆者が当時働いていた大学研究室の4年生も、皆が引き留めるのを振り切って、大学を中退して志願して行った。「日本人は義で動く、朝鮮人は情で動く、中国人は利で動く」危険と思えばサッと散る中国人、立ち向かう日本人、本質は変わっていない。
 今は無数のドローンだけでなく、宇宙からの攻撃、何よりウィルスを含めた情報戦、中国人にとって個人的に危険が及ばない戦い方ができる。しかし最後は肉弾戦、多様な対策と決意が必要と考えられる。これをだれに託すか、高市新首相に期待したいところだ!

 奧村正利略歴

 京都大学理学部化学科卒業後日曹化工(株)に入社、その後合併に伴い日本曹達(株)へ。その間生活用品(ソックタッチ、ホカロン・・等々)の開発を担当、1982~1990年、ファインセラミックスブームに乗って、焼結困難な炭化ケイ素粉末から、有機ケイ素を利用して炭化ケイ素成型体を作成する研究を担当し、世界で初めてその量産化に成功した。12年の空白を経て、定年退職後、大阪大学産業科学研究所、続いて長岡技術科学大学で計6年半、有機ケイ素単体からの高純度炭化ケイ素成型体作成研究に没頭し、マイクロチューブやシート作成に成功した。目標は高純度炭化ケイ素成型体の任意形状作成である。
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「47『皇室は祈りでありたい』とは」について
 S.Sさん(男 60代 海外在住)R.7.4月
 桜井教会の周りは天皇家の古墳があるんですね。流石歴史のある奈良県。外国人観光客が押し寄せるのも至極当然。笑い。

 以下思ったことです。

 金光様は政治に関しては争わない姿勢が基本なので、グローバリズム、反グローバリズムどちらにも与さなかったと思います。
 金光様は実生活で苦労されたのと性格もあり、左にも右にも行かず道の真ん中を歩いたと思われます。
 教典に、天照大神も元は人、その続きの天子様も人じゃのうという箇所がありますが、あの天皇制の時代によく思い切って言われたと思っています。迂闊に言うと大本教のように弾圧の対象になった可能性があります。

 教会長より
  「天子様も人」発言があったとしても、教祖様の皇室観は極めて穏健なものであっただろうことは容易に想像がつきます。ところがその後を受けた人たちが、旧教典にあの神誡第1条を掲げて、「信忠孝一本の道」として教団としての認可をとり、布教をはじめてしまったことが、戦後は逆に大きな足枷となって、普遍的な世界宗教を目指す布教者たちを悩ませることになりました。
 しかしそれとは別に、この日本の国柄をもっともっと肯定的に受け止めておきたいという思いがあって今回の話になりました。
 私自身にも偏りを避けたいという気持ちは充分あるつもりですが、今回の主旨はグローバリズムか反グローバリズムかということではなく、今の国民が意図的に刷り込まれた皇室観のままでは、或は皇室愛までもが意図的に奪われた状態のままでは、国が滅びかねないという強い危機感なのです。国が滅びてしまったのでは、グローバリズムもナショナリズムもあったものではないのですから。


 M.O2さん(男 教会長の弟 84歳) R7.4.月

 大学時代の親友に、「自分が生きているうちに、日本が軍国主義化するのは見たくない」と反戦平和運動に没頭する男がいる。個人的には非常に優秀で誠実で心優しい男である。その彼に「中国軍高官が『40年後には日本と言う国は無くなっている』と発言していたよ。これは彼等の本音であろう」と告げたところ、「我々が中国発展のために、誠心誠意頑張ったのは何だったのだろう」と嘆いていた。15年前の話である。
 彼は現役時代、大手の金属工業で技術開発を主導し、中国にも積極的に技術教示してきたのであろう。彼とはロシアによるウクライナ侵攻を語らったことはないが、未だに反戦運動は続けている模様である。戦後教育の染み付いた老世代をどうするか、先日ある老婦人と政治家の信頼性を語らった時、「この荒波を乗り切る舵取りができるんなら、女癖が悪い男なら、それは奥さんだけが我慢すればいいんだ!」。成程!頼もしい!

 自主防衛・教育・研究投資を拡大するには、消費税増税と、社会福祉・医療の抑制は、国民の覚悟である。財政赤字に関する見解は過去(2022/10/16)に述べたので割愛するが、赤字国債に頼るのはもっての外、「紙幣は刷り得」なんて許されない。

 最新DNA研究によると、縄文人の系統は、ホモサピエンスの先遣隊として東南アジアから日本に分布したが、後から来た民族に殆んど滅ぼされ、日本に到達した集団だけが、氷河期終了後の孤島化で生き延び、1万2千年間縄文人として繁栄した。3千年前から徐々に稲作民族が流入してきたが、初期は稲作技術が拙く、豊かな採取生活に飲み込まれて消滅し、その後更に高度な稲作技術を持つ民族が継続的に流入し、原住民に同化しつつ稲作も定着することで、弥生人が形成されていったと考えられる。しかし限られた水田適地や、水利権、長期保存可能な作物が争奪の対象になって、ここに争乱が始まったとも考えられる。
 何れにしても、日本人は、多くの外来種を受容して、縄文文化を基調に、独自の文化を創り出して来たと言える。今後も受容同化するには、宗教は何とかしなければ!一神教の弊害は何とかしなければ、体力が低下した時に暴れ出す、悪性ウィルスである。
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 教会長より

 日本人の大多数は、まだGHQの洗脳工作から抜け出せていない。そのくせ自分の頭でちゃんと考えていると思い込んでいる。当然の前提として受け入れている考えがデタラメなものだから、何を考えてもピント外れになる。反戦平和主義もその典型である。

 財政についての考えは、相変わらず財務省のプロパガンダそのままやね。しかも、金本位制の貨幣観をまだ引きずっているようだ。
 不換紙幣制度において貨幣の価値を保証するのは、国民相互の信頼と需要と供給の均衡のみである。しかし、金銀よりもこちらの方かかえって実質的である。金銀など本当の非常時には実質的に何の保証にもならない。
 真に実質的に貨幣の価値を保証できるのは「供給能力」以外にない。私に言わせれば、それには常に「必要不可欠な財やサービスの」という枕詞がつきまとうのである。しかもそれは固定したものではないから、その時々にとって必要不可欠な財やサービスとは何かを考え続けるしかないのである。
 そういう不換貨幣制度にとって、国債は極めて有効な物価の調整弁となる。デフレの折には、国債を日銀が買い上げ、予算化して市中にもっと供給すればよいのである。それをしないからデフレが続くのである。今のインフレは輸入物資が高騰して物価が上昇しただけの最も悪質なもので、実質的にはデフレのままである。
 日銀が買い上げた分の国債までが国民の借金である、つまり赤字国債であるというのは完全なウソで、財務省も承知でついている大嘘である。今の貨幣制度において、物価調整のために市中に供給された紙幣は、まさに「刷り得」であって、しかも得をするのは国民なのである。

 一神教にもいろいろあり、排他性独善性の強いものばかりではないが、日本化にはなかなか時間がかかりそうだ。日本のキリスト教はかなり日本化しているらしいが、イスラム教はどうかな。


 M.O2さん
 国債は「増幣は何処まで許されるか」に尽きる。時々刻々変化する世相に適合した、生活必需品とサービスの供給が確保される限り、赤字国債も経済停滞も気にすることはない。しかし、相互信頼の限界はどのあたりか!ブータン的安定幸福に浸り、国際競争力を失い、世界の激動について行けなくなって、「その限界に気付いた時は」もあり得る。
 国防及び国際競争力を維持するには、緊張が必要である。均衡予算の中で、必要とあれば増税で、防衛・教育・投資・国民生活保護をやり切る覚悟が欲しいものである。その際、格差はあって良いのだ。麦踏みで、青少年を鍛えてこそ未来が拓ける。ホーチミンが言う「困難が人を鍛え、磨き上げていく」、機会は均等だが、機会への道はそれぞれだ。各自の困難克服法の集積が面白い!
 
 以前あるクリスチャンの老婦人と会食したことがある。穏やかなお付き合いだったが、ひょんなことで宗教に話題が及んだ途端、形相が変わって口角泡を飛ばす状況になった。そういえば日蓮宗婦人も、我が家中の神仏札類を捨てて回ったのには驚いた。「気を許せる」と思ったら本性を剥き出すのだなーと、信仰の恐ろしさを実感した次第である。
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 教会長
 なぜか実際とは真逆のイメージを持ってしまったみたいだね。需給のバランスが取れているだけでは、ブータンのような無風無気力状態になり(ブータン人に怒られるかも)、国際競争力も失われると言いたいらしいが。我が国にとっては、需給のバランスを取り続けること自体が、困難を極めるイバラの道だということである。いま一番深刻な問題は、35年にわたる緊縮財政によって、肝心の供給能力が縮小してしまい、まさに国際競争力も失われつつあるということなのだ。
 供給能力縮小の例を一つだけ挙げれば、「コンクリートから人へ」などという、土木事業の軽視縮小が災害対応力の大幅劣化を招いた。国際競争力低下の例としては、科学研究予算を削りに削った結果、ノーベル賞学者は将来あまり出てこないだろうと言われるような状態になってしまった。
 今一番ホットなコメ不足もまさにそれだ。減反に減反を重ねて供給能力を損ねてしまった裏にも、財務省の強力な圧力があったらしい。平和ボケの日本人が食料安全保障ということにようやく目覚め始めたのは近頃のことだが、それにしてもうかつ過ぎないか。うろ覚えだが、ヨーロッパのどこかの国でも、穀物の生産農家は採算が取れないそうだけれども、安全保障の観点から手厚く保護されているらしい。それなのにまだ、米が不足すれば安い米国産を買えばよい、などと口走る財務官僚がいるそうな。
 そういうことのためにも、国債(赤字国債や子孫にツケはウソ)をもっと活用すべきなのだ。許容範囲はかなり広いらしい。少なくともデフレ状態の時から心配する事柄ではない。高橋是清はそれで日本の財政を立て直したのに、戦後GHQなどに洗脳された財務官僚たちは、それを評価しようとしないのである。国債の濫用で無謀な戦争に突っ走ってしまったという、ピント外れの「深い反省」が意識の根本にあるらしいので、よけいに厄介なのである。必要な経費は全額税金で賄わねばならぬと固く思い込んでしまったら、そりゃ税金を上げまくりたくなるわな。
 国民の側としても、精神論を持ち出すしか打つ手がないのかもしれないね。宗教家が精神論を回避するのも気が引けるが、できることなら金で(国債という調節機能を持つ金で)解決してもらいたいものだ。

 二人のご婦人の話は興味深いね。そういう痛切な体験があって一神教や一神教的宗派を忌避するわけだ。
 ウチトコも分類上は一神教ということになるが、汎神論的な要素も兼ね備えているので、神社の神々でも、藪神小神でも、それぞれの神性・神格を認めて、否定しない。それに止まらず、「生神」とか「神になる」というのは、人間さえも場合によっては神性を帯びるようになるという考え方である。それでは独善性も排他性も帯びようがないのである。
 そこまでいかなくても、昔から鉄板の比喩がある。富士山の譬えである。登り口は違っても頂上は一緒というアレだ。この考え方ができる一神教でさえあれば、排他性を免れることが出来るのだが…。

 今回は、人の既成の観念を変更させることの難しさを思い知った。それでも有意義な遣り取りであったと思う。
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M.O2さん
 30年前、ロボットもドローンもEVも日本は最先端を進んでいた。軍事利用への拒絶思想と冒険投資回避で、足踏みしている間にすっかり遅れてしまった。太陽光発電は、巨額の補助金を民主党は国産優先にせず、機会均等として、中国製の蹂躙を赦した。半導体は周知の通り、アメリカの圧力に屈した。ソフトは惜しむらくは「トロン」、一時JR切符、今ではレジに使われるだけだが、メインソフトはグーグル等海外へ巨額の使用料を支払っている。政治家や企業幹部は未来予測や、冒険が苦手なのだろう!何もしないでも過去の遺産で食っていけた。安楽に身を委ねていたら、個人所得でシンガポールや韓国にも追い抜かれた。

 補助金で高下駄を履いているEVより、安全で省エネのハイブリッドに拘る日本車メーカーの経営センスは大したものだが、電力の安価な原発活用地域での不利は避けられまい。

 高橋是清は当時、4億円の財政出動をして恐慌を回避したと自慢していた。大不況に対する激震緩和の成功例だったと記憶している。
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 教会長
 話がもとの話からだいぶ逸れているが、脱線もまたよしとしよう。しかし、多岐に渡りすぎるので、国債に的を絞る。あとはそんなものかと拝聴しておくしかない。
 しかも出来るだけ単純に具体的に考えてみるとする。
 
 仮に百億円の国債を日銀が、つまり政府が買い上げて、そこから50億円を災害対策費増額に、50億円を自衛隊員の給料増額に充てる予算を組み、執行したとする。
 すると100億円が土木関連業者や自衛隊員を通して市中に流れる。それで少しは需要も供給も増すだろうが、物価にほとんど影響はないだろう。言い換えれば流通する貨幣の価値は下がらない。そしてその百億円を赤字とは言わない。どこに返す必要もない、言わば刷り得の百億円である(刷ることさえせず、数字を書き込むだけのこともある)。そんなことが可能なのは自国通貨を発行できる国家のみである。
 自国通貨を発行できる国の財政は破綻しないと言われるが、限度はある。貨幣の流通量が多くなりすぎて、貨幣価値が下がり始めるときである。需要に対して供給能力が追い付かなくなったときにそうなる。
 であるから国家が常にチェックし続け、維持向上を図らねばならないのは、財政の帳尻などではなく、いつも言うように実質的に必要不可欠な財やサービスの供給能力なのである。ここ35年の衰退は、政府や財務省が財政の帳尻合わせのみに狂奔し、供給能力の維持向上を怠ってきた結果である。
 今もバカの一つ覚えのように絶えず聞こえてくるのは、「それなら財源はどうするのだ」という声ばかりである。本当は、自国通貨を発行できる国においては、財源よりも支出が先なのである。
 この逆転の発想を大多数が共有できない限り、国力回復はおぼつかない。その支出がどこまで可能なのか、数十兆円か数百兆円か、こればかりは物価の動向と睨み合わせながらやっていくしかないのである。

 「財源より支出が先だ‼」このプロパガンダをぜひ普及成功させたいものだ。
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「45これまでか語ってきたこと」について
 S.Sさん(男 60代 海外在住)R.6.4月

 身近なところ、ホームページ作成から話を始めるのはいいと思います。体験話が一番人を引き付けるので。

 教会内での話で終わるのではなく、インターネットを通じて外部に、より広い範囲に届けることは同感です。

 教典を読むと、おかげという単語が想像以上にこれでもかこれでもかと出てきます。当時も今もおかげが一番大事だと思います。文字数で34の天地書付にも、願え、おかげ、頼めと強調されています。  要約は行間を読み取る力、作者が言葉で表現できなかったことを文字化する能力がいると思います。
 一歩踏み込んだ現場での死生観が、佐藤愛子女史の琴線に触れたのだと思います。おおいに自慢していいと思いますよ、(笑い)。

 生まれ変わりについては教典に内孫の桜丸様のことがさらりと書かれています。死んでみないと本当のことは分かりませんが、十分あり得ると思います。

 長女の方が引き継がれるのは凄いことですね。何らかの宗教的体験、きっかけがあったと思いますが、次回お話があればと思います。

 成果は既に十分あると思いますが、更なる飛躍的な成果は長女の方がホームページを引き継がれてからではないでしょうか?
 ご主人が元新聞記者なら編集局や整理部にもいたはずなので、情報発信のコツ、読者により届く構成、SOEが出来ると思います。


 教会長より

 長女の宗教的体験については何も聞いていませんが、幸せはいろいろと授けられていると思います。
 話の中にあった通り、現在まさにそのリフォーム工事の真っ最中です。半年間でここまで具体化するとは、予想出来ませんでした。車も置きたいということで、外観も一気に変わりますが、どう変わるのか、出来てみないとわかりません。
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「46だまされているのに気付かない」について
 M.O2さん(男 教会長の弟 83歳) R6.10.月

