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金光教高田教会、我が信心を語る
参政権関連資料
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もくじ
★ 共同体の中での自己実現
▲ 1.外国人に地方参政権を与えるべき?
▲ 2.慰安婦問題で謝るべき?
▲ 3.「負荷なき自己」と「位置ある自己」の使い分け
▲ 4.「負荷なき自己」とリベラリズム
▲ 5.アリストテレスの考えた共同体
▲ 6.共同体の「共通善」を伝える歴史物語と歴史教育
▲ 7.多様な考えが「共通善」を深めていく
▲ リンク
▲ <著者紹介>
令和2年2月転載
はじめに
 「教会長からのメッセージ76」より

 1月の第1位は、初めて「10私の神様を語る」が、そしてまた、今頃どういうわけか「外国人参政権問題について」が1人違いで第2位に初めてつけています。 
 外国人参政権問題について、最近とても勉強させてもらった伊勢雅臣という方の論考を「参政権関連資料」として紹介させて頂きます(拡散してほしいとのことでもありますので)。
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★共同体の中での自己実現
 ★共同体の中での自己実現
~ サンデル教授の『公共哲学』に学ぶ

 From:伊勢雅臣

 同胞とも先祖とも切り離された「負荷なき自己」か、縦糸横糸のつながりの中での「位置ある自己」か。
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1.外国人に地方参政権を与えるべき?
 「日之出(ひので)先生、一つ質問があるのですけど、よろしいでしょうか?」と、花子は大学の政治学の授業の後で、聞きました。

 以下、二人の対話です。

 日之出先生(以下「日」と略記):
 もちろんいいとも。君の質問はいつもいいところを突いてくるから、僕の研究にも刺激になる。

 花子(以下「花」)
 :私の友達で在日韓国人の女性がいて、彼女は常々、住民税を払っているのだから、地方参政権ぐらいは認めるべきだ、と言うのです。先生は、この問題に関してどう思いますか?

 日:それは以前の授業でも一度、話したけど、住民税というのは警察や消防、学校、図書館などの住民サービスに対する対価であって、それを払っているから、その自治体の意思決定に参加できるということではないね。
 例えて言えば、マンションを借りている人は、家賃を払っているからと言って、所有者たちの管理組合には入れないのと同じ理屈だよ。

 花:私もその例えを使って話したのですけど、国とマンションは違うって言うんです。自分は日本に生まれたのに、両親がたまたま韓国籍で、そのために地方参政権も持てないのは同じ人間としての差別じゃないのかって言うんです。

 日:それは日本人でもリベラルの人たちが、よく言う主張だね。彼らは「国民」ではなく、「市民」という言葉を使いたがる。同じ市民同士なのに、なぜ国の違いを持ち込むのか、もっと「開かれた社会」になるべきだとね。
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2.慰安婦問題で謝るべき?
 花:ええ、そうなんです。そう言われると、私も「ちょっとおかしい」とは思うんですけど、どう反論していいのかわからなくて。

 日: その友達は 慰安婦問題についてはどう言っているのかな?

 花: 日本は戦前から韓国に対して植民地統治をして、それらの酷いことをしたのだから、補償をする必要があるというのです。

 日: やはり日本の左翼と同じ主張だ。まず慰安婦問題は歴史的なプロパガンダであることはすでに史実で明らかになっている[JOG(1247)]。ただ、今回はたとえそれが史実だったとしても、左翼の主張が論理的に破綻している、ということを述べてみよう。

 花: 「論理的に破綻」ですか?

 日: そう、まず日本が国籍の違いにとらわれずに、外国人にも平等の権利を与えるべきだという考えは、日本人も韓国人も生まれた国の歴史や文化に関係なく、同じ人間として扱われるべきだというリベラルな人間観に基づいている。

 そういう人間観なら、我々が生まれる前に先祖のした行為は我々には関係ない。たとえ我々の先祖が彼らの先祖に酷いことをしたとしても、お互いに生まれる前のことなのだから、我々には何の責任もない。だから補償する必要もないわけだ。

 花: なるほど、そうですね。私たちが生まれる前に起こったことについて、私たちには何の責任もないということですね。

 日: 逆に我々が先祖の行為についても責任を負うべきなら、その子孫として先祖の遺産も引き継ぐ権利がある。現在の日本の安心安全で高い生活水準は、我々の先祖が残してくれた遺産なのだから、今頃、ほかの国民が勝手に入ってきて、その一部でも享受することは許されない。

 花: でも、それって狭小な愛国主義という感じがするんですけど。

 日: いや在日韓国人でも、きちんと日本国籍を取った人は別だよ。当然、我々の同胞として同じ日本国民になり、地方参政権だけでなく、すべての国民としての権利を享受できる。
 国籍が簡単にとれてしまう、という問題は今は横に置いておくけど。

 昔から我が国では半島から戦乱などを逃れてきて、朝廷に忠誠を誓った人々は、天皇から姓と土地を与えられ、朝廷で活躍した人々も多かった。日本は帰化人にも開かれた国だったんだ。

