大和高田市 宗教法人 金光教高田教会|祈り、救いを求め、自分に正直に生きる。 ホームへ教会のご案内 教会長からのメッセージ
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金光教高田教会、我が信心を語る
18 修行の場を生きる
大和高田市 宗教法人 金光教高田教会|祈り、救いを求め、自分に正直に生きる。
もくじ
▲ 自信をもって言えるのは、自分が無力であるということだけ
▲ 無力さを思い知れば知るほど、有難さも増してくる
▲ せめて心の底から本気で願わずにおれないことだけでもかなえてほしいという思いに、教えは応えてくれる
▲ 願うことすら自由にならないが、願いはありのままがよい
▲ どんな人でも一人自分と向き合える時間と場所を確保したほうがよい
▲ 民主主義社会といえども苦の世界である
▲ 大いなる力に頼ろうとする為政者もいて当然
▲ 政治に直接宗教は持ち込まぬ方がよい
▲ 「一寸先は闇がよい」
▲ 教祖も予見能力はいただいておられた
▲ 神様もまだ先のことを全ては決めておられない
▲ 先の読めない人間に教祖はもっとも自然で無理のない生き方を示された
▲ いま祈れることが究極の救い、願わずにおれないことが究極の願い
平成一六年四月四日 奈良県 初瀬教会にて
自信をもって言えるのは、自分が無力であるということだけ
 この歳まで生きてまいりまして、幸か不幸か、私がいま何か自信をもって言えることといえば、自分がきわめて無力な、弱い、いたらない人間だということだけであります。自分に出来ることなど、ごくごく限られていて、思うにまかせぬこと自由にならぬことばかりです。無力を思い知らされぬ日は一日とてないと言えます。
 思い知るというからには、そこには必ず何らかのマイナスの感情がつきまといます。それらは、悲しみであったり、悔しさであったり、もどかしさであったり、にがいあきらめであったり、或いは、先々予想される災難や困難に対する言い知れぬ恐れであったりします。
 時には、それらには直接の体の痛み苦しみが伴うこともあります。小指の先がちょっと痛むだけでも、行動能力も思考能力も奪われてしまうとき、人間はなんと頼りない弱い存在であろうかと思い知らされのです。
 その無力さの行き着く先に、死というものがあります。この誰もが百パーセント免れ得ない死というものがいいことなのか悪いことなのか…。ほとんどの人は忌まわしいことのように思っているようですが、霊の世界から見ると、むしろこちらの方が、多くの人がイメージとして持っているような、忌まわしい「死後の世界」であり、こちらのほうが苦の世界なんだと言う霊能者もいます。
 死というのは、その苦しみから解放されることで、まわりの者はともかく、死ぬ当人にとっては、むしろ歓迎すべきことなんだ、という説の方を私は信じております。また、そういう考え方をしたとしても、新教典の教祖の教えと矛盾しないのは有難いことだと思っております。
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無力さを思い知れば知るほど、有難さも増してくる
 人間というものがそういう無力なものとして、言わば修行のためこの世に送り込まれたものである以上、この世は苦の世界であることはどうしても免れ得ないわけですが、かといって、私はただ単にそういう無力感だけににとらわれて生きているわけではありません。
 信心させていただくと、自分の無力を思い知る一方で、同時に感謝の気持ちも一層深まるのであります。どのような苦しい状況にあっても、喜びを失わずに、しのいでいけるようになれるのです  無力さを思い知れば知るほど、それにもかかわらず、さまざまに恵まれてあることに気づかせられ、すべてが神様のお計らいの中で起きてくることとして有難く思えてきます。
 「苦の世界」というような、どちらかというと否定的な不足がましい言い方も、むやみにしない方がよいと思います。どんな世界であろうと、天地の恵み、神様のおはからいの中に生かされてあることにかわりはないのですから…。「修行のためにしつらえられた世界」というふうに、少なくとも心の中でだけでも、言い換えて使うべきだと思っております。

「氏子らは、情けない、つらいことだと先を案じずに、今日もありがとうございます、今日もありがとうございますと思い、神様のおかげで雨にも遭わず露にも遭わず、ひもじい目も寒い目もせず、ありがたいことと喜べ」(柏原とくの伝え)

 歳をとりますと、どうもこういう一見平凡な何でもないような言葉が、妙に心にしみてまいります。
 人間の悩み苦しみというものは、実に複雑多岐にわたりますけれども、今とりあえず雨露がしのげており、ひもじい目も寒い目もしていないとしたら、それだけでもどれだけ喜ばねばならぬことかと、素直に感じずにおれません。

  自身を振り返ってみますと、生まれて最初の二十年間が、一番みじめで不幸であったように思います。
 物心ついた時から、太平洋戦争の戦局の悪化と物資の欠乏、それに続く敗戦の混乱をもろにかぶりました。それに次ぐ十代は、物質面でも精神面でもほんとうに貧しくみじめでした。
 二十歳になってようやく信心のまねごとをはじめ、二十代は強引になりふりかまわず、まず身の回りをかためるために奮闘しました。
 三十代四十代五十代六十代と、それぞれに苦労や心配の尽きることはありませんでしたけれど、それでも一心にすがり続けていくうちに、トータルしてみれば、年々に幸せの量が増してきているように思えるのが有難いことであります。