 中々の大作、長文を避けるため、本筋だけに応答して呟きます。
 高市早苗さんの「首相になったら靖国神社参拝」に対して、「中韓よりも米国民主党の猛反発が恐ろしい」との発言がありました。A級戦犯を神とするのは怪しからんと言うことらしい。そもそも「東京裁判が不当なものであった」と言うのは、米国の正当性の根幹を否定するものと考るらしい。現状では、中露に対し、米国を手放すわけには行かない。一方、この壁を越えない限り、何時までも卑屈でいなければならない。米国世論への働き掛けから始め、時に激論を恐れず、感情的なしこりを残さないように気を付け乍ら説得するしか無かろう。
 東京大空襲や原爆投下は、被害の深刻さを知らずにやったと言い逃れられても、1945年8月1日、日本向けの毒ガス発送開始は、本土決戦に使用するためではあるが、第一次大戦でその残虐性が公知であり、明らかな人類への冒涜である。未遂とは言え許せない暴挙である。

 占守島の戦いは昭和30年代には知っていたが、15年前「ソ連軍上陸す」でより詳しく知った。その後NHKでもやっていた。ソ連軍の損害は3千~2万と情報源で随分幅が有るが、甚大だったことは確実らしく、その後の千島列島南進を遅らせ、南千島侵攻に至っては「抵抗あれば退却せよ」との指令が出ていた程である。国後・択捉は、骨がある人物の決断が有れば占領を免れた可能性が大きい。しかし終戦の詔勅後日数が経てば武装解除も進み、抵抗には無理があったであろう。ソ連の主張は、9月2日の正式調印迄は戦闘継続が当然、2日で侵攻を停止したから北海道には上陸しなかった。ソ連は国際法を守る国である。樺太では、調印後も抵抗した日本軍兵士達を、国際法違反として埠頭に並べて銃殺したと言われている。フルシチョフは吼えた!「南千島を欲しければ武力で取りに来い」ロシアはそういう国なのだ。逆に庶民は日露戦争に勝った日本を「軍事大国」として一目置いていた。第一次大戦では日露協同戦線を熱望したのである。

 国債は、日銀引き受けである限り、問題は無いと考えられるが、他国に買い取られたりすると、政治利用されて面倒なことになる。労働人口が減少するのに経済成長は無理がある。生活が安定している限り、無理なインフレは不必要と考える。
 去年、黒田元日銀総裁の講演会に、幸太と一緒に参加したが、終了後群衆を掻き分け、タクシー乗車寸前の本人を掴まえて質問した。「バブル崩壊とその後の経済停滞をどう考えるか!」に対し、「半導体等、米国の要求にもっと抵抗すべきだったと後悔している」。クルマも半導体も、米国はごり押ししたが、結局日米共に凋落し、周辺国は漁夫の利を得た。
 米国の主張を抑えることは米国の為にもなることを、どう説得するか、弁士を育てる必要があるのか?それにしても米国抜きでTPPをまとめた茂木さん、大したものだ。

 教会長より

 確かに標準的アメリカ人は、定まった歴史観に異議を唱えると「歴史修正主義」だと言って猛反発するらしい。新しい事実が判明するたびに歴史は修正されねばならないのだが、英語による説得力を備えた人材が多数育つのを待つしかないか。我々に今出来るのは、せいぜい同胞の中に同じ考えの人を増やしていくぐらいのことである。
 原爆も毒ガスも残虐さは変わりないが、原爆はまだまだ数多く落とす気でいたそうだ。その原爆の開発と投下には、チャーチルも深く関与していたらしい。難攻不落のシンガポール要塞をあっさり落とされ、自慢の戦艦を簡単に沈められた恨みは余程深かったようだ。
 終戦後に北海道占領を防いだ軍の話は、昔からうっすらとは知っていたが、具体的なことは何も知らず、感謝することもなかった。

 国債が他国に買われる心配もさることながら、日本が保有させられている巨額のアメリカ国債について、「売りたい誘惑」についてちょっと口にしただけで、橋本総理大臣は失脚させられてしまったとか。
 聴衆をかき分け、黒田前総裁に問いただすとは見上げた根性である。
 日本を没落させた1986年の日米半導体協定、1994年から始まった年次改革要望、更にはバブルの崩壊までアメリカが仕掛けたことがわかってきている。しかし、それ以上に危険な隣国の侵略を防ぐには、そんなアメリカをも味方につけておくしかないわけだが、上手につきあえるようになるには、国民の胆力と結束力をもっともっと引き揚げる必要がありそうだ。
 今の国民生活は安定しているのではなく、必要なあらゆる予算がどんどん削られていって、じり貧状態にある。
 目指すべきは経済成長ではなく、あくまで必要不可欠な材やサービスの供給能力の維持向上である。一番欠けているのが災害対策らしい。「コンクリートから人へ」というスローガンで、すっかり土木業界を萎縮させてしまった。


 S.Sさん(男 60代 海外在住)R.6.10月

 二人の青年詐欺師の話は読んでいる途中で気づきました。今工事現場やコンビニでクタクタに働いても20万円。そこから税金、社会保障費を引かれると手取りは13万円位。
 それに比べると詐欺師の方が儲かるので、詐欺が横行するのだと思います。
 湯川安太郎信話集の中に、バチモン、例として上の部分がない蚊帳、を販売してめぐりを積む話があります。どの時代も詐欺師はいると思いますし、治らないと思います。

 金光新聞に取り上げられたのは凄いですね。
 冗談抜きで、奈良県大和高田市の全家庭に配る価値はあると思います。
 「いつでもどこでも一人で無料で形に捕らわれない、神様に向かう信心」現代社会では共感する人も多いと思います。
 ただ、一人では神様のことの深堀が難しいかもしれません。金光様の時代でも笠岡、西六、才崎、由宇、芸備等直接ご裁伝を受けられた方々の情報交換があったと推測されます。やはり一定のコミュニケーションは必要かと。

 一方、最初のころ、或いは人によってはグループや教会に所属した方が継続するケースも多いと思います。昔の講のスタイルを見ても。
 金光様も「柱はたくさん建ててある」とおっしゃっているので。

 子孫繫盛家繫盛いいですね。
 漫画を描かれるお孫さん、娘さん夫婦が同居、それに伴うリフォーム工事。具体的におかげが目に見える形で現れてきていると思います。

 教会長より
 基本は4要素で表せる信心だとしても、そういう信心を養うための指導者や施設や組織や連帯の必要性が出てくることは言うまでもありません。最初の話でも金光新聞の話でも、そのことにはもちろん言及してあります。
 金光新聞では、例の「絶対他力、絶対信、絶対感謝」なども取り上げてくださっていました。
 
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「44亡き妻のことなど」について
 S.Sさん(男 60代 海外在住も当分東京暮らし)R.5.10月

 ①結婚のハードルが高い
 昔は農地を引き継いだり、商売を引き継いだりするために制度としての結婚、出産、育児があったと思います。農業もほぼ相続がなくなり、家業もサラリーマン化しているので結婚数が減るのは先進国では普通だと思われます。
 フランスや米国でも人口増は全て移民の子孫です。

 女性の社会進出もあり給料も増え、女性から見ると無理に結婚しなくても一人で自由に気ままに暮らしたいという希求が強いと思います。彼女らの両親を見てもあまり幸せには見えないかも。
 故に日本の人口減少は加速度的になり、数十年後は江戸時代と同じ3000万人位になるのではないでしょうか。

 ②図書館
 ひきこもりから図書館通い、楽しく読ませてもらいました。図書館に入るとほっとしますね。基本、図書館で本を探す時間は一人、読書も一人なので、太古の時代から人間は意外と一人が好きなのかも(笑い)。もっともお金をもらうためには集団行動や人間関係、忖度、気配り、人より早く行動する等が重要ですが。

 ③存続の危機
 数十年後の話ですが人口減少が極端に進んだ場合、技術も進歩しているでしょうからこうなるのではと勝手に想像しています。

 各教会から御本部に先生方が移動。
 先生が岡山にいて担当の各信者とネットで繋がり、お礼、お願いは直接先生に伝わり、それが直ぐ金光様にお結界で取り次がれFeedbackがある。

 春と秋の大祭、春と秋の御霊祭り等は御本部とネットで各家庭につながるし、御本部広前は24時間ネットで繋がり家から参拝出来る。
 今より速く綺麗に3D で伝わるので臨場感も違うはず。

 AIやChatGPTもより進化しているので、生神金光様のAIが基本個別に一般的な話はお話しくだされる。亡くなったら願うところに直ぐ行ってやり話をするというImageです。教典を読むと金光様は話好きなのが分かります。
 個別対応なので、例えば、お酒が好きな人にはあまり飲むなよと言い、飲まない人には少しは飲んだらと言う。

 込み入った話の場合は担当の先生に今までの会話を見せ、更に具体的なお願いの仕方、お陰の受け方、めぐり、心配を預ける等をネットで話してもらい教主金光様にお取次ぎを頂きFeedbackをもらう。女性の先生や同年配がいい女性はその先生を選べる。

 その為には、
 金光図書館の全ての文章、特に直信との会話はデータ化しAIが読み込む。明治16年以降の各教会の偲び草等のお話もデータ化する。併せてWeb上にある金光教関係のお話、例えば、角埜先生のお話もAI化する。各教会のこう願ったらこういうおかげを頂いたという話も全部集める。教学研究所?

 ④ひ孫四人はすごいですね。子孫繁盛、家繁盛ですね。
 老人と海、私も読みました。映画でも見ました。


 教会長より

 図書館通いの頃の気分は決して楽しいものではなく、仕事を辞めたサラリーマンが、家族にそれを伏せて出勤するフリをするのに似た心境でした。
 それだけに、とにかくここまで生きさせてもらえただけでも有難くてならないのです。
 「結婚のハードル」の問題や、「存続の危機」等については、引き続き取り組み続けていきたいです。そうするしかありません。


M.O2さん(男 教会長の弟 82歳) R5.10.24

  岡潔の「春宵十話」は私も同時期に読んでいて感銘を受けた筈だが、実践に至らなかった。ある意味共感していたのかも知れない。他に感銘を受けたと言えば、宮本武蔵の「五輪書」では「我事において後悔せず」、西田幾太郎の「善の研究」では「人は人吾はわれ也とにかくに吾行く道を吾は行くなり」は座右の銘になっている。

 孤立感は共有している。小5の時、人一番甘えん坊で、母親とは一体感が有った。ところが或る日、書き物をする母親に寄り添いながら、その母と皮膚1枚を隔てて別物と気付いて愕然とした。地球から離れた太陽系の、暗い宇宙に唯一人浮かぶ、孤絶感を感じたのである。以来、次第に青春の悩みの一環となり、表面は賑やかに付き合ったので仲間は多かったが、本音トークのできる友は数少なかった。しかも中学時代の友、高校時代の友は何れも途中、学園から落伍して消えていった。大学の友は「IQが京都府で第2位」とのことで、周囲の京大生が凡人に見える巨樹の風格があったが、一回生の終わりに自殺した。その直前恐らく形見分けに進呈されたロマンロランの「ジャンクリストフ」、幼少時代の描写には共感させられた。彼も孤絶感に苛まれて来たのだろう。それに対し、京大の学生相談室の教官は「電気ショックで治せたのに残念!」、「アホか!」と思ったものである。孤絶の悩みは人格そのものである。それを電気ショックで破壊するなんて、身体を生かすために心を殺す位なら、宗教勧誘の方がまだましである。
 孤絶すれば当然「なぜ自分は居るのだろう、どう生きるべきだろう」と言う「ベキ論」となって、理想と有姿の格差に苦しむのである。どうあるべきかは底無しの思考世界である。その思考の重荷に耐え兼ね、途中で挫折して神に委ねるのが信仰と考え、思考継続を選ぶのだが、そんな人間は実生活を生き抜くことは困難である。前記3人は耐え切れなかったのだろう。私の場合、生来の生命力に、父方の理系の才が、辛うじて生活の糧を保障してくれた。文系では生き延びれなかったのではと考える。ところが当時、自分が何を苦しむのか文字にしようとしたら、そのあまりの稚拙浅薄さに呆れたものだ。未熟な思考と表現力では神に委ねた方が楽である。唯悶々の日々であった。鸚鵡真理教信者に真面目で優秀な学生が散見されたのも判る気がする。
 孤絶に気付いた人間が、伴侶を見つけるのは大変である。内面の孤絶は孤高と頑固に繋がり、実生活では態度がでかくなる。私の場合、孤絶に耐えている優越感の一方、実生活での無能という劣等感!余程夢を共有してくれないと生活の破綻は自明である。結婚生活45年の今も新婚時代の傲慢な所業をチクチク責められるのであるが、客観的に見ても現役時代は身勝手この上なかった。家族は良く耐えて呉れた、有難う!視点は自分の内面だけ、周囲なんぞ眼中になかったのである。
 武一伯父の気質は他人事ではない。信仰に特化し、実生活の無能は伴侶の兼子さんが「先生」と呼ぶ態度で維持されていたようなもの、家族制度に守られていたともいえる。一方、武一伯父には幼い子供心に「こんな人と親戚で幸せだなー!」と思わせる何かがあった。独身時代、ある女性に「何か夢を感じさせる」と言われたことが有ったが、有難い誉め言葉で、自分にも何か魅力が有ったのかな?
 企業の研究所で「私はブルトーザーのようなもの、皆が走る高速道路では役に立たないが、岩盤の前では大働きする。誰にでも容易なことはできないが、皆ができないことはできる」と大見得を切ったことがある。その実績を評価して、定年後の研究継続を大学が受け入れてくれたと考えている。
 要するに、平凡なことや生活に頭を使うことが嫌なのである。定年退職後、逆に仕事を始めた家内は、旦那に主夫業を期待したが、私は夕食準備に頭を使うことには耐えられなかったのである。退職後1年間の主夫業は地獄の日々であった。大学から声が掛かった時は「助かった!」。母浅子が半年間、同じ献立を続けたのもこの心境であったろうか!逆に、よくも同じ食材を季節を越えて調達できたものと感心した。母は、食事の工夫よりも、絵画や和歌などの芸事に専念したかったのであろう!父安吉は妻浅子の才能を愛して許していたのであろうか!
 以来愚夫には家事を期待しなくなったが、逆に私には妻の才能を伸ばしたい思いがある。家族の協力が無くて、踏み出せずにいるのかも知れない。
 私の妻は、書画にも才があるが、料理の才も尋常でなく。体力も並外れで、仕事と家事両方を人並み以上にこなして来た。何よりも人扱いに優れ、或る意味人誑し、孤立しがちな亭主の人間関係も修復して回る、社宅では「主婦の鑑」と言われた。よくもこんな都合の良い女性が伴侶になってくれたものである。
 出会いのチャンスを双方が逃がさなかった。東京と九州島原半島、何の接点も無い2人の、旅先での一瞬のすれ違い、一期一会であった。2人共それぞれの地元でのしがらみを振り切り、直感だけで御互いの必要性を信じて、細い糸を辿り寄せ合ったのである。何時間一緒に居ても飽きない、生活の美意識類似、相互補完性抜群(婦唱夫随を前提に)、相性が良いということだろうか!他方喧嘩早く、ずけずけの物言い故、新婚3年間夫婦喧嘩無しと言うと、実家の御家族が感激していた。兎に角身に過ぎた伴侶に感謝することで、穂積さんとの類似性に驚く。何と高校の卒業式で答辞を読んだことまで!100年の歴史を刻む高校で初めての女子答辞だったとか、何で選ばれたのか本人も判らずじまい、成績・品行・美貌全て圏外、何で? 武一伯父と別バージョンの魅力が有ったのか?
 そんな妻も過労で70歳にして脳梗塞を発症し、処置が早かったので車椅子にはならなかったが、以後半身不随と格闘している。病臥中「こんな旦那を残して逝けない、息子も可哀そう」と必死に回復努力したらしい。

 今では孤絶感もベキ感も無い。「ちょっと無理して」を心掛けてはいるが、あるがままの自然態である。。それができるのも家内が居てこそ!「竹林の7賢」の炊事洗濯は誰がやっていたのだろう?