 しかし在日韓国人で日本国籍を取らないということは、我々の仲間になることを拒否しているのだから、当然、同胞として同じ権利を持つことはできない。日本国籍をとるということは、日本の歴史を引き受けて、先祖の遺産も負債も自分のものとして受け継ぐということだからね。

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3.「負荷なき自己」と「位置ある自己」の使い分け
 日:『白熱教室』で有名なハーバード大学のマイケル・サンデル教授はこういう人間観を「位置ある自己」と呼んでいる。自分を先祖から子孫への縦のつながりと、家族や地域、国家の中での横のつながりの中でも自己を位置づける。そういう縦糸横糸がなす織物の中での「位置ある自己」という意味なんだ。

 それに対して前に述べた祖先の歴史など関係ないという人間観を教授は「負荷なき自己」と呼ぶ。先祖からのしがらみや子孫への使命、隣人同胞への責務などの「負荷」から完全に解放された自由な個人という意味だね。

 我々が「負荷なき自己」なら、他国民が自由に入ってきて、同じ権利を享受するのも平等だろう。しかしそれなら先祖のことについても、我々には全く責任はない。だから歴史問題など全然関係ない。

 我々が「位置ある自己」ならば、我々の同胞に入るためには、一緒に「負荷」を引き受ける意思を表明してもらわなければならない。その場合、先祖の負債も引き受けるから、もし先祖の行為について謝るべき点があれば、一緒に謝って貰わねばならない。

 花: そうすると、私の友達は、地方参政権については「負荷なき自己」の立場から要求し、歴史問題については「位置ある自己」として先祖の行為に関して謝罪や補償を要求している、ということですか。都合よく立場を変えて、両方の要求をしているということでしょうか?

 日: サンデル教授ばりに政治哲学の次元から考えると、そういう論理矛盾が見えてくる。

 花: 日之出先生は、「日」の「サン」が「出る」から、日本のサンデル先生ですね。

 日: おいおい、それは駄洒落にしても、褒め過ぎだね。(と、まんざらでもなさそうな表情)
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4.「負荷なき自己」とリベラリズム
 花: 「負荷なき自己」と「位置ある自己」というのは、直観的によく分かりますけど、そういう考えはどこから来たのでしょうか?

 日: 欧州では宗教戦争に見られるように宗教的な対立が長く続いた。そうした宗教的道徳的な論争から自由(リベラル)な政治を目指して価値中立的な政府が理想とされたんだ。そこでは国民はどのような思想信条を抱くのも自由だし、政府は特定の思想信条に肩入れしてはいけない、と考えられた。

 そこでの国民は歴史のしがらみから解放され、地域や家族、教会などにも束縛されない自由な個人として考えられた。ここから「負荷なき自己」という人間観が出てきたんだね。

 花: なるほど「負荷なき自己」が集まって「価値中立的な国家」になっているわけですね。でも、そんな社会には互いへの同胞感なんか、生まれるのでしょうか。

 日: サンデルは、まさにそれが現代アメリカで起こっていると指摘しているんだ。

 この数十年でわれわれは、同胞の道徳的・宗教的信念を尊重するということは、(少なくとも政治的目的に関係する場合)それらを無視し、それらを邪魔せず、それらに――可能なかぎり――かかわらずに公共の生を営むことだと思い込むようになった。だが、そうした回避の姿勢からは、偽りの敬意が生まれかねない。[サンデルa、5,507]

 花: 「偽りの 敬意」とは、
 日:互いの道徳的・宗教的を尊重するふりをしながら、無関心でいることだね。それでは国全体のことを損得でしか議論できなくなり、結局、民主主義を支える国民同胞感が失われてしまう。

 国民としての同胞感がなければ、多数決で負けても、多数派の意見を「自分たちも含めた国家全体の決定」だと潔く認めることはできなくなるだろう。

 花: この前の大統領選でも、選挙後に不正があった、なかったで、混乱が続きましたが、それは民主主義の基盤となる国民同胞感が失われていた為なのですね。

 日: そう思う。そして、それは政府は価値中立的でなければならず、国民は「負荷なき自己」としての自由を持つというリベラル思想の帰結だと、私には思えるんだ。
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5.アリストテレスの考えた共同体
 花: 国民同胞感とは、まさに「位置ある自己」の出番ですね。

 日: その通り。この人間観の源流はとても古く、サンデル教授はアリストテレスまで持ち出している。アリストテレスは、都市国家(ポリス)を単なる防衛共同体や経済共同体とは捉えなかった。

 政治の目的は、まさに、人びとが人間に特有の能力と美徳を養えるようにすることだ。共通善について熟慮し、実践的判断力を身につけ、自治に参加し、コミュニティ全体の運命に関心を持てるようにすることだ。[サンデルa、3,990]

 「人間は政治的動物である」とはアリストテレスの有名な言葉だけど、日本語では「政治」とか「動物」には良くない語感が籠もってしまうので、誤解しやすい。彼が言うのは、人間だけが高度な共同体を作れる、という現代の進化人類学にも通ずることを言っているんだね。