 あとは、この恵まれた境遇環境のなかで、もっともっと大きな働きをさせてもらわねばもったいない、あいすまぬと思っています。そうでなければ、教会としての末の安心もありません。もっともっと人様が助かり育つお役に立ちたいと思うのに、思うにまかせぬもどかしさがつねにあり、それが無力感をも生む一番の源になっているようであります。
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せめて心の底から本気で願わずにおれないことだけでもかなえてほしいという思いに、教えは応えてくれる
 子供の頃読んだ「アラビアン・ナイト」に、空飛ぶじゅうたんというのがあって、そんなものが本当にあればいいのになあと、その頃は思いました。魔法のランプなどというのはもっと欲しかったのですが、さすがにそこまでは無理だと、子供心に、はじめからあきらめていたように思います。
 孫たちのために買ってやった童謡の中に、ビスケットがいくらでも取り出せる不思議なポケットがほしいという歌詞の歌があります。そんなのを聞くと、すぐ、ビスケットはいらないから、そのかわりお金を無限に取り出せるポケットがほしいと、さもしいことを考える大人は私だけではないでしょう。
 私など、お札なら一番いいけれど、五百円玉でもよい、いや百円でもいい、などとラチもないことを考えはじめます。いや、一円でもいいのだけれど、ちょっと取り出す作業がたいへんだななどと思います。
 そんなことを考えはしても、もちろんそんなことを本気で願うわけがありません。何でもかんでも可能になればよいと思っているわけでもありません。しかし、せめて、自分が心の底から本気で願わずにおれぬことぐらいはかなえてほしい、という思いはあります。
 私がつねづね「信心する者が一心を出して願えば、どんなことでもかなえてくださる」という教えに心を魅かれ、それを大きな支えとしていますのは、その教えが、私の心の中のそういう思いに呼応して、その思いをきちっと受けとめてくれる言葉のように思えるからなのであります。
 だからこそ、私はその言葉を誇張やハッタリだとは思わないし、目先目先で願うとおりにならなくても、決して馬鹿らしいとは思わないのです。まさに「たとえだまされても悔いはない」のです。
 それで実際その通りにしてきたつもりではありますが、長年それをしてみてどうであったかということになると、自分自身ではずいぶん助けられてきているとは思います。しかし、それでもって人様に誇れるほどの働きができているのかとなると、まったく心許ないのがつらいところであります。
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願うことすら自由にならないが、願いはありのままがよい
 これもいつも言っていることなんですが、物事なにもかも簡単に願うとおりにはならないのはもちろん、そもそも願うということ自体が、自分の自由にはならないのです。何でも願えるようでいて、実は自分が真剣に願えることの範囲はごくごく限られています。
 それは、それぞれの置かれた境遇やかかえている事情によって一人一人違ってくるのでありますが、それぞれの器の大小によっても違ってくるのです。いくら器以上のことを無理して願おうとしても本気にはなれないのです。
 空飛ぶじゅうたんは、今では単なる空想ではなく、ある程度実現しています。ヘリコプターは、まだじゅうたんほど小回りは利かないし、どこへでも音もなく着陸できるわけではありませんが、いずれはそれに近いものができていくに違いありません。
 人間に空を飛ぶことが可能になったのは、それを可能にできる器を備えた人々が、祈ったかどうかは別にして、まずそのことを本気で望んだからです。大方の人はそんなことを本気で望みはしません。本気に望めることはみなそれぞれ違うのです。
 その点、教祖様が、「一心に願え」と、願う態度のみを言われて、めいめいが願う中味にまでわくをはめようとはなさらず、願いを固定化しておられないのは、とてもすばらしいこと、有難いことだと常々思っております。
 だから、「人として真に願うべきこと」とか「人生の究極の願い」とか、あまりむつかしく考えすぎるのも、かえってよくないと思うようになりました。信心というものは、一部の選ばれた人たちだけにしか理解実行できないようなものであってはならず、一部の人だけしか救われないようなものであってはならないと思うのです。
 そのためには、「願いはありのままをありのままに」と言われるように、その時その時の自分という器を、そのまま素直に差し出すのがいちばんいいように思います。
 また、願いに大きい小さいや価値の高低などの序列をつける必要もなく、めいめいがその時その時の思いを大切にすればよいのだと思います。そうしていれば、ご神願がどうのこうのと、人間があまりよけいな心配をしなくても、神様の目論見は実現されていくのであろうと思うのです。
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どんな人でも一人自分と向き合える時間と場所を確保したほうがよい
 もっとも、「ありのままに」といったところで、いつもほんとうの自分の心と向き合わねばならないというむつかしさは残りますが、それもめいめいができる範囲で、気のすむようにやっていけばよいことです。むつかしく考えようと思えばいくらでもむつかしく考えることができます。それはめいめいの勝手なんです。