 老醜を晒さずに(82歳ではもうその領域か!)どれだけ自立できるか!
 妻に代わり得る伴侶には出会えないとの思いから、穂積さんは早く逝ったが、カミさんには長生きしてもらいたい。「俺の逝った翌日迄長生きしろよ」と10歳下の家内に願うのである。

 教会長より

 養父武一は、生活能力が乏しい上に、言わば偏見の塊であった。
 教団設立当初、信仰の拠所とされていたものが、ごく小型で薄っぺらな教典1冊きりだったので、その情報不足を補うため、末端ではそれぞれの創意工夫で布教するしかなかった。そこから多様な「信念」が生まれたが、玉石混淆で、中にはずいぶん変なものも混じっていた。それらの偏見を養父もたっぷり注ぎ込まれていて私を悩ませてくれたのである。

 Sさん(弟の妻)も答辞を読んでいたとは愉快!二人して自慢したいね。
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「43初めての開腹手術」について
 M.O2さん(男 教会長の弟 81歳) R5.4月
 
 生体検査でステージ4、PSA値は手術台で13,MRI図では癌細胞が溢れんばかり、全摘手術で「10年以内に必ず再発します」の宣告を受けて早12年、全くその兆候無し。全摘手術を避けて、放射線治療等で長引いている人々を尻目に、後遺症も無く、サッパリしたものです。
 余談だが、長岡技大時代、地元の病院でMRIを希望したら、「爆傷の鉄片が身体に残り、強磁場をかけるのは怖くてできない」と拒否され、発見が遅れた。千葉県立がんセンターへ行った時は、癌細胞は溢れんばかりで、危なかったのである。しっかりした病院探しは必須の心掛け、市原市内も駄目である。

 注射針泣かせの血管はこちらも同じ、唯一の左腕の一点を教え、成否は看護師任せ、無念無想、終わったら腕前を褒め称える。病気はできないのである。

 財政赤字が、「インフレさえ起らなければ平気」と断言するには確信が持てない。愈々となったら薩摩藩のごとく無利子500年債で一掃すればよいと思うが、一国内で済むものなのか、更に、安心してどんどん赤字を積み上げられたらどうする!やはり基本は税収と支出はバランスをとるべきではなかろうか?


 教会長より

 癌の疑いどころではない、本物の癌の第4ステージから生還したのだから、見上げた根性と言うべきか。精神力と言うべきか。

 看護師泣かせの血管が同様とは笑える。

 財政問題については、シロウトなりに根本に遡って考えてみる必要があると思う。そもそも不換貨幣による我が国の貨幣制度が維持出来ているのは何によるのか。信頼以外に考えられない。国家に対する信頼、及び国民同士の信頼感である。ただそれだけである。
 そこにはもちろん根拠のない盲信も多分に含まれていようから、それでも制度が成り立っているというのは、奇跡みたいなものである。そのたまたま成立している奇跡を、どうやって維持していくかが問題なのである。唯一の拠所である信頼が揺らげば、たちまち制度は危機に瀕する。
 その信頼は何によって維持されるか。国民に必要不可欠な物やサービスの実質的な供給能力が維持され、尚且つ、国民の間にそれらを購入するに足る量の貨幣が出回っていなければならない。それが出来てさえいれば、貨幣発行権を持つ国家財政の帳尻など気にかける必要はないのである。
 ところがここ30年近く、デフレ傾向が続いて収まらないということは、誤った緊縮財政によって、国民への貨幣供給量が大幅に不足し続け、すっかり国力まで衰えさせてしまったということなのである。
 これを税金だけで是正するのは不可能なので、国債を上手に活用するしかないのであるが、また、やれば出来ることなのだが、そのためにも早急に撤廃せねばならぬ余計なルールが一つある。国債の60年償還ルールというやつである。
 何を血迷ったか、我が国だけがこんな全く不要なルールを作ってしまったがために、これを忠実に守れば、確かに日銀が買い上げた国債までが国の借金になってしまうのである。言わば子孫につけが回ってしまうのである。
 そんなルールは無視すればいいようなもので、実際そのような議論が横行し、私自身も普段はそうしているが、本当はそういう余計な障害を粉砕するという一手間をかけなければ、目先はそのままでいけたとしても、それから先、前には進めないのである。

 これで納得いかねば、一度は有力な論客の著書にもあたってみてほしい。三橋貴明氏の論などは非常に明快で面白いが、そちらは三橋氏が嫌いらしいから、そちらと同窓の藤井聡氏あたりがいいかもしれないね。彼の「亡国論」など、ネットでまだ送料だけで手に入るかもしれない。
 しかし、誰にでも欠点はあるもので、そこを同じMMT論者の中野剛志氏などは厳しく批判しているらしいが、能力のスケールは藤井氏の方が大きいようだから、欠点もまたご愛敬である。三橋氏についても同じような事が言えそうだ。
 これらにあたってもらえば、このコメントが、いかに自分の言葉で語ろうと苦心しているかにも気付いてもらえるはずだ。


 S.Sさん(男 60代 海外在住)R.5.4月

 手術無事に済んで良かったですね。コロナ下で大変だったと思います。
 娘さんが仕事がある中、手伝ってくれたのいいですね。独り身の人は大変そう。

 腕に針を刺すのは大変ですね。技術の違い、感性、経験値が看護婦さんの間で如実に表れますね。
 出来る人は一発で通すし、出来ない人は数回トライしても無理ですね。

 同様に、信者さんで拍手した瞬間に金光様に通じる人と、全く願いが通じない人の差に似ていますね。自分も反省ですが。。。差はまずお礼が出来ているか、実意丁寧かでしょうか。


 教会長より

 「本当の気持ち」という意味での「実意」なら、一番大切にしようとしているものですが、それでどこまで願いが通じているのか、よくわからないままです。それでも、ここまで生きさせてもらえただけで有難いです。
 
 今回のお話の準備はいつもより比較的ラクでした。体験したことを出来るだけ正確に要領よく、と心がけるだけでよかったからです。しかもいつもとは少し毛色の変わった話で変化をつけることができ、一石二鳥でした。
 アクセス数も好調で、掲載後僅か数日で今月のトップを抜いてしまいました。かえって関心と親しみを持って頂けているようです。そういう方達からもお便りが頂けるといいのですが…。


 坊っちゃん(男 50代 R.5.4月

 角埜先生、この度は、手術に至るまでの過程、そして、いざ手術・入院と、大変な期間をお過ごしになられましたですね。改めまして、お見舞い申し上げます。
 高田教会にお参りさせて頂いた際には、食事の制限も緩和されていらっしゃるとのことで、お元気なお顔を拝見でき、安心いたしました。

 私も、昨年は、思いがけず手術・入院を経験し、今も尚、気をつけないといけないことには充分気をつけながら、ボチボチ過ごさせて頂いております。
 私も入院中は、角埜先生と同じく注射針が入りにくく、看護師さんたちには、随分ご苦労をおかけいたしました(笑)。
 でも、まぁ、何度も痛かったには痛かったのですが、『神様から頂いた素敵な看護師さんたちとのコミュニケーションタ~~~イム!』と思って、冗談言いながら、楽しく過ごさせて頂きました(笑)。
 私も入院させて頂きまして、病院の先生方や看護師さん、スタッフ皆々様の大変さというものを目の当たりにし、医療従事者の皆様には、ほんと、頭の下がる思いでいっぱいになりました。
 今は、お世話になった病院の皆々様が、公私共々充実されて、健康的な毎日をお過ごし頂いていることを願う毎日です。
 季節の変わり目、角埜先生も、どうぞお大事になさって下さいませ。

 教会長より

 読み書き不如意な状態から談話室に復帰され、まことに有難いことです
 注射針の話題で、どなたともこれほど盛り上がるとは想定外でした。しかも私だけのことではなく、わりと広範囲で起きていることのようですね。だとすると、意外と深刻な問題が浮き彫りになったのかも知れませんね。


 M.O2さん(男 教会長の弟 81歳) R5.5月

 赤字国債については、以前にも書いたが、江戸幕府は、金の枯渇もあって、貨幣を改鋳した。金の含有量を減らしたのであるが、真面目な儒学者達は「幕府の信用を損ねる」として猛反対した。それも一理有るが、結果的に経済を活性化し、幕府の財政逼迫も救済したのである。物と貨幣を等価と考えるから、貨幣量が経済拡張に追いつかない。単なる血液、血流をよくするだけと考えれば増血は当然の流れと考えられる。生活基本物資の供給さえ確保されれば問題は無い。ところがこの基本物資が拡大変遷するのである。
 結論として、「無利子の500年債、全額日銀引き受け」としても、貿易が均衡し、生活基本物資を確保できれば問題無いとしよう。インフレも昇給も無用、給与は技量アップに応じてのみ上がる。
 とは言え、戦時国債の例有り、増幣は何処まで許されるのだろう!


 教会長より

 確かに「生活基本物資」や必要不可欠なサービスの中身は変動し続ける。だからこそ常時いちばん力を注がねばならないのは、その変動についての的確な判断と対策である。財政収支黒字化などではない。ましてや累積国債を税金で減らしていこうなどと考えるのは、貨幣供給量を無駄に減らしてしまうだけの超愚策である。しかし、一旦誤った伝統的思い込みというものは恐ろしいもので、我が国で一番頭がいいと思われている人間の集団が、そういう思い込みから抜けられないでいるらしい。金本位制の貨幣観を未だに引きずっているようなのだ。
 
 戦時国債にしても、結果的に価値が下がったのは、発行し過ぎによるものではなく、あくまで敗戦によるものである(主として情報戦で敗れ、今も敗れ続けているのである)。負ければ貨幣そのものの価値が下がって当然である。まだあの程度で収まったのが奇跡みたいなものだ。国債のおかげで戦艦大和も建造出来たのだとしたら、意義や効果は充分あったということである。大艦巨砲主義が時代遅れになったというのも、それとは別の問題である。
 …と言うか、それこそが必要不可欠な軍備の変動についての判断を誤った事例ということになるかもしれない(無理ないとは思うが)。
 
 増幣がどこまで許されるかについては、シロウトには見当もつかないが、少なくとも少子化対策にバラまいたり、老朽化したインフラを修復したり、当面の軍備を増強したり(まずは隊員の給与を上げよ)、する程度なら大した支障はないのではないかと…。
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「42至急拡散してほしいこと」について
 S.Sさん(男 60代 海外在住)R.4.10月

 大きな経済の問題なので、どう金光様の教えを入れ込むか悩むところですね。

 財務省が国債の発行体。
 そして普通は市場が買うのを、禁じ手の日銀が買うという図式。
 だから無限に国債を発行できる。円を刷って日銀が財務省にお金を渡す。

 MMT理論は、国の借金は国民の資産だから問題ないと言いますが、半分正解で半分間違っています。
 今回円安の中、金利引き上げができない状態が出てきてはっきりしました。

 国から日銀への利払いはほぼゼロ金利で25兆円。金利が倍になると50兆円です。三倍になると75兆円です。
 因みに国の支出は100兆円、医療費等社会保障40兆円です。
 収入は確か税収70兆円。足りない分は毎年新規国債発行30兆円です。

 事実上破綻してると言っても過言ではないです。

 普通の家でも、借金が多く、外食、キャバクラ、ギャンブルで散財している家族がいれば辞めるように言うと思います。金光様も質素倹約、家に借銭がないのが一番と言っていますし。
 そういう中、日本のインド等への援助額は莫大です。MMT理論だと問題ないことになりますが。。。

 諸外国は日本のMMT理論を笑って見ています。東南アジア含め普通の国はこれほど借金していません。収入と支出を基本合わせています。もちろん借金もありますがバランスのある国策で無駄なお金は使っていません。日本は太平洋戦争でアメリカに騙され、また借金問題でアメリカに騙された?

 なんで騙されるかというと、政治家の4割が二世、三世の政治家だからではないでしょうか? 企業だと普通は世襲していないです。官僚は一応試験を通っている。。。

 それに二世、三世にとっては特に選挙が大事で、そこに統一教会が入り込む隙があったと思います。愚痴を言わない辛抱強い信者さんが選挙を手伝ってくれると凄く助かるはず。特に地方の市議会議員の場合は追加で500票あれば心強い。

 日本は韓国に収入で抜かれましたが、もうすぐメキシコに抜かれます。
 為替が本当は50円から75円でもいいのですが、借金が膨大で金利を上げられない日本円は145円です。中国東南アジア諸国から見ると円安で日本旅行が本来の三分の1で行けるのでインバウンドの政策はいいと思います。

 解禁されればすごい数の人が古都である京都奈良を訪れると思います。


 教会長より
 
 日銀の独立性についての議論がどうなっているのか、ほとんど関心がありませんが、国から日銀に支払われた利息も、最終的には国庫に納まることだけは間違いないように思われます。幸いなことに外国からの借金もありません(海外投資家が買い上げた国債以外は)。
 ところが狡猾な財務省は、国連の機関に対しては、それ故我が国が財政破綻することはないと弁明しておきながら、国民に対しては、その事実を覆い隠して危機感を煽るという風に、二枚舌を使っているらしいのです。緊縮財政を続け尚且つ消費税を引き上げたいために…。今のレベルの国民やメディアなら、まだまだ騙せると見くびっているのでしょう。

 財政破綻ということについての解釈ですが、今回私は、その国の貨幣制度というところに焦点を絞って考えてみました。国の(不可欠な物資やサービスの)需給のバランスが取れていて、物価が安定している限り、その国の財政は破綻していないと考えるのです。このまま黒字化を目指して緊縮財政を続けるとかえってその需給のバランスが崩れ、財政が破綻の方向に行くと考えます。

 統一教会が恐ろしいのは、政治家だけではなく、司法関係にも想像以上に深く食い込んで影響力を持っているらしいところです。
 金銭の要求が極端すぎる上に日本人を愚弄しているにもかかわらず、それに唯々として従う日本人信徒が、本国よりも多い60万人もいるとは!これも洗脳で自尊の心を奪われた敗戦後遺症の表れに違いありません。

 円安の恐ろしさは、外国の(特にある一国の)国土買い漁りがますます加速することです。それを有効に食い止める法律が整備されておらず、それの出来そうな政治家が見当たらないのです。特に安倍さんを失ってからは…。
 その安倍さんが、統一教会とここまで深くつながらねばならなかったとは、政治というものは全く一筋縄では理解できないものですね。


 M.O2さん(男 教会長の弟 81歳) R4.10月

 赤字国債に対する見解、衝撃的である!しかし同意するにはリスクが大き過ぎる。自分は未だ困惑の域にある。
 この千数百兆円という巨額の債務とは何なのか?仮想通貨ビットコインを観るにつけても「お金」を不思議な幻影に感じ始めていた。
 市場に貨幣が不足して経済が回らなくなったところで、王立造幣局長官のアイザック・ニュートンが、貨幣の量産に成功して、英国経済の発展に寄与した。通貨供給量の問題であった。
 江戸幕府は、金資源の枯渇と市場での貨幣不足から、金含有量を大幅に下げて、通貨発行量を増やす貨幣改鋳を度々実施し、時に莫大な利益を得た。一時的にはインフレになるも結果的に経済を活性化出来たのである。しかし碩学新井白石は「幕府の信用を失墜する」として貨幣改鋳に猛反対した。儒学的には正論である。お金は天下の宝として、夜の川に落とした一文銭を探し出すのに、多くの灯火と人手を動員した話が「国富を大切にする」という美談として教科書に載っていた。貨幣自体を財貨とする考え方である。
 一方、元帝国は紙幣「交鈔」の大量発行によるインフレが滅亡の一因とされる。これは不換紙幣の過大な発行が国を亡ぼす例と学んだ。エカテリーナが、絶えざる戦争と美術品蒐集による巨額の赤字でも財政破綻しなかったのは、一説によると、紙幣を代価として受け取った農民が、皇帝の肖像が描かれた紙幣を押し頂いて聖像画のように飾り、使用するなんてとんでもない事としたためとか。満州では日本敗戦後もしばらく日本の紙幣が流通していたとか?お金とは何か?信用の幻想?
 日本の現状はどうか。インフレも僅かなもの。ニューヨークのラーメン一杯3000円となる円安は異常でさえある。赤字国債なんて幕末維新のごとく、無利子500年賦の金禄公債にすれば済む、NTTの電話公債もチャラにしたではないか・・色々な想いで困惑しております。
 バブルがはじけて以来、ニッポン経済は低迷と言われるが、家の巨額ローンをバブル期に解消した身としては、物価は安定し、生活用品の供給も豊富で、インフラも整備された豊かで安定したな社会を実感して来た。低迷と言うが、路傍に餓死者が出たか?それに本来高齢化で、労働力が減って行くのに、経済成長とはおかしい!経済学が何か間違っている。
 大量生産・大量浪費でGDPを引き上げるのに意味があるのか!丈夫で長持ちする商品を少量消費すれば廃棄物が減り、省エネにもなる。そもそも江戸時代は殆どリサイクル世界であった。経済成長なんて糞食らえである。
 「正しい経済学」は解らないが、技術の一部において中国・韓国に抜かれたことは事実であるとは言え、元来全勝を望むのは異常なのである。我が道を頑張れば、自ずといいバランスで落ち着くというもの、貿易断絶となっても最低限の生活を維持できる態勢さえ備えれば、何を恐れることが有ろうか!
 以上混迷の経済観である。