 その共同体の中で歴史を通じて深めてきた「共通善」があり、それを学び、さらに維持し深めるよう他者と智慧と力を合わせる、そういう姿が共同体の理想だと考えた。

 花: えー、それは先生が以前、教えてくれた神武天皇が「大御宝としての国民が力を合わせて、一つの屋根のもとに暮らしていこう」という建国の理想と、ほとんど同じじゃないですか。

 日: 人間の叡智が深まれば、人類として共通の根っこにつながっていく、ということだろうね。
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6.共同体の「共通善」を伝える歴史物語と歴史教育
 日: 自分がある国家共同体に生まれたのは、自分の選択の結果ではない。「負荷なき自己」なら、他の国の方が良いから移民してしまおう、ということになってしまうけど、「位置ある自己」はその共同体の中で親や地域の人々に育てられ、共通の国語で感じ考え、先人が残した「共通善」、すなわち伝統的理想を学ぶ。

 そういう「位置ある自己」なら、縦軸横軸の「負荷」を自分自身の一部として感じて、ありがたく引き受けるだろう。そして、そういう共同体の中で、自分なりの処を得て、自分の適性や能力を発揮していく。そういう共同体の中でこそ、人間は生きがいを得られるんだ。それこそが真の自己実現と言うべきだろう。

 共同体の「共通善」は、その共同体で言い伝えられた歴史物語によって表現される。サンデル教授は、こう言っている。

 人生の物語はつねに、私のアイデンティテイの源であるコミュニティーー家族や町、部族や国家、政党や運動―の物語に埋め込まれている。・・・こうした物語はわれわれを世界のなかに位置づけ、われわれの人生に道徳的独自性を与えるのである。[サンデルb、230]

 自分の人生の物語が埋め込まれるべき、共同体の物語を学ぶことは、その共同体の「共通善」を学ぶことであり、それこそが歴史教育の目的だと思う。平成18(2006)年に改訂された教育基本法でも、前文で「公共の精神を学び」「伝統を継承し」という言葉が入れられたのも、「位置ある自己」として将来の国民を育てようという姿勢だと思う。
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7.多様な考えが「共通善」を深めていく
 花: よく分かります。ただ、そういうと、それは一つの道徳・宗教を全員に押しつける全体主義になる、という反論が、私の友達からすぐに出てきそうです。

 日: そう言わないと、リベラルは存在意義を失ってしまうからね。しかし、イギリスは「位置ある自己」の共同体として自由民主主義を発展させてきた。日本も長い歴史のほとんどの期間、八百万の神々でも仏教でも自由かつ多様な信仰を持ち、高度の農村自治を行って、平和で安定した国として続いてきた。

 「位置ある自己」とは、全体主義に操られるロボットではない。その共同体の行く末を「我が事」として考え、子孫のためにそれを少しでも良くするよう「共通善」をどう深めていくか、考える。

 そういう「位置ある自己」にとって、その「共通善」に賛同しない人々は、かならずしも「敵」ではない。そういう人は「共通善」の到らない処を考えているかも知れない。そういう人々とよく対話をすることで、「共通善」はより深まっていくだろう。

 そういう智慧を深める方向を一切考えずに、いきなり「価値中立的な政府」と「負荷なき自己」に走ってしまったのが、リベラル思想の迷走だね。欧米思想から学ぶには、こういう浅薄な部分ではなく、アリストテレスから現代のサンデルに到る本流を学ばないといけないね。
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リンク
・JOG(1247) 韓国の「反日」を煽った「反日日本人」たち
 韓国人の「反日」は、「反日日本人」たちが捏造報道やトンデモ法理論で火をつけた。
 http://jog-memo.seesaa.net/article/202112article_3.html

 ・JOG(1117) 外国人参政権問題で学ぶ国家観
 外国人参政権問題で学ぶ国家観
 http://jog-memo.seesaa.net/article/201906article_2.html

 ・JOG(890) 朝日新聞の「従軍慰安婦」報道小史
 「私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます」という朝日新聞の「姿勢」とは?
 http://jog-memo.seesaa.net/article/201503article_3.html
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<著者紹介>
伊勢 雅臣

1953年東京生まれ。東京工業大学 社会工学科卒。日本の大手メーカーに就職後、社内留学制度により、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校に留学。

工学修士、経営学修士(MBA)経営学博士(Ph.D.)を取得。生産技術部長、事業本部長、常務執行役員などを歴任。

2010年よりイタリア現地法人社長。2014年よりアメリカ現地法人社長を歴任。イタリアでは約6千人、アメリカでは約2.5万人の外国人を束ね、過去最高利益を達成するなど成果を上げてきた。

これまでの海外滞在はアメリカ7年、ヨーロッパ4年の合計11年。駐在・出張・観光で訪問した国は5大陸36カ国以上に上る。

1997年9月より、社業の傍ら独自に日本の歴史・文化を研究。毎週1回・原稿用紙約15枚の執筆を22年間。正月休み以外は毎週続け、発行したメールマガジンは1148号を超える。

筑波大学等でも教鞭をとり、日本の未来を担う「国際派日本人」の育成に尽力している。
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