 教会長より

 大量生産、大量消費の必要はないが、このまま緊縮財政が続くと、それこそ「必要不可欠な物資やサービスの購買力と供給能力」が維持できなくなることを恐れるわけ。せっかく整備されたインフラも、老朽化に対処しきれず、水道事業さえも外国の要求通り民営化して、グローバル企業がつけ込めるようにする動きが加速するかもしれない。


 M.Mさん(女 教会長 70代) R4.11月
 確かに自国に対して愛と誇りを持つこと,国の財政について真剣に考えることはとても大切なことだと思います。私は今まで日本はこんなに借金をかかえてどうするんだ!と心を痛めていたので、今回、自国通貨を持つ政府は、国債が原因で財政破綻することはない、財政黒字化目標は狂気の沙汰、身を切る改革は見当違い、思い切ったバラマキを、には心底びっくりしました。
 そして先生が安倍元首相支持者ということも驚きました。私は、今までほぼ反対の考えでいましたから。それに今の自民党は嫌いです。(革新政党もダメですが)、先生のご意見にすべて賛成というわけにはいきませんが、もっと勉強しなければと思いました。

 教会長より
 こうやってキャッチフレーズを復唱して頂けるだけでも有難いです。それこそが拡散の第一歩です。
 これって,保守だの革新だの正義だの不正義だのといった、イデオロギーや倫理道徳とは全く関係のない、純粋な経済問題だと考えたら気持ちよくないでしょうか。逆に言うと、この問題の議論に、イデオロギーや倫理道徳をできる限り持ち込まないようにしたいと思いませんか?
 などと述べた直後に、緊縮主義が支持される背景には「平和主義」や「反成長」というイデオロギーも根深くからんでいる、などと指摘する情報が入ってきました。厄介なものですね。「小さな政府」を目指すこと自体「新自由主義」ですからね。

 安倍元首相支持者かと言われると、考え込みますが、否定はしたくないです。力不足な点はあっても得がたい人物ではあったと思います。安倍さん以上に外交力を発揮できそうな人が、今は他に見当たらないし、国難に立ち向かえそうな突出した見識と力量を持った人もいそうにありません。派閥の後継者が決まらないのもそのせいです。
 こういう人間の総合力というものは、学力だけでは測れないところが不思議ですね。東大生の頃安倍さんの家庭教師だった平沢勝栄さんも、政治家としては伸び悩みだし、名前も覚えていないけれど、失言で最近法務大臣の地位を棒に振った人がいましたね。東大法学部を主席で出たらしいですが、再び這い上がれるだけの見識や手腕はあるのでしょうか。
 その点、安倍さんの祖父の岸信介氏は、別格ですね。学力も手腕も兼ね備えていて(人格までは知りませんが)、妖怪とまで言われ、首相当時はぼろくそにたたかれて引きずり下ろされたけれど、歴史的評価は高いようです。
 いずれにせよ、国を救う人物があらわれてくれるよう、我々もまた、一人一人何等かの役に立てるよう祈るしかないですね。
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「41真実はきわめて大切だが」について
M.O2さん(男 教会長の弟 80歳) R4.5月

 考えが似てるねー!血肉なのかねー!
 司馬遼太郎や五味川純平には騙されたというより、膨大な資料を集めて読者を圧倒しながら、その資料が偏っていたのである。彼らも騙されていたのである。ノモンハン事件で、圧倒的物量のソ連軍の損害は、劣勢の日本軍より多かったというデータが出たのは、ソ連崩壊後である。
 子供の頃、中ソが日本軍国主義の復活をどうしてそんなに恐れるのか判らなかった。ノモンハン後、ソ連軍はモンゴル東部に対戦車大要塞を築いた。弱い日本軍に対し、どうしてそんな無駄な備えをしたのか理解できなかった。ある残留孤児の老婦人が「日本は弱いくせに侵略してきて、こんな目に合うのよ!」中国国内では八路軍の大活躍で弱い日本軍を追い払った」と言う教育が徹底しているのであろう。百家争鳴で「県城を占領されたままで大変苦労した」と告白した作家は反右派闘争で粛清された。中ソにとって日本軍は異常に強かったのである。日本人は中ソのプロパガンダに完全に騙されていたのである。
 乃木希典の評価も、司馬遼太郎は「無駄に大損害を出した」としたが、ソ連側では、「攻撃側の死山血河は、ロシア側でも同じ。旅順要塞が陥落したのは11インチ巨砲とトンネル爆破だ」とその作戦を高く評価している。
 「肉弾」は、旅順前哨戦で、死山血河を乗り越えて次々ロシア軍陣地を奪取して行き、本人も遂に重傷を負うに至った櫻井中尉の手記だが、闘魂の模範として全世界に翻訳された。ドイツでは全将官に配布され、第一次大戦の緒戦でベルギー要塞を強行突破するのに、躊躇なく死者の土手を築いた。司馬遼太郎の評価は後世の知恵である。

 それは別として、ロシアのウクライナ侵攻は、平和ボケしている日本人を少しは目覚めさせた。北朝鮮に次いで感謝である。


 教会長
 ノモンハン事件の真相が明るみに出たときは、確かに救われる思いがした。
 司馬遼太郎も、ノモンハン事件について何か書こうとして資料を集めたらしいが、結局断念したのは、マイナスイメージの資料しかまだ集まらなかったからかもしれない。

 司馬遼太郎はまた、203高地を陥せたのは児玉源太郎が持ち込んだ大砲のおかげであるように書いていたらしいが(直接読んでいない)、ウィキペディアによると、児玉自身は、乃木なくして攻略は不可能であったと言っていたらしい。親友を弁護するためにそう言ったのかも知れぬが、乃木の一番の真価は、やはり高潔な人間性にあるようだ。そこを児玉も明治天皇も愛し、外国人にも評価されたのだと思う。児玉の葬儀の折、乃木もまた降りしきる雨の中、棺を担いだらしい。


 S.Sさん(男 60代 海外在住)R.4.5月

 今回のウクライナの件を見ても、石油とガスを持っている国は強いですね。当時日本は備蓄が一年しかなく、アメリカからの輸入が90%の中で禁輸されるという状況でしたから。
 なんとなく今のドイツに似てますね。
 私の乏しい日本の歴史の知識ですが。
 米内光政氏 日米開戦はそもそも反対だった。天皇制の存続、天皇無罪の擁護の証言が米軍GHQにとっても必要だった。
 永野修身氏 裁判中に病院で亡くならなければ、海軍のA級戦犯だった。日米開戦の責任者。
 山本五十六氏 艦隊の責任者だから上司の命令に従っただけ。


 教会長
 山本五十六は単なる駒に止まらず、ある程度、自らの意思で軍を動かせるまで力を持っていたようです。この3者は一緒のところをよく目撃されていたので、恐らく重大な意思決定はお互い影響し合っていたものと思われます。揃って人望が厚かったようで、スパイ説は穿ち過ぎかもしれません。
 永野修身は今では無名に近いですが、海軍大臣をはじめ三つの要職を全部勤めた唯一の人物だそうで、何故か劣悪な収容環境で早くに病死させられてしまったため、謎が残ります。
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「40金光教教典について語る5-真実を大切にする信心」について
教会長より 令和4年4月28日
 「教典について語る」シリーズの5番目として、今から34年前に話したことを、ほぼそのまま微修正のみにて掲載させて頂きます。それでも文字打ち等に時間を取られ、メッセージ67での予告は、来月に先送りせざるを得なくなりました。


S.Sさん(男 60代 海外在住)R.4.5月

 読ませていただきました。

 金光教に触れるきっかけや信心の継続はいろいろあると思います。
 1.何か大きな力が宇宙や天地にありそうなので助けてほしい。神様から入る。
 2.教会の初代のカリスマ、おかげを渡す力に惹かれ、慕い、助けてもらって。
 3.金光様の性格、生き方、考え方、教えに惹かれ、人間と神様との間の仲立ちにも惹かれて。

 今回のお話は金光様の性格、考え方、教え‐神様の教えでもありますが、に光を当てて深堀されている章だなーと思いました。ありがとうございます。

 とらわれないから、無理がなく、不自然なところがない。
 ひとりよがりがないから、押しつけがましさがない。
 合理的で、お参りしないとおかげをやらないとも言っていない。

 金光様の性格、考え方に一番惹かれたのが近藤藤守先生だったのかなーと思います。教えを聞きたいという強い要望もあったと思いますが。

 今回のお話では、金光教関連以外の人の話も面白く勉強になりました。

 山本七平氏紹介の禅僧、鈴木正三、家業が行の推進者
 江戸時代の道徳家石田梅岩、自己啓発の手島堵庵が言い始めた本心
 学者の内藤湖南と源氏物語や伊勢物語と日本人の変わらない性格
 私小説作家の嘉村磯多、山口県の生家が記念館になっている


 教会長より
 終り近くで紹介した教外の諸説にも目をとめて頂き、とても嬉しいです。格別努力感なしに、興味本位の読書だけでそうした知識に出会わせてもらえたことは、大きなおかげであると考えております。途中で退屈して投げだしそうになった人でも、なんとかそこまでたどり着いて頂けたら有難いのですが…。
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「39金光教教典について語る4-生きるのが少しはラクになるための3要素」について
S.Sさん(男 60代 海外在住)R.3.10月

 生きることが少しはらくになる、、、いいですね。僭越ですが率直な意見を以下に。

 私ならやはり「少しは」を取ります。簡略されるので。ズバッと言えるかと。
 それと、らくになるの後に繰り返しですが、「気楽になる」を付け加えます。強調になりますし、教典によく気楽になるがでてきますし。

 家内中まめ息災、牛馬にいたるまで、、、
 いまなら、犬、猫、その他ペットでしょうか。彼らのほうが人間よりも高くて旨い料理を食べ、高い医療費を払っているはず。美容代も。人間は経費節減のためゾロ品ですが。
 もしかしたら、犬、猫、ペットのお通夜、お葬式、50日祭、一周忌が将来流行するかも。(笑い)
 高橋富枝先生のお話に、身代わりに死んだ鳥の葬儀の話がでてきます。

 3つの確信、核心の内2について。
 絶対信はやや分かりにくいので、わたしなら、ズバッと、「願えばおかげになる」にします。
 おかげを前面に出すと低俗な宗教と見なされるという時期もあったでしょうが、今の日本人はどんどん世界に遅れ、間違いなく貧乏になっているので、本音が受ける時代だと思います。
 貧乏というのは、お金もそうですが、考えたり生活を楽しむ時間も無くなってきています。
 正におかげが必要な時代だと思います。特に高齢者は死に対し、肉体的にも精神的にも接しているので。

 そのおかげをもらう為に、
 1 金光様を通す。「願えば家に来る」とおっしゃているので直接頼む。或いは教会経由。
 2 先に願う。教典に何回も割り木屋さんのたとえ話ででてきます。会社でいえば、ホウレンソウ。事前の報連相。
 3 一心で。
 4 心配を預ける。先生の文章にもありますようにこれは言うのは簡単ですが、実行は難しい教えです。半分預ければ成功でしょうか。こんなところで「あいよかけよ」言ってもしょうがないですが(笑い)

 上記4つを行ってもおかげをもらえない時もあります。最近あまり言わなくなりましたが、やはりめぐりの問題、これが足を引っ張っているのは大きいと思います。
 教会参拝の目的はお礼お詫びお願いだと思いますが、信者からみると、めぐりをもってもらう、持ち替えだと思っています。やや蛇足になりますが。

 教会の総代さんが、長屋をお貸しした実話、具体例いいですね。イメージが絵になります。
 総代さんの月のお供え3代免除ですね。(冗談です)


 教会長より

 いつも即座に、打てば響くように感想をくださるのが有難く、また、感服の他ありません。即断即決の世界で長年鍛えられてこられたせいでしょうか。
 タイトルについて、自分自身の好みに固執するべきか、それとも実際の効果を重視すべきかについては、もう少し多くの人の意見も聴いてみないと、判断ができませんね。その意味でも、他の方々も、どうぞ声を聴かせてください。

 絶対信という言葉をこの道で使われたのは、私が知るかぎりでは、あの「快傑」福田美亮師でした。確かこの道は「絶対信の道」であると主張しておられました。また高橋正雄師のご長男の高橋一郎師が、この道は「絶対プラスの道」であると書いておられたことに、若い頃感銘を受けた記憶があります。目先良いと思えることも悪いと思えることも、全てがプラスになっていく、おかげになっていく道だという意味です。この方も優秀な方でしたが、惜しくも早世されました。
 そんなこともあってか、私はこの「絶対」という言葉にもかなり愛着があり、できれば三点セットのままで普及させたいというこだわりからも抜けきれないのです。

 私は経済学のことにはほとんど無知なので、断言は避けたいですが、日本の貧困化の根本原因は、橋本内閣から続く緊縮主義にあるというMMT派の主張に九分通り取り込まれてしまっています。
 それをできるだけ自分の言葉に直して語ってみますと、国民の生活にとって一番大切なのは、収入が安定もしくは増加し、かつ需要と供給のバランスが取れて物価が安定しているということでしょうが、歴代政府は(というより財務省は)、国家財政は黒字でなければならぬという強迫観念にとりつかれて、本当に必要な物やサービスの供給能力まで縮小低下させてしまったのです。
 
 つきつめるとそれは貨幣観の違いというところに行き着くと思います。貨幣というものは、素人考えでは本当に摩訶不思議なものに思えるけれど、その本質をきちんと説明してくれている人が既にいると思い込んでいたのに、どうもそうでもないらしいのですね。見方が割れているらしいのです。流通する貨幣の総量を一定とみるか変動するとみるかでも割れているみたいですね。
 
 これも素人考えですが、たとえ貨幣の総量がある時点で一定であるとしても、その価値の総量はそれを使う頻度によって伸縮自在に変化するものです。貨幣発行権を持つ政府にとって最も大事な役目は、赤字か黒字かに関係なく、その伸縮自在な価値の総量を適切にコントロールしながら、需要と供給のバランスをとり続けること、とりわけ最も必要な物資やサービスの供給能力を維持向上させることだと思うのです。それさえ出来ていればいくら赤字になっても、国家財政が破綻することはないらしいのです。
 しかもそういう目的は、民間の活力とやらに委ねるだけでは達成出来ません。やみくもに民営化してはならないのです。特に水道事業など…。JRにしても、廃止するのは広い意味で惜しいような赤字路線なども、民営では維持できなくなりました。
 貨幣には価値の裏付けがいると考える金本位制などがとっくに破綻しても、国家財政が破綻しないことが明らかになった今でも、財政の実権を握る人たちの中にさえ、金本位制時代の貨幣観をまだ引きずっている人がいそうですね。

 総代さんの長屋の件について。その総代さんの後を継いで総代を務めてくれた娘さんも既に亡くなられ、残念ながら教徒ではなく仏教徒を兼ねた信徒だったので、子孫の方たちには信心が伝わらないまま、皆地元を離れて行かれました。


 坊っちゃん(男 40代 ) R.3.11月

 『何事もお願いしてさせて頂く』

 ……何事においてもの基本姿勢、日々の反省時、その日はどうであったのか、日々見直しさせて頂きたいと思います。

 『神信心でさえ、自力ではなし得ない』
 『……信心させていただくという心におかげがある』

 ……つい自力で『信心している』と思いがちな私たちですが、そうではなくて『信心させて頂いている』ということ、忘れないようにしたいです。

 『……神にさせていただく心ですれば、神がさせてくださる』

 ……神様、何卒、よろしくお願い申し上げます(笑)♪

 『……商売させていただくという心になれば、神はつきまとってさせてやる』

 ……どんな商売・仕事であれ、近江商人の言葉として、よく紹介されます、『売り手よし、買い手よし、世間よし』の『三方よし』の精神で、私も日々のお仕事を丁寧にさせて頂きたいと思います。

 『平素の信心生活においては、他力と自力との間を絶えず揺れ動きながら、生き方を少しずつ修正する努力を重ねていくしかないようです』

 ……軸がブレないように、『日々修正』、を心掛けさせて頂きたいです。

 『信心する者は、いつも、心にみきを供えて祈れ……』
 『信心する者は、これを忘れてはならない。みきというのは、ありがたき、恐れ多き、もったいなきの三つのきである。信心する者の心からこの三つのきが抜けたら、おかげは受けられない』

 ……昔、♪この木、何の木? 気になる木♪という有名なCMソングがありました。『気になる木』と『木になる木』が掛かっていて、大好きな曲でした。
  それになぞらえて、♪この『き』、何の『き』? 『みき』なる『き』♪で、『ありがたき』、『恐れ多き』、『もったいなき』の『三つのき』を、心に留めさせて頂きたいと思います(笑)♪


 教会長より

 ご多忙の中、前回分と一緒に、書きにくかった感想を苦心してまとめて頂き有り難うございます。
 心に響く言葉を列挙し、コメントを加えるという単純な手法を編み出されたところに、その苦心の跡が伺えます。このパターンは、未知のもっと多くの人々にも真似て頂きたいです。たった一つの言葉だけでもいいですから。
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「38金光教教典について語る3―神様は懐が深いー」について
 S.Sさん(男 60代 海外在住)R.3.4月

 今回も勉強になりまた色々な気付きや考えるヒントも頂きました。ありがとうございます。
 自分の中で全部が咀嚼できていないので、小学生の遠足旅行の羅列型感想文みたいですが、宜しくおねがいします。

 1 神様は懐が深い
 「何をどのように願ってもいい」ですね。

 2 Fさんのお父さんに対する湯川安太郎先生の個別の祈りの内容も知りたいですね。特に湯川先生は神様にすーと通りおかげも頂ける祈りをマスターされていたので。

 3 沖縄出身の開業医ひかりさんのYou tube私も見ていました。教外の方が褒めてくださると素直に嬉しいですね。
 お医者さんは病気や死と毎日直面しているので感性が鋭くなるのかもしれないですね。

 4 「またあの話か」という大西秀さんのお話が面白かったです。彼女は大谷村在住だったので毎日金光様の元に行かれていたそうです。シャキシャキしてユーモアのセンスもある今で言う現代っ子?
 寿命長久昭和30年代まで生き延びられたというのも驚きです。

 5 「金光教の教え」だとどうしても硬くなるので、金光様のお話のほうが柔らかくてソフトでいいかなと思っています。
 信心はお話を聞いて納得する部分と実行する部分にわかれますが、金光様のお話を自己実現や自己啓発、生きる指針、軽めのスピリチャルにも使えるなと思っています。
 固い宗教本は書店で売れませんが、そういう線で本を出したら売れる?

 6 人徳:人に親切、声掛け、眼差し、ギスギスした世の中でのユーモアのセンス、場を和ませるスキル。
 神徳:神様に親切、和らぎ喜ぶ心。難しい言葉では実意丁寧や神様のご信用でしょうか。

 7 役割を立派に果たせ
 「御神願成就のお役に立たせて頂く、、、」は立派な言葉で意味するところは分かるのですが、そもそも長くて覚えきれないし、年でろれつが回らずいつも上手く言えていません。もっとシンプルにしたいなー😄。
 私は金光様に近づくことが神様に近づくことだと思っています。具体的には金光様のお話を聞いて腑に落ち考え方や思考法を同じにする、そしてそれらを実行するだと思います。

 8 「神になるは目標ではなく思わぬ結果」も面白く読ませて頂きました。私も同感です。

 金光様の考え方としては愚痴や不足を言わない、腹をたてない、心配は毒、負けておけ、時節に任せろ、思いわけ、先を楽しめ、取り越し苦労をしない等あると思います。もちろんそれらの前提として神様を💯%信じることが必要ですが。。。
 それらをお話を聞いて腑に落ち、金光様の取次を受け実行していると段々と金光様に近づいていき、それは神様の考え方にも近いので、生き神に自然となるのではと思います。
 言葉では簡単ですが。。。


 教会長より

 ・錦城さんのYou tubeを既にご存じとは驚きました。私の場合は、特殊な繋がりを持った方から得た情報だったので、簡単に見つかるものではないと思い込んでいたのです。

 ・大西秀さんが昭和30年代まで生きられたとは、初めて知ったのですが、成程、教典の付録の人物解説にちゃんとそう書いてありますね。子孫の方々の消息が知りたくなりました。

 ・「御神願成就のお役に立たせて頂く、、、」は、あくまで取次者の役目としての祈願の一部ですから、あまり苦になさることはないと思います。

 ・ついでながら「教会長のメッセージ」で述べた考えも、一部重ねて引用しておきます。
 「人によっては、時折挟み込まれる政治的見解が目障り耳障りに思われるかも知れませんね。
 私がいつも気にしておりますのは、宗教家たるもの、政治社会問題については、常に賛否を超越した大所高所から発言すべきなのか、それとも自ら論議の渦中に分け入って賛否を表明することもアリなのかということです。
 前者の方が無難ではあるのですが、毒にも薬にもならぬ発言になり勝ちです。後者の方が多少難はあっても、問題提起にはなると思い、つい突っ走ってしまうのです。
 まあ、教主でも教務総長でも、センター長ですらもない、無役の一教会長ならば大目にみて頂けるのではないかと考えております。また、今のところ右派であろうと左派であろうと、ご縁のある方々とは仲良くさせて頂いております。」


 坊っちゃん(男 40代 ) R.3.11月

 『神様は懐が深い』ということは、実にありがたいことだなぁと思っております。
 社会を生きていく中で、もちろん願いの適否はあろうかと思います。
 日常、いろんな感情と向き合う私たちにとって、四角四面に融通の効かない神様に『見張られている』ならば、毎日が窮屈でなりません。
 しかし、懐の深い神様に『見守られている』と思えるならば、日々、私たちは失敗や反省を繰り返しますが、それもひっくるめて、気づきの機会を与えて下さっているんだなと思えるからです。

 「神様は人からみれば実に長い長い目で、人間がこの世とあの世を幾度も往き来しながら成長進化していく樣を見守っておられる」

 ……先祖からのめぐりというものがあるならば、今世で取り払って頂きながら、来世へと繋げさせて頂きたいです。
 と同時に、今世で、叶えさせて頂けない夢も多々あろうかと存じますが、『魂は生き通しじゃ』と、希望を来世、来々世……と、後々の世へ繋げさせて頂きたいです♪

 「神様は、まことに愚かで無力で弱い人間の、間違いだらけかもしれぬ自由意志を、それでも最大限に尊重しながら、その意思に根気よく寄り添ってくださる」

 ……根気よく寄り添って下さっているありがたさに感謝申し上げながら、日々を丁寧に過ごさせて頂きたいです。

 「いつどんな境遇にあっても、神様に心をむけて最善を尽くして生きようとしさえすれば、そのままでもお役に立てるし、実際神様がいいように使ってもくださる」

 ……自分自らの計らいだけでは、なかなか限界もあろうかと存じますが、神様に心を向けさせて頂きながら、日々の営みを大切にさせて頂きたいです。


 教会長より

 S.Sさんと「坊っちゃん」さん、お二人の感想が出揃うと、両脇士が揃ったようで、やはり心強いです。その上、私自身が心に深く刻み込もうとしている言葉ばかりを選んで下さっているのが有難いです。
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「37教典について語る 2」について
 M.O2さん(男 教会長の弟 79歳) R2.10月
 
 自分は10歳の頃、一体と信じて疑わなかった母親と、皮一枚で互いに赤の他人と気付いて慄然とした。自分は孤独なのである。それは進化して暗黒の宇宙に浮かぶ孤立感に、太陽系に浮かぶ小片の感覚になった。ふと気づけば地球上にいるが、それは仮の姿でしかない!
 年齢が進むと、「宇宙の歴史の一瞬に居るに過ぎない」と言う時間感覚も伴うようになった。とは言え現実に戻ると、感知する限りを豊かに快適に暮らしたい、その一念で活動してきた気がする。
 時々、見知らぬ人に初対面で人生相談されることがある。心の中は不安や怒りの嵐でも、何処か冷めて、大概の人を赦している、その表面的穏やかさに気を許すのであろうか?
 信仰する人には申し訳ないが、信仰とは、悩む知性を封印して仮の安心に浸っているように思える。暗黒の果てしない思考世界が怖くて、狭い垣根に安住すれば、不確定感に悩む必要が無くなるのである。「聖書が言ってるから地球は平面だ」とも主張できるのである。
 我々は万物の一端に過ぎないが、生あるものとして、その生をより確実にしたいという欲望が行動の原点であり、絶対的な豊かさと隣人との相対的優位の間で揺れている。地球全体の幸福を優先するか、自己利益のみを追求するか人それぞれであるが、その中間で、集団がどのあたりに在るかが、いわゆる民度の尺度ではなかろうか!


 教会長
 親達への複雑な思いは、養父母に育てられた私にもある。お互いそのことにはあまり踏み込まないようにしよう。

 悩む知性を封印する必要は全くないと思う。全開するといい。
 しかし、悩むにしても悟るにしても、それなりの才能が要求されるので、信者であるなしにかかわらず、封印するにも値しない知性の持ち主が多いのも確かだ。
 それでも誰であれ、個々の人間はみな能力の限界というものを抱えている。信者にとって重要な課題は、悩むにしろ悟るにしろ、自分の能力の限界を少しでも押し広げて新たな認識に達することである。話をするにしても、毎回、誰もまだしたことのないような語り口を工夫するのが大変なのである。その蓄積がちょっとした威力を発揮するようにでもなれば、努力のし甲斐があるというものなのだが…。

 それにしても、どれほど理屈をこねようと、「神通力」のある人には勝てんね。神通力のある人のところへは、何百里離れていても人は寄っていく。教祖の神通力は半端じゃなかったからね。亡くなってからでも、電話も電報もない時代に、主だった信者はみな知らせを受けたそうな。近藤師も知らせを受けてすぐ、三日がかりで駆けつけなさったそうな。
 逆に、神通力のない人間が布教していくというのは、誠に困難を極める。しかし、それにもそれなりの意義はあるのだと思う。


 M.O2さん
 遠方交信はオーストラリアのアボリジニもやってたようだ。シベリアは人口希薄であるが、30㎞先にしか人がいない所でも互いの動きを感知し、男女の出会いもあった。余談だが、レーニンは「ロシアは無人地帯を探検開発した」とロシア帝国の領土拡大を正当化していたが、シベリアは希薄とは言え人々のネットワークがあったのである。
 ラスプーチンは人の心を読み、運命も見え、自分が暗殺されることも予知したと言われる。世間にはオーラを感じさせる人もいる。研究開発でも、100回実験しても進路をつかめない人と、2~3回の実験で可能性を導き出す人がいる。この直観力の差は如何ともし難い。麻原彰晃も近くにいるとその人間力に圧倒されるのかもしれない。西郷隆盛も、会った人間はメロメロになったそうである。
 現時の科学知識では説明できない特殊能力だが、大部分の、特殊能力を有さない人達が人間社会をうまく運営するには、絶えざる努力が必要である。努力の中には信仰力もある。信仰できない人間には更なる努力が必要であろう。努力を厭うと組織は腐敗する。
 科学も信仰も万能ではない。我々凡人は短い一生を、流れに身を任せながら、生を全うするだけなのかねー!


 教会長

 「神通力を持った人」と言うより、「神通力を持った徳者」と言っておくべきであったかも知れない。飛び抜けた「神通力」はなくても、信心して徳を受けられる可能性は、一応誰もが持っていると言えるだろうから。


 S.O2さん (女 弟の妻 70歳前後) 弟が代筆

 神様とは自身の心の中にあるのでは

 幼少の頃、生家の離れに一人の老婆が住んでいた。満州で財を成し、大勢の使用人を置いていた方だったと言う。終戦で引き揚げ、親戚に身を寄せたが、折り合い悪く我家に助けを求めて相談に来られた。父は小さな離れを提供し、そこに居住されることになったと言う。
 私はそのお婆さんが、朝な夕な庭に出て、天地に手を合わせる姿を不思議に思い、見詰めていた。そのうち真似をし、隣に立ち手を合わせると、「おりこうさんネ」とお菓子をくれた。それからはお菓子欲しさに度々繰り返していた。神様は世界中においでになる。金光様の事だったのかな?被造物ではなく、心の中の神様、壁に面しても神様に会える。大好きな言葉です。これからは天地に手を合わせたい気持ちになりました。


 教会長

 Sさんの参入、嬉しい限りです。
 「神様とは自身の心の中にあるのでは」:
 まさにその通りで、我々も同じように考えています。しかし、「わが内なる神」というのはテーマが大きすぎて、まだこれまでキチンと考えたことがありません。今は安易な発言は控えたいと思います。
 ただ、実践面では、わが心に浮かぶ全ての感情や考えは、「授かりもの」として、まずは価値判断抜きに大切に扱い、全体として自他共に立ちゆく方向に導いてほしいと願い続けています。

 S.Sさん(男 60代 海外在住)R.2.10月

 今回は内容も深いですが、ボリュームも凄いですね。圧倒されました。

 先生のお話の間口が広く深いので、以下ぶつ切りで小学生の感想文みたいですが。。。

 せめて知識としてもっと広めたい:
 いいお話やよくよく考えてみたら怖い話も多く、本当にそうだなあと思います。

 近藤先生が明治14年初参拝:
 市村さんや山本先生はその少し後だと思いますが、よく二年弱の短期間で皆さん集中してお話を聴き、文章にされ、解りやすく咀嚼されたなあと思います。

 神の中をわけて通りおるようなものじゃ:
 2つのやや異なる内容が一つの文章に入っているのを私も少し不思議に思っていました。経緯が解りました。

 天地金乃神の御神体は:
 蜘蛛の例えでお話が3つありますが、その中では伍賀先生の女郎蜘蛛の文章が一番カラフルで絵になり心に残ります。伍賀先生は元神官?元山伏?だったと聞いたことがありますが、それが感受性、文章力に何か関係しているかもと思いました。

 大阪は広いなあ、しかしけし粒よりは小さい:
 空間と時間を超えているわけで、宇宙空間から地球を見ている感じですね。ブラックホールでは時間も歪曲するそうです。
 金光様は養父養母のおかげで庄屋の小野氏の寺子屋で二年間勉強されたと聞いています。小野氏は当時の最先端の天文学者でもあったそうなので、文字書きそろばん以外にも宇宙全体について学んだと思います。

 金光様のお言葉は平易ですが中身が深いので、自分で考えて深堀りしないとなかなか深い部分にたどり着けません。中身の底まで行かないと文章を知っているだけで結局使えないで終わってしまいます。
 お言葉に、だからXXXXXX、なぜならYYYYYYをつけて自分でしりとりの様に文章を繋げていき、自分の体験も交えて咀嚼する作業が必要だと感じています。個人的見解です。

 写真にある立教聖場は私も行ったことがあります。そのときも不思議に思いましたが、昔は左側の霊殿がなくただの扉のようですね。当時は死後の世界は仏教、現世頼みは神様と別れていたのかもしれませんね。

 金光様があまり霊界について述べていないのは、現世を大事に主体的に生きるのがより大事だというのもありますが、神様から「あまり世間に言うな」と口止めされているかもしれませんね。ただし、其のため宗教としてのロジックの完成度がやや低下して人に説明しづらいのかもしれません。佐藤宿老など気付いていたはずなんですが。。

 弟さんとの対話いいですね。

 教会長

 話の分量はいつもとそんなには変わらないのですが、いつもより多く引用した教祖の教えの持つパワーに「圧倒される」思いをなされたのではないでしょうか。

 同じ教えを何種類も並べ比べるというやり方を、面白いと感じてもらえるか、わずらわしいと思われてしまうか、不安だったのですが、S.Sさんの場合は吉と出たようで、少し安心しました。

 「宗教としてのロジックの完成度」が低いために説明がしづらい、というようなことは、たしかにつねに感じてきたことではあります。反面それは、自由裁量の幅も広いということで、完成したロジックにがんじがらめに縛られるよりは、幸運なのかもしれぬとも思います。
 ひょっとしたら我々は、全ての問題を個々に神様と向き合いながら解決していく、すべての生き方を、個々に神様と向き合いながら生み出していく、という独特の信心スタイルを授かっているのではないか、という気さえしてきました。

 S.Yさん(女 95歳)R.2.10月

 今度のお話は大変心にしみました。今日一日を大切に出来る事をさせて頂いて居ります。


 J.Kさん(女 80代)R.2.10月

 屋根屋さんと井戸屋さんのお話とても心に残りました。


 教会長より

 たった一行でも感想を頂けるのは嬉しいものです。それが肯定的なものなら尚更です。思わぬ枝葉の部分が心に残るというのもよくあることです。それもひとつの収穫と言えますね。


 Y.Aさん(女 50代) R2.10月

 金の杖のお話しでございますが、「一生死なぬ父母」の比喩はすごいですね。今の私にとって金光様は、一生死なぬ父母なのでございます。

 教祖の教えの認知度はまだまだ低い…
 実は自分以外に金光教ファンを見つけました。最近の楽しみ事はYouTubeなのです。偶然にとあるチャンネルに出会いました。循環器内科の開業医をされている錦城ひかるさんという方のYouTubeなのです。
 動画では金光教や黒住教のお参りのエピソードなどを話されています。宗教精神世界にとても関心がお高く体験も数多くあるご様子なのです。
 https://youtu.be/0AvGkor40ho

今回はまたとても深いお話しでした。何度も読み返しながら勉強をさせて頂きたいと思っております。


 教会長より

 今度のお話は私としては比較的ラクに準備ができたのに、それでもいろんな方が深く心に響くように言って下さるのは、やはり、教祖様の教え自体に備わった力なのでしょうね。

 錦城ひかるという方のYouTubeの最近の話を幾つか視聴してみましたら、とても興味深い話をなさっています。そして実際、金光教祖のことも頻繁に話しておられます。(「鬼滅の刃について」や「サイババの話」など)さらに時間をかけてゆっくりと視聴してみたいと思います。


 坊っちゃん(男 40代 ) R.2.11月

 今回のお話は、一つ一つの教えが、教祖様の岡山方言から、かな表記・漢字表記を含め、標準語表記に寄せて修正されていく様子。とてもおもしろいな~と、興味深く読ませて頂きました。
 教祖様の、やわらかい岡山方言の良さ。教えを標準語的にスッキリ整える良さ。教えを理解する上で、どちらも、それぞれに良さがありますね。

 私自身は、子供の頃から、金光教の教えに触れる際、神様からのお言葉を頂くというイメージよりも、何でも明解に答えてくれるおじいちゃんが、孫に話し掛けてくれているようなイメージを持っています。
 やはり、それは、教祖様のやわらかい岡山方言の話し言葉による、独特の優しさに触れているからなんだろうなと思います。
 学問的に整備された心理学やカウンセリング等々のテキストでは、なかなか方言で表記するわけにはいかないですものね(笑)。
 そういう点は、宗教の成せるわざなんだろうなと思います。

 教祖様ご在世の頃、まだまだ交通環境の整わない中、福嶋儀兵衛先生、近藤藤守先生、桂松平先生はじめ、教祖様のもとへ参拝なさった方々のご苦労を思いますと、ただただ頭が下がります。
 そして、その教えの数々を、今日まで伝え残して下さった方々のご努力。そのご努力のおかげで、今日を生きる私たちの胸にまで教えが響き、時代を越えて、心の糧とさせて頂けていることに、ただただ感謝するばかりです。

 日々、教えを頂きながら、客観的に自らを省みながら、一歩一歩、謙虚に過ごさせて頂けたらな~と思います。


 教会長より

 少し前に、語り口を工夫するのが大変だとは言いましたが、どう工夫したのかはっきり自覚できないくらい、ごく自然な成り行きであのような話になってしまいました。私は最初、ただ選んだ教えを刷った紙片(今日のみ教えという)を並べて眺めていただけでしたのに。
 

 「教会長からのメッセージ64」より R3.6月

 当初はそれほどでもなかったのですが、ここ数ヶ月「37金光教教典について語る2」の閲覧数が突出しています。タイトルも「2行広告」も、他に比べてさほど目立たないのに、それほど閲覧してくださるというのは、リピーターの方が多いということでしょうか。その「人気」のヒミツを、多くの方からご意見ご感想を頂いて解き明かしてみたいものです。一言でくくれば、金光教祖様の言葉の力に魅せられてということなのでしょうが…。
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「36教典について語る」について
 S.Sさん(男 60代 海外在住)R.2.4.22

 「教典について語る」、素晴らしいですね。特に、小さいこと、大きいことに関わらず願うのと同時に、立派なこと、立派でないこと、我欲も含めて共に願うというのはいいですね。実践的です。早い話、遠慮せず何でも願え、おかげは「神が」やるということだと思います。

 以下、細かい点ですが感じたことを。。。

 第三類が旧教典だとは知りませんでした。中身が妙に充実しているなと思っていましたがそうだったんですね。
 特に、51の教組ご理解、二代白神先生著、100の金光教組ご理解、本部編、50のご理解拾遺、佐藤先生著、の計201節は一歩踏み込んだ話だなと思っていました。

 他の先生の「各国の元首に置き換えれば、、、」の趣旨もよく分かります。明治期の教団の置かれた状況もそうですし、金光教の国家には逆らわないという基本の性格もありますし。ただし、教組は「天子様の先祖はアマテラスオオミカミで、所詮は人間。天地金乃神とは次元が違う」と仰っていますが。。。 
 不敬罪のあるあの時代によく出版できたなーと思います。江戸時代も大変でしたが、明治に入り天皇制が強化されたので、より大変だったようです。

 金光大神という神号を与えられたのは3人~4人だと思います。教祖様、笠岡金光大神、片岡金光大神、高橋富枝先生。冨枝先生は女性なので、男尊女子が残っている時代なのか、金子大明神でした。教祖様とお結界での相対座を許されています。
 また、笠岡金光大神は金光町にお参りすると、必ず教祖様と食事し、帰るときは玄関まで教祖様のお見送りがあったようです。それも自発的にではなく、神様から教祖様に「そうするように言われた」とのことです。この辺りも不思議な話ですが。。。青木茂氏の本にありました。

 教典を読むと、笠岡金光大神と高橋富枝先生のお話の分量がアンバランスで少ないと思います。これらを将来付け足せればと思っています。笠岡教会と六条西教会へ行く必要がありますが。。。
 また、第一類や第二類では明治10年以降の入信の方のお話が多いように思います。この、直信でも古いお二人はやや神秘的なところがあり、教団をきちんと文化的に秩序づける必要のあった四神様と合わなかったところがあるのか、編者が教典に掲載しづらかったのかもしれません。佐藤範男先生が間に入って大変だったようです。あくまで私の推測です。

 日本もコロナウィルスで大変だと思いますが、お体にお気をつけて。


 教会長より
 「立派なことと立派でないことの区別」どころか「正しいこと正しくないことの区別」」さえも相対化してしまっていいのかどうか、疑問に思う方もあろうかと思います。教祖様の広前に連れ立って参った人達の中にいた小盗人に対して「もう、来るな」とご裁伝(神のお告げ)があったという話が伝わっていますが、これなどは確かに白黒がはっきりしているように見えます。
 しかし、神様はこちらの境遇や心の向けよう次第で、百人いれば百通りの対応をして下さるので、この場合も、白黒を決めつけて切り捨てることに重点があるのではないと思うのです。その盗人を救うには、一旦「もう、来るな」と突き放した方が本人の為になるとしてそうなさったのであって、決して見捨ててはおられないのだと考えています。
 第三類の内容として列挙されたものの中で、旧教典に含まれていたのは「100の金光教組ご理解、本部編」のみです。そこに名前は挙げておられませんが12の「神(慎)誡」と70の「神訓」とが加わって旧教典は構成されていました。  
 戦後の旧教典にはそこに確か天地書附も掲げられていたと思いますが(もう手元に一冊も残っていなくて、写真は金光図書館でわざわざ撮ってきたものです)、手元にある戦前(昭和8年刊行)の「金光教大要」という教典も含んだ小冊子には、何故かそれも掲げてありません。チラと聞いた話では、天照大神(あまてらすおおみかみ)よりも偉い神様があってはならないので、公にすることが憚られたのだと聞いた記憶があります。
 それにしても、直信と言われる人達のことを、普通の先生方以上に、ほんとによく知っておられますね。私も知らないことだらけです。


坊っちゃん(男 40代 ) R.2.5.12

 私たちが生きていく中で、心の支えや励みにしているものには、何があるのでしょうか?

 経典だったり、ことわざ、四字熟語、好きな本の中の一節、好きな曲の中のワンフレーズ、映画やドラマ、コント、アニメやマンガ等のワンシーン、有名人の言葉、家族・親戚・友人・知人からの言葉等々、数え切れない程、いろいろあると思います。

 それらに共通しているのは、おそらく、『分かりやすい』とか『合点がいく』、といったところではないでしょうか?

 2020(令和二)年、新型コロナウイルスの感染拡大という嵐が、世界中に吹き荒れました。

 多くの命が奪われ、世界中に大混乱が続く中、私たちにできることと言えば、手洗い・うがい、3密(密閉・密集・密接)を避ける、マスクの着用、ソーシャルディスタンス(人との距離)を保つ等々。

 こういったことにしましても、できるだけ『分かりやすく』頭の中に整理しておかないと、つい忘れたり、習慣やマナー、行動変容として定着しにくかったりといったことがあると思います。

 新型コロナウイルスで、コメディアンの志村けんさん(享年70歳)、女優の岡江久美子さん(享年63歳)が、お亡くなりになられました。

 ご冥福をお祈り申し上げますと共に、私自身、お二人共、子供の頃から大好きでしたので、追悼番組等々、いろいろ拝見していました。

 志村けんさんは、誰が見ても笑える笑い、『分かりやすい笑い』、を追求されていたことが印象的で、やはり、今見ても、いつ見ても、志村けんさんの笑いには噴き出してしまいます。

 岡江久美子さんは、『いい夫婦の日』に、夫の大和田獏さんとのインタビューの中で、いい夫婦で居続ける秘訣を聞かれ、ご自身たちはと前置きされた上で、「価値観が同じ」、あと、「いい距離感」とおっしゃっていました。

 また、岡江久美子さんは、薬丸裕英さんと17年半司会を務められた、TBSの朝の情報番組『はななるマーケット』の中で、座右の銘を聞かれ、「~らしく・~振(ぶ)らずに」、あと、「毎日が祭り!」とおっしゃっていました(笑)。

 やはり、ここでも、『分かりやすい』から心に響き、『分かりやすい』から心に残る……、といったところに繋がってくるのではないでしょうか?

 文語体であれ、口語体であれ、『言葉の響き・音の響き』というところも含め、分かりやすさや、心への響き具合に、大きく関わってくるんだろうなと思います。

 古来からの七五調等もそうですが、時代の流れと共に、『ラップ』なんかも、『言葉の響き・音の響き』を大切にする、現代若者文化と言えるのかも知れません。

『古池や、蛙(かわず)飛び込む、水の音』だと情緒もありますが、『古い池があります。蛙が飛び込みます。水の音がします』では、「ふ~ん、で、それが、何か?」ってなってしまいますよね(笑)。

 落語の小噺(こばなし)風にちょっとアレンジして、『池の端(はた)でチャンポン食べてる野郎に、チョイと訊(たず)ねてみたんですがね、「古池に、蛙が飛び込んだんだってね?」「チャ(ン)ポ~ンッ!」』と、テンポよく、ひとボケするなら、多少は雰囲気とオチも伝わるのかも知れません(笑)。

 私が、金光教でありがたいなと思えるところは、角埜先生も書いておられますように、「身の上のこと何なりとも、実意を持って願え」と、ほとんど一切の条件や制約が設けられていないというところですね。

 大きいこと・小さいこと、立派なこと・立派でないことの区別なく、心の底から本気で願わずにおれぬことのみを願わせて頂けるというのは、ほんとありがたいです。

 岡江久美子さんの言葉を少しお借りしますなら、「自分らしく、かしこ振(ぶ)らず、エラそ振らず、ありのまま、分をわきまえて願わせて頂ける」、ということになりますね。

 『生神金光大神、天地金乃神、一心に願。おかげは和賀心にあり。今月今日でたのめい』

 言葉の響きも音の響きも、心に響き、残りやすいですよね。

 「何を願うにしろ、つねに感謝の気持ちが土台になければならぬ、ということです。『おかげは和賀心にあり』=『おかげは和らぎ喜ぶ心にあり』なのです。和らぐという言葉には、人と争わない穏やかな心という意味が含まれ、おかげになるもならぬも自分の心次第という掛詞(かけことば)にもなっているようです」というところ。

  願う人の土台に、万物への感謝があるのか? それに伴う人格や人徳が備わっているのかによって、言葉や願いの重み・説得力も変わってくるんだろうなと思います。

 例えば、ちょっと話は変わってしまうかも知れませんが、選挙においては、「その候補者の土台には、万物への感謝の心や思いやりの心があるのか? 人格や人徳も備わった言葉や願いを発しているのか? ただただ聞き心地だけがいいキャッチフレーズや政策ばかりを連呼しているだけの候補者なのではないだろうか?」と、『分かりやすい』=『聞き心地のいい』言葉の深浅には気をつけないといけないなと思っています(笑)。

 『実意をこめて、すべてをたいせつに』と書かれた、金光鑑(かがみ)太郎先生(4代目教主)の色紙が、昔から我が家に掲げられています。

 角埜先生もおっしゃられていますように、「自分にはどういう願いが授けられてあるのか? 神様は、どういうことを、自分に、真剣に願わせて下さるのだろうか?」という、『願いそのものも授かりものである』という視点も大切にしながら、自分なりに、実意を込めて、全てのことは無理ですが(笑)、できる範囲で、それなりに、それなりに……、分をわきまえ、日々大切に、過ごさせて頂きけたらと思います。
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「35健全な愛国心を取り戻したい」について
 教会長より

 この話の中で、雑誌「正論」元編集長で、今も更に精力的な言論活動を続けておられる上島嘉郎(かみじま・よしろう)氏の著書「反日メディアの正体」からの引用文をホームページに掲載するにあたって許可を求めましたところ、快く了承して下さり、次のようなコメントも頂きました。

 「文章を拝読しました。論旨明瞭ですね。

 M新聞というのは毎日新聞でしょうが、それのみを長く読まれてきた方が、日々の情報や思想の偏向から脱するのは容易なことではなかったと思います。

 御年82歳という人生の先輩に失礼ながら、感心しました。

 『反日メディアの正体』に御着目いただき、有難うございます。どうぞお元気で…。」


 坊っちゃん(男 40代 ) R.1.11月

 今回の先生のお話を読ませて頂いて、恥ずかしながら、私自身、平和ボケ世代であることを、自覚はしていたつもりでしたが、甚だそうであるなと、再確認させて頂きました。

 とは言うものの、戦争という特殊な危機的状況下において、『日本の戦争責任』と、日本ばっかりが責め立てられていることには、疑問は持っておりました。

 先生が書いておられます、『自分自身の行い以外のことについての反省は、余程慎重でなければならない』、『とりわけ国家の行動について、教え込まれた批判を鵜呑みにしてはならない』、『我が国のみが一方的に悪かったのだとする反省は、かえって有害である』は、ほんと、そうだなと思います。

 巧妙に、とことん日本を追い詰めて、戦争を仕掛けさせたルーズベルトの思惑のお話には、ほんと驚きました。

 戦後の、『占領軍による巧妙な洗脳工作WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)』=『戦争についての罪悪感を日本人に植え付けるための宣伝計画』。

 これに基づく、占領軍の思惑、並びに、占領軍に同調した日本人の特定勢力の思惑によって、日本人から、日本人としての、『健全な』誇りや愛国心を奪ったんだなぁと思いました。

 私もそうでしたが、学生の頃っていうのは、余程の歴史オタクでもない限り、検定済みの歴史教科書とそれに基づく参考書等での学習のみで、定期テストや入学試験を受け、終われば忘れる、というのを繰り返して来ました。

 何年に何があって、その出来事の大まかな理解ぐらいだけして、いざ、テストに臨むというぐらいが精一杯でした。

 で、教科書的な正解を書き、それが正解とされ、試験を突破してしまえば、自分の中では、その歴史認識が正解となってしまう。すると、そこで自虐史観が、また一人、またまた一人……と、若い世代の中に醸造されて行く。

 いろんな歴史研究家の、いろんな見方や調査結果に触れていたわけではありませんから、なかなか多角的な見方が育ちにくいというのが実状だったのかなと思います。

 長年に渡る、北方領土や尖閣諸島、竹島等々、隣国との間に存在する領土問題と隣国のその振る舞い。

 また、南シナ海に、勝手に軍事拠点となりうる人工の島を建設したり、漁業では不法操業したり、何発もミサイルを飛ばしたりとか、言い出したらキリがないほど、隣国が、好き勝手やっている現状。

 隣国の、そんな自分勝手な振る舞いや実効支配・占拠状況等々を見ていると、こんな好き勝手なことができる神経の持ち主たちから、戦争中、日本だけが悪いような言われ方をされるのは、おかしいんじゃないかと思います。

 国が違えば、考え方も違う。国益が関われば、尚のこと。折れたり、譲ったり、妥協したり、全ての認識や理解を乗り越えて、円満に解決するなんてことは、難しいのかも知れません。

 これから先、100年先か200年先か分かりません。500年先かも1,000年以上先かも知れません。

 それでも、いつか、それぞれの国の人たちが、不幸な全ての過去を超越した解釈と境地に達し、それぞれに健全な誇りと健全な愛国心を持って、互いに敬意を払い合い、地球全体が、"ONE TEAM(ワン・チーム)"、になれる日が来ることを、お祈りしたいと思います。


 M.O2さん(男 教会長の弟 78歳) R1.11月

 同感!頑張るねー!受け入れられたら良いね!
 こちらも色々な仕事仲間と付き合い、チラっと本音を漏らすと「もうちょっと中国を好きになって下さいよ」と言われた。
 以前、民主党が大勝するという選挙予報に、「あの鳩山・小沢では日本の行く末が案じられて夜も寝むれ無かった」と話したら「本当ですか!」と異星人扱いで驚かれた。
 こんな人々が日本の研究社会を主導しているのである。彼らが「最近の若者は保守化している」と嘆くのを聞くと「若者こそ現実を見つめている」と内心思うのである。最新の情報を得るには、付き合いは大切、なるべく政治談議は避けている。
 卒業大学仲間の地区同期会を主宰しているが、大学や大企業の中核以上、中に日本のエネルギー産業を主導してきた連中もいて、地球の温暖化を含めて議論するのであるが、その連中さえも米国民主党を支持して「トランプ弾劾」を叫ぶのである。全学連の元闘士もいる。吾らの受けてきた教育から抜けられない「半テリ=インテリに満たない人々」集団の中では本音を語りにくい。
 
 財政赤字については、そもそもバブル崩壊を騒ぐ経済学者達が信用できなかった。それに乗って赤字を膨らませていった歴代政府は愚かというしかない。災害の常態化、中国・半島との軋轢、この荒波を巨額赤字を抱えながら、長期にわたって乗り切っていかねばならない。取り敢えず日々の務めをこなしているのだが、機会があれば語り掛けていきたいと考えているが、そちらも頑張ってもらいたい。
 追伸:1980年代後半、財政赤字と貿易赤字という2重苦に苦しむサッチャーとレーガンが話していた。「なぜ日本だけが黒字なんだろう!」その後「世界の景気振興に貢献せよ」という名目で日本に赤字財政出動の圧力を掛け続けたのは周知の事実。
 
 教会長より
 「赤字」についてはあまり気にしなくていいらしい。肝心なのは国全体の供給能力であって、これを緊縮財政ばかり続けて、必要なところに能力を活かしきれず、長期間デフレから脱却できないため、すっかり国力が衰えてしまったのが一番の問題らしい。


 S.Sさん(男 60代 海外在住) R.1.11月

 愛国心の部分は100%賛成で、海外から見るとごく当たり前の普通の常識的なことが書かれているなと思います。尚私の国籍は日本です。

 世界中どの国も隣国とは歴史的に上手くいっていません。隣近所とはゴミ出しやハトの餌等もめ事が多いのが普通です。

 日本の財政赤字は自民党ならまだしも野党になったら確実に更に増えます。

 今の収入は50兆円、支出は100兆円。老人向けの医療費、介護費用が少子高齢化の中どんどん増えていますが、もう止める方法はありません。腹八分で満足するピンピンコロリの時代に戻れば別ですが。。。

 実は新薬の半分以上は欧米の製薬会社のものなので、日本はいい鴨になっています。また医療機関、介護施設も老人を限界まで延命したほうが現金と50%-90%の補助金で儲かるので、誰も表面上は損をしない制度になっています。

 やがては財政赤字は破裂して円安にふれ、資産価値は半値八掛け二割引に下がります。その時はお金のある中国、韓国、インド、欧米が日本の資産を安く買い叩く予定です。経済活動としてはごく普通のことで知らない人はいないのでは。

 教会長より

 私も「メッセージ58」の中で、この程度のことが「常識」にならなければ日本は危ういと言った矢先でした。
 
 赤字財政と言っても、本質は長期間緊縮財政で、本当に必要な費用を削り続けて来たがために、デフレから脱却できず、供給力そのものが縮小し、国力が疲弊してしまった、というのがMMT派の主張のようです。
 私もまだよく理解していないのですが、政府の赤字は国民の黒字、政府の黒字は国民の赤字であるという彼らの主張が腑に落ちるかどうかが一つの分かれ目になると思います。したがって、あくまで財政の健全化(黒字化)を目指すという今の政府(財務省)の方針は「 狂気の沙汰」だというわけです。
 OさんとSさん両インテリの意見を読んで感じますのは、そこのところ、一度はその派の入門書みたいなものにあたってみた人でないと、赤字財政ついての考え方が、なかなかかみ合わないのだなあということです。
 私にもわかるのは、主流派経済論者たちが,いつまで経ってもデフレ脱却という公約を果たせていない、と言うか、長期政権をもってしても、とうとう果たせなかったことだけです。
 

 Y.Aさん(女 50代) R.1.11月

 今回のお話は、正直難しく感じられました。しかし内容を完全に理解できていない私でも、先生の感じていらっしゃることやお考えはよーく伝わってきましたし共鳴いたしました。
 新聞やテレビ、書物からの情報は嘘が多く、情報元の人たちによる刷り込みに知らず知らずのうちに洗脳されかかっている自分に危うさを感じてしまうことがあります。もちろんネットの情報だけを鵜呑みにすることはありませんが、真実の見極めが出来る自分にならなくてはといつも心しております。

 したたかで腹黒い国際社会の見出しには、はっとさせられました。
 私自身がまさしく現在、隣人たち(隣に住む隣人ということではなく、私が営んでいる小さな社会)との共存、折り合いというものにどう対処していくのが最善なのか、と日々模索中だからなのです。
 こちらが一歩下がれば、向こう様はそこの一歩を踏み込んでくる。
 お先にどうぞがしにくい現代。ルーズベルトやチャーチルは今でも隣人のように身近にいるかのようです。

 自分はどのような考えや態度でこのさき生きていくべきか?

 【我々に今できるのはただ祈ることのみです。しかもこれは誰にでもできることではありません。我々信心させて頂く者だけにしかできないことなのであります。一人一人の力は本当に微々たるものに見えますが、同時に、祈るという行為には、無限の力が秘められてもいるのです。そこからまず始めるならば、その力は必ずや大きなものになっていくはずです。迂遠なようでいて、実はそれが一番の近道なのであります。】

 有難いことに今回もまた先生のお話の中に答えを頂くことができました。日々の祈りが自身を助け、そして周りの者までが助かっていく。これからも祈りがおかげに繋がっていけるよう、出来得限り明るい気持ちを持って生活させて頂こうと思いました。

 T.Oさん(男 教会長 70代)R.1。12月

…世界の国々の力学関係のなかで、広く細かく分析の眼をはたらかせ、いかにして愛する日本が他の国々ひとびとの上に祈りをこめさせて頂くか、そのリアルな世界情勢の分析とともに、貴重な眼くばりについてお話下さってゐて、実に若々しい柔軟な頭脳の冴えを、うれしく、ありがたく、共感深く、拝読拝誦させて頂いた次第です。…
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「34改めて死生の安心を問う」について
 H.Kさん(男 教会長の孫 29歳)H30.10月

 余談も含めておもしろかった!


 M.O2さん(男 教会長の弟 77歳) H30.10月

 この世には「人智を越えた何かがある」と考えられる。宇宙エネルギーで、吾らが知覚できるのは其の5%に過ぎないとのことである。
 霊については、今ある人間だけでも70億の生き霊、最初はどうして生まれたのか、増え続けるのか、霊にも死があるのか不明である。

 例1
 北本に暮らしていた頃、ある日曜日の朝、駅前のパチンコ店に呼ばれる気分で目覚めた。10時前であった。ふらふらっと自転車に乗り、駅前のパチンコ屋へ、開店直前であった。開店に伴い入店、手には百円硬貨一枚のみ、玉12個と交換して、10年近いブランクで最新の機械に戸惑いながら1台目、玉は増えも減りもせず、これじゃない2台目、やや増加、これでもない3台目、急にじゃんじゃん玉が出だして、10分程で打ち止め、山の様な土産と現金で合計6千円相当、15分間の稼ぎ、「守護霊の悪戯」としか言いようのない出来事であった。
 後日談:欲が出て、その後は呼ばれもしないのに通うこと数回、忽ちすってんてん、あの日稼いだ分を結局摩ってしまった。
 
 例2
 20代の頃、結婚を決めた。何かが猛反対した。男が一度口にしたことを止められるか!・・これでもかこれでもかと妨害があった。それでも強引に進めようとしたら、とうとう仕事中に火災を起こして大やけど入院した。式の一ヵ月前であった。入院してふと見ると、ベッドの足元で、亡き父親や事故死した2人の兄たちが「止めろ!止めろ!」と騒いでいる気配がした。それでも強引に挙式して、何とインポになった。これには遂に降参。破談に至った。次の結婚の時には妨害が全く無かった。むしろ後で聞くと、色々な危機を無意識にかわしていたことが判った。ほんの僅かの行き違いで成立していなかった。2人の守護霊が結託して結婚へと仕向けたとしか考えられない。


 M.Oさん(男 教会長の兄 85歳) H.30.10月

 いつも思うけど、今回もよくもこんなに死生観を掘り下げて考えるなと感心するばかりだ。
 そしてO家の系統に生まれて奇跡の様に信仰心厚い角埜の血を継ぎ角埜に旨く養子にはまって活躍しているなんて、神のお導き以外にないとつくづく思うね。
 安っさん以外誰も宗教心なく神信心してないしその能力も無いし、養子に行ったのが“安っさん”でよかったよ。


 教会長より
 
 珍しく私の孫、弟、兄のそろい踏みです。
 弟の飾らぬ感想に、敢えて掲載許可を求めたのは私ですが、その後、立派な男子2人を得たことだけは、弟の「名誉」のためにつけ加えておきます。
 兄の感想については、きょうだいのうち私にだけ宗教心があったというのではなく、教会にもらわれてきた結果、本来誰にでもある宗教心が無事育ったというべきでしょうか(はじめから順調にというわけではありませんが)。
 昔、新章文子という推理作家の書いた四柱推命の本で自分の運命を調べてみたら、「養子の命」と出ました。天乙貴人という芸術、宗教の星というのまでありました。やはり何かにあやつられて生きているのかも…。


 坊っちゃん(男 40代)H.30.11月

 人間、年齢(とし)を重ねるごとに、生きること・死ぬことについて、考える機会が多くなると思います。
 『年齢を重ねる』=『家族、親戚、友人、知人等々、身近な人たちの死に接する機会が多くなる』ということも、大きな要因だと思います。
 そこで、人それぞれ、どういう死生観を持ち、その時点から、どういう生き方をするのか?
 それぞれに課された課題なんだろうなと思います。

 そういう意味でも、勝五郎さんの生まれ変わりの話は衝撃的だなと思います。
 8歳の勝五郎さんが、ただただ、「私は誰々の生まれ変わりだ!」、的なことだけを言っていたのなら、「こいつ何言うとんねん?!」で終わってしまいますが、知っているはずもないことが、次から次へと語られ、それが事実と合致している。
 科学で証明されているか・いないか云々より、勝五郎さんの場合であれば、藤蔵さんの生まれ変わりとしか言えないなぁと思います。

 と同時に、遥か遠い過去から……→前世→現世→来世……→そして、遥かかなたの遠い未来へと、魂は生き通しであるならば、やはり、そのときどきに自分に与えられた『命』=『今を生きる』、ということの大切さを思います。

 子供の頃、「そんなことしたらバチ当たるよ!」とか、「悪いことしたら、死んだとき、閻魔大王に地獄へ落とされるから、善い行いをしなさい!」と、回りの大人たちから言われた人も多いと思います。
 そう言った『地獄行き・極楽行き』の考え方や、先生も仰られていますように、「どうやらまだ続きがあると考えた方が無難かもしれないなあ、死ねば死にきりなら、蔭で罪を犯しても死ねばチャラになるかもしれないが、そうは問屋が卸さないかもしれないぞ」という考え方も、悪行の抑止力となり、今を大切に生きることに繋がってくると思います。

 夢の実現ということに限ったことではありませんが、今、この世での名前で存在しうる自分では、残念ながら実現できないことがあるかもしれません。
 しかし、魂は生き通しで、死に変わり、生まれ変わりを続けていると思えるならば、救いはあるなと思えます。
 生まれ変わった先の世で、あるいは、もっとその先の世で、自分が実現したいことを実現し、この世では味わえなかった充実感を味わうことができているかもしれない。
 そう思えるならば、過去、現在、未来という時系列の生を、未来、あるいは、もっとその先の未来で無事離陸をし、飛び立って行くための、『長い長い滑走路における、長い長い助走期間』と考え、今という生を大切にできるような気がします。

 この世で『夢を実現する』ということが叶わず、『夢を実現する』達成感を味わうことができなかったとしても、先の世で、現世での夢とは叶えたい夢は変わっても、『夢を実現する』という一点においては、達成し、現世で味わえなかった喜びや幸せを得ているかも知れない。

「生きても死にても天と地はわが住みかと思えよ」
 宗教というものの大きな役割の一つである、『死生の安心を与える』ということ。
 あれこれ思わず、シンプルに、皆が、安心して生き、安心して死んで行けたらなぁと思います。


 教会長より

 私自身の死生観は、ここ数十年あまり変化がなく、自分なりに死生の安心を得させてもらっているつもりでも、つねにそれを小出しにするだけで、系統だって語ったことがなかったように思います。
 今回はじめて、安心の得られる死生観というものを系統立てて説いてみせようとしたわけですが、結局霊能霊体験の無い私には、知識だけによる自身の死生観の形成過程を振り返る、という形でしかそれを語り得ませんでした。それでも、一度はしておかねばならぬことがさせてもらえた、という充足感があります。

 本文始めに出てくるTさんとは10月末に会ってきました。とても有意義でした。

 S.Sさん(男60代)H.30.10月

 先の世のことについての3日間の話は、岡山の教学研究所に尋ねましたが、ないということでした。丁寧な返事を研究員の方から頂きましたが。今の研究所のスタンスは、教祖様の生きざまを振り返りながら金光教を理解するという感じのようです。
 それでもいいですが時間のかかる方法だと思います。恐らく教祖様の親戚だった向明神先生のメモ書きに答があると思います。盲目が治るわけがないと言い最後のほうで教祖様と合わなくなった神徳家の方です。
 角埜先生のおっしゃる通り、死生観、人生観、霊、御徳、天地金の神は対であり、セットなので、死後の世界をきちんと説明できないならば、宗教としての発展性はないと思います。
 日本は少子高齢化なので、死後について不安な高齢者は多いはずなので、対象領域は巨大だと思いますが。。。
 大分の副教会長だった清水ルイ先生(稲津先生の姉弟子、湯川誠一先生の学院同期)の本を金光図書館で読んだことがあります。普通は生まれてくるときにこの世の過去、あの世の過去の記憶を消去してからということですが、勝五郎さんのケースはレアケースだったと思います。
 片島せん先生のことは初めて知りました。教典や追補に入っていない話が恐らく金光図書館の二階にたくさんあると思います。


 教会長より

 「三日間の話」の内容は私も知りたいですが、そこまではわからなくても、「先の世」というのが単に「霊界」だけを意味するものではないと想定させてくれるだけでも、私にとってはとても貴重な教祖様のコメントです。


 「教会長からのメッセージ64」より R3.6月

 長い間首位争いに名を連ねていた「3『血脈』を生んだ霊現象」が、近頃は一歩退き、それに替わるように「34改めて死生の安心を問う」が、5月6月と連続2位につけています。第37話が1位になるまでは何度も1位につけていました。ぜひ両方とも併読頂きますように…。
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「33君は神に祈ったか」について
 坊っちゃん(男40代) H.30.5.6
 「君は神様に祈ったか?」、基本に立ち返らせて頂ける、シンプルないい言葉だなと思いました。
 仕事であれ、日常のことであれ、何か行き詰まったときには、ついつい私たちは、「どうしたらいいんだろう?!」と、ただただ悩むばかりで、なかなか前に進めないことがあります。
 しかしながら、先生も書いておられますように、「何事をなすにもまず祈ってから、そしてつねに祈りを込めながらさせていただく」、ということの大切さを忘れてはいけないなと思いました。
 実意を込めて丁寧に、心にあるがままを祈らせて頂き、心配事は神様にお預けして、そのときどきにおいて、させて頂けることを丁寧にさせて頂く。
 あとは、神様におまかせする。
 TBSテレビの「アッコにおまかせ~!」ではなくて(笑)、「神様におまかせ~!」といったところでしょうか(笑)?
 『自分でする』というよりは『神様にさせて頂く』という姿勢。
 私自身、ついつい忘れがちになってしまいそうなその基本姿勢を、「君は神様に祈ったか?」と、シンプルに、日々、自身に問い掛け続けたいと思います。

 教会長より
 「坊っちゃん」健在を示すメール有難うございます。
 一人一人が背負う運命、背負う苦労はみな違いますが、神様に祈り続けさえすれば、そこから運勢が好転していくことだけは確かだと言えます。
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「32廃れることのない信心とは」について
 S.Yさん(女 92歳)H.29.10月、
 
 教話の冊子、いつも乍ら有難く読ませて頂きました。
 九十八才の御友達(信友)がケアハウスに入られて信心の話をする機会が少なく、私の所に時々電話を呉れて問題を投げかけて呉れます。今回の内容がその人の問いにぴったりと思い、早速ホームに送らせて頂きました。
 有難うございました。


 S.Sさん(男 60代 海外在住)R.2.5.20

 先生のHomepageの「31 壁を目当てに祈る」「35 廃れることのない信心」を読み返しました。前回もそう感じましたが、今回もより深くそうだなーと思いました。

 現在、教会に行きにくい人も多いのではないかと思います。

 例:教会が後継難でなくなった。
 代替わりで先代と新しい先生の違いについていけない、違和感を感じる。会社の上司交代と同じ。
 会社の熾烈な人間関係に比べれば大したことはないが、やはり信者同士で人間関係が生まれてくる。気の合わない人もいる。御用の最中に、そういう気の合わない先輩信者さん、同輩信者さんから偉そうに言われる。会社組織と同じ?
 初めてなので教会の扉を開けるのが嫌だし心配。
 大祭のお供え、月初のお参りのお供え等で経済が厳しい中、お金が意外とかかる。
 初めての場合、金光教ではお金はかからないと言われているが、おかげを受けた時のお礼の金額が分からない。
 話は聞きたいが、時間のかかるお祭りの祭典が好きではない。

 こういう人たちにとっては「壁を目当てに、ひとりで、金光様と神様に一心に祈ればいい」というのは素晴らしい教です。ちょっと大げさですが、南無阿弥陀仏と言えばそのまま成仏できるという浄土真宗の発想にも近い???

 当時教祖様のところにわざわざ皆がお参りしたのは、おかげ欲しさや温和な人柄もありますが、話をしてもらえる、御裁伝、それに御神号を頂けるという楽しみもあったと思います。xx郡の氏子から始まり、、、。

 今はこれだけ教祖様関連の本もありますし、インターネットもすすんでいるので、大事なお話の部分はインターネットでも紹介、深堀、生活に活かす道が可能かと思います。マス向け、個人向けでも。

 角埜先生のHomepageはそれらの点で、どんぴしゃですので、そういう方々により絞って、先生の4つのポイント重視、かつお話の部分も肉付けされると、迷える信者さんが助かると思います。偉そうですが、ニーズは非常にあると思います。それと、新たな御道案内も必要だと思います。

 特に「壁を目当てに拝む」「お金と設備は要らない」とは、現在どの教会も言っていないので、真面目な人ほど不安になり、先生のサポートが必要です。というよりも、壁を目当てに拝むは、足を運んで参拝、御用しないとおかげはないという現在の風潮と真逆です。

 どうせ大したお供えの額ではないでしょうから、初めて金光教に触れる人に対しては「お礼は心だけ」にしたほうがすっきりするかもしれません。

 ここで一つ問題になるのが、おかげはどこから誰に来るかです。金光様、天地金乃神様からくるのは間違いないのですが、ご祈念してくれた教会経由、お取次ぎの先生経由なのか、直接自分に来るのかという点です。これは現在良く解りません。

 教典でも各教会でひれいが違うと書いてありますし、徳の問題、人が助かりさえすれば形は拘らない、まして教団を考えていなかった生神様と教団教会運営の四神様の考えの違いもあるでしょうし?

 長々と駄文を思いつきで書いてすみません。

 PS 今、金光教教典人物誌を読み返しています。バラバラだった直信の人間関係が少し見えてきました。


 教会長より

 貴重にして過分なご提案を有難うございます。しかし、それをするにはかなりの時間とエネルギーが要りますし、もっと支持層を拡げる地ならしが要る気もします。

 もともと、今までにある何かを否定して一派を立ち上げようとか、確固たる理論を打ち立てようとするわけでもない、ただの思いつきですから、しばらくはこのままでボツボツやっていけたらと思います。

 私自身は、たった一人で神様に向かうときには、あまり形にとらわれずに自由にさせてもらっていますが、信仰面で人と関わりを持ちたいときや、団体行動(教会の御用も含む)をしなければならぬ時には、定められた儀式儀礼や方式に従っております。
 そういうことの「煩わしさ」も重々承知しているつもりですので、そう感じる人でも、まずは一人ででもすぐに出来ることからはじめてもらって、信心する人の裾野が拡がればいいなと思うわけです。

 おかげはどこ経由でくるかという問題については、直接頂くのと、取次者経由、どちらもあると思います。知らず知らずのうちに祈られて救われていることもあると思います。


 S.Sさん(男 60代 海外在住)R.3.3月

 先生の「壁を目当てに拝む」、「廃れることのない信心とは」を、またまた改めて読ませて頂きました。今回も本当にそうだな😄ーと思いました。
 でも不思議なことに先生以外誰もそのことを言わない? 先生と教典の金光様だけ?

 誰にでもできる信心ということで、先生の4つのポイントを自分なりに僭越ながら整理整頓してみました。

 「金光教の信心とは」だと組織の匂いがするので、これを「金光様の信心とは」に言い換えてソフトにしてみました。

 金光様の信心は0123。キャッチフレーズです。

 0円です。大きな組織や豪華な建物がないのでお金はかかりません。
 注:実際古い信者はお金がかかりますが。。。また人件費もかかっています。

 1人でできます。ややこしい信者間の人間関係はありません。団体行動はありません。

 2分の祈りで金光様に直接通じます、金光様に通じたら神様にも金光様が瞬時に取り次いでくれています。
 注:めぐりがあると取次とおかげの間に時間がありますが。。

 3分間金光教教典を読むこと、インターネットにある金光様の話を聞くことで道理が腑に落ちたら十分です。我が心が変わります。話を聞いて我が心が神様に向かい助かるのが金光教です。

 最後だけサラリーマンの癖で忖度して、金光教という文字をいれてみました。

 
 教会長より
 
 私以外にそのことを言う先生がおられないのは、おそらく私のように半ば引きこもり状態の中で信仰形成をしなければならなかった人がいないからでしょう。そこまでつきつめずにおれぬ内的必然性を欠いているというわけです。
 教会子弟の中に、引きこもりの人が全くいなかったとは考えにくいのですが、そこからお道の教師になった人が他にいないのでしょうかね。
 今海外におられる貴方の場合は、近くに教会がなく信心仲間もいない環境なので、それらのことと真剣に取り組んでおられるのも、ごく自然なことだと思います。
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「31壁を目当てに拝む」について
 S.Sさん(男 60歳前後)H.30.4月.

私が言うのも不遜ですし、やや変ですが。。。
壁を目当てに自宅で拝むという教祖の教えがある一方で、おかげをもらうためにはできれば毎日、せめて週3日お参りするという考えがあります。特に尖った玉水、合楽等では顕著だと思います。
先代が実体験で、「お参りの数を増やしたほうがおかげが早い」と解ったのだと思います。時間をお供えする御用をしたほうが更におかげが早いという考えにも通じているかもしれません。壁を目当てに拝むという考えは心を真直ぐに天地金乃神様に向けるということで、教会に参っておかげを頂くとは次元の違う話かと思いますし、根本の発想が違います。

教典にはたびたび、そんなに参らんでも家から拝んだら、、、という話がでてきます。この時、いつも思い出す他宗教があります。それはキリスト教がカソリックからプロテスタントをドイツで中世に生み出したときです。
それまでは聖書はラテン語ですし、教会に拝礼して牧師からおかげ、免罪符をもらうというものでした。ですから教会至上主義とも言えます。マーティンルーサー自身は教会の牧師さんですが、聖書をドイツ語に訳しました。キリスト教は複雑なので私もまだ勉強中ですが。。。
キリスト教は教会主義から聖書の教えに至るまで1500年間かかっています。このことを角埜先生は約150年で達成されたと思います。おおげさに聞こえますが。

この壁を目当てに拝むということは他の教会ではほとんど教えていないと思います。なぜなら、教会にもっとお参りしなさいという教会の先生の話とぶつかるからです。自由な教風なのでできる?
金光教がなぜ子供や孫に伝わらないかを考えた時に、おばあさんやお母さんが熱心にお参りし、御用もしておかげをもらうのは見ていても、さて自分が信心するときに、お母さんのように旅行や趣味、友達との飲み会を犠牲にする生活は自分はできないと思うからではないでしょうか? 特に若い世代に当てはまります。
つまり壁を目当てに拝むは細くても、長く信心するインターネットが普及した忙しい若い世代むけのこつなのだと思います。時間も電車賃もかかりません。
おかげも、最短でおかげを頂く方法も非常に大事ですが、つらつらとこんなことを考えてみました。もっとも病気になったり難にぶつかると教会へのお参りが増えますが。。。

教会長より

顧みられることの極めて少ない私の話にキチンと向き合って下さり、有難いことに存じます。
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「30叙勲前後のこと」について
H.Sさん(女 80歳)H.28.12月.
ご受章おめでとうございます。長年地道に努力してこられたのが 認められて 誇らしいことですね。してこられたこともですが、お人柄も立派だからでしょう。これからもお体に気をつけられて 有意義な人生をお過ごしください。

T.Oさん(男75歳 教会長)H28.12.20
長年にわたる国の調査員として蔭のご用に当たられ、褒章として瑞宝単光章といふ勲章を授与され、何と、宮中に参内し、今上陛下にも拝謁された由、眞に以て、おめでたうございました。国家としての尊厳を、まさに象徴として体現されてをられるお方から、最も由緒正しい晴れの褒章を身に受けられたことであり、これ以上の名誉、これ以上の喜びがあらうかと、心よりお祝辞申しあげます。このやうな御用を、お父君から継続されてをられる由にて、角埜家としても永久の誉と申しあげねばなりません本当に本当におめでたうございました。さて、今年の三、四月頃より、突然に体の力が抜けおち崩れ落ちるといふ体調不順を何度か経験された由、たしか小生より五歳年長の貴先生でありますから、八十歳といふ大台に入ってをられるはず、この頃は長命の人が珍しくなくなってをられる情況ではありますが、何と言っても、お齢をめされてをられます。御心も御体調についても、いよいよに神さまのお心のまにまに、日々を、大切におつとめになされますやう、小生としても、日々お祈り申しあげる次第であります。

教会長より
多くの方々から祝辞を頂き、有難く幸せに存じます。
11月8日、大阪に住む孫の一人に付き添われて、33年ぶりに上京し、品川プリンスホテルに宿泊。9日、同ホテルでの勲章伝達式に参列し、次いでバスにて皇居に参内し、天皇陛下に拝謁しました。その間、お言葉を賜った時間を含めて数分間、前を通られたのは数秒間でしたが、それがなければ、どれほど立派なホテルで伝達式が行われても、わざわざ出向く気になれたかどうか…。やはり皇室というものの重みはスゴイと思います。
その日の夕方、仕事のある孫とは別れ、迎えに来てくれた弟に案内されて初めて千葉県に足を踏み入れ、市原市の家に泊めてもらいました。遅い到着にもかかわらず、家族中で歓待し、祝ってくれました。
翌日は弟の運転でアクアラインの中程まで行き、東京湾の沿岸をぐるりと見渡し、そこから船橋市にとって返し、そこに住む孫の一人とひ孫の一人に合流し、昼食を共にするなど、至福の三日間を過ごさせてもらいました。

教会長より H.30.12月
細かいことですが、卵と納豆は食い合わせがよくないとのことなので、その後ウズラ卵を練り込むのはやめにしました。
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「29大きな信心」について
S.Mさん(女 90歳)H.28.5月
御言葉の数々同感し、感動し乍ら読ませて頂きました。いつも感じている事なのですが、先生と同じ思いを持っていることを嬉しいと思います。

教会長より
この話をした後に島田裕已という学者の「宗教消滅」と言う本をみつけました。
それによりますと、信徒数を減らしているのは単に金光教にとどまらず、全世界的に、伝統宗教も新宗教も、一部の例外を除いて急速に信徒数を減らしつつあるのだそうです。そして、例外的な宗教・教団もいずれは同じ路をたどるだろうと予測しています。しかし、無宗教化した人たちが今後どのような方向をたどるかまでは予測できないようです。
私の推測では、その無宗教化した人たちの中には、既成宗教のワクにとらわれない普遍的な宗教的真理を求めている人たちも、少なくないのではないかと思うのです。
いくら信徒数を減らしたとしても、既成宗教がそう簡単に滅びるとは考えられませんが、それでも私は、あらゆる既成宗教は、人類がいつの日か普遍的な宗教的真理を共有できるようになるまでの過渡的な産物だと考えています。
そうだとしても、各宗教の価値というものは、教団内でしか通用しないような教義の独自性にあるのではなく、どこででも通用する普遍的真理の含有量にかかっているのだと思うのです。もともと宗教に不純物はつきものだからです。
そういうことも視野に入れた上で、なおかつ私は、この場所で、いま自分に出来る事に力を入れていくのみです。
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「28私の五十年」について
S.Mさん(女 90歳)H.27.12月
「私の五十年」も「投書して見えてきたこと」も、現在の私の心には深く受け入れられるお話しでした。「私の五十年」は同感することが多く、心に響きました。
私満九十歳になりました。この頃何事も有難いことに思えて感謝と祈りを繰返しています。やっと金光教の信者らしくなったのではないかと思います。
そしてこれからを大切に進めていきたく思っています。

A.Mさん(女 51歳)H.27.12.9
絶対信の杖を私も欲しいなと思いました。

教会長より
終わりの方で「具体例に乏しい退屈な話」ではないかとの懸念を表明していますが、この話に関連する具体例として、「1おあてがいのままに」も併せて読んでいただければ、いくらかその懸念が解消できるのではないかと思います。
また、生きる究極の目標として、ある一つのことを掲げていますが、「18修行の場を生きる」というのを偶然読み返してみましたら、「いま祈れることが究極の救い、願わずにおれないことが究極の願い」という言い方をしているのも見つけました。つまり、その時その時真剣に願わずにおれぬことが究極の目標だというわけです。勝手で矛盾するようですが、私にとりましては、どちらの考えも捨てがたいのです。

T.Oさん(男74歳 教会長)H28.7.4
「私の五十年」のご教話は、先生の信仰の、ある意味で、集大成であり見事な自己告白であり、マニフェスト(宣言)といふべきものであり、ありがたく、いく度か、深読して参りました。
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