 私など、以前はずいぶんむつかしく考えたものですが、このごろはもう、ただその時その時思いつかしてもらうままを、言わば、祈らしてもらって祈っているだけです。立場上、時間だけは人より沢山授けられているので、他の用事のないときは、できるだけ長く神前に座り込んで、考えては祈り、祈っては考える、というと聞こえはいいですが、大方は雑念妄想の類です。
 私の知る範囲では、心理学者の岸田秀氏も、宗教学者の山折哲雄氏も同じようなことを書いたり言ったりしています。
 山折さんは、「文芸春秋」の今年の三月号の石原慎太郎さんとの対談の中で、自分は毎日五十分ほど座禅をしているが、無念夢想になったことは一度もない、雑念妄想と戯れているだけだが、座っていると気持ちがいい、と正直に語っています。そうなんです。それでも気持ちがいいんです。だからこそ何時間でも座っていられるんです。
 おそらく岸田さんや山折さんと私との違うところは、その雑念妄想に祈りが加わるということだけでしょう。その上、自分のことだけではなく信者さんのことまで祈らねばならないのです。これはなかなかしんどいことであり、責任の重いことです。このことについての悩みは尽きることがありません。
 しかし、こと自分のことに関するかぎり、自分の本当の願いというものは、そういう雑念妄想を通してしか見えてこない場合が多いのです。だから、どんな人でも、一日のうちほんのちょっとでも、一人になって自分と向き合える時間と場所は確保した方がよいように思います。
 或いは、教会参拝の道中も、自分と向き合えるよい機会かもしれません。私も歩きながら考えごとをするのは好きです。そうすれば、歩く時間が長ければ長いほど考える時間が増え、運動にもなります。しかし、くれぐれも安全なコースを選んでください。
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民主主義社会といえども苦の世界である
 話が少し変わりますが、今年の上半期の芥川賞は十九歳と二十歳の娘さんがそろって受賞したということで、久しぶりに社会的な事件になりました。「文芸春秋」も最近は発行部数が減り気味だったのに、受賞作の載った三月号は、今までの最高の百二十万部ちかくを売ったそうです。
 私は、小説の方は読むヒマがなくてそのままになっていて、今言った座談会とか、他の記事を少し読んだだけなのですが、他の記事で興味をひかれたのが、自衛隊のイラク派遣の賛否を問うアンケートでした。これは三十七人の政治家や学者や文化人の意見を載せたものですが、賛否の内訳は、賛成十六反対十五どちらでもないというのが六名です。
 これは自然にそうなったのか、そうなるように仕組んだのか、定かではありませんが、名前を見ると、だいたい賛成しそうな人は賛成し、反対しそうな人は反対しています。しかし、たまに例外もあります。
 それらを読んで感じますのは、反対するにしろ賛成するにしろ、人の考えというものは、結局はその人の性格や好みによって左右されるものなんだろうかということです。理屈は、大方自分の好みを正当化するために、あとからくっついてくるものなのかもしれないのです。
 それと、学校教育などを通して知らず知らずの間に刷り込まれたイデオロギーというのも馬鹿になりません。占領軍から日教組へと受け継がれた戦後民主主義などという、近頃では盛んにそのいかがわしさが指摘されるイデオロギーからも自由な人というのは、まだまだ少ないようです。
 読む側の私自身も、それらの考えを、自分の好みや刷り込まれたイデオロギーに従って取捨選択しているのかもしれません。
 そして、民主主義の世の中では反対意見も尊重されねばならないとは言うものの、自分の好みと違う発言をする人をつい嫌ったり憎んだりしてしまうのも、なかなか避け難いことなのです。
 民主主義政治というものも結構しんどいもので、下手すると憎み合いの温床になるのだなあと思います。そこにもまた、まぎれもなく苦の世界があります。
 そういう争いや憎み合いから逃れるためにも、せめて心得ておきたいことは、人間であるかぎり、絶対に正しい意見などというものは持ちえないのだということです。そうなると、無知無力の自覚というものは、思い知らされるものであると同時に、欠かせないものでもあるのです。
 それと、自分と考えの違う人達をも嫌ったり憎んだり邪魔に思ったりすることのない、広い大きな心にならしてもらいたいとも願わずにおれません。教典からうかがえる教祖は、実に大きな心の持ち主であられたようです。
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大いなる力に頼ろうとする為政者もいて当然
 そして、こういう異なる考えを持った人達を束ねて決断を下していかねばならぬ最高責任者の重圧は大変なものだろうと思います。アンケートにもそのことに同情する回答がありました。
 自分の決断が吉と出るか凶と出るか、先のことは誰にもわかりません。それでもいずれかを選んで進んでいくしかないのです。重い責任を負う為政者が、何か大いなる力に頼りすがろうとするのはごく自然なことであります。というか、少なくともそれをしない為政者よりは、する為政者の方がましな為政者であると言えます。
 むかし、高度成長を推進した池田勇人という首相が、秘書官で金光教の熱心な信者であった伊藤昌哉という人物を通して、そういう力に一生懸命すがろうとしたことは、知る人にはよく知られた話です。その何人目か後の大平正芳首相も、クリスチャンでしたが、苦境に立つと「神様の話をしてくれないか」と言って、ブレーンである伊藤さんを何かにつけ頼ったことが、「自民党戦国史」という本などに詳しく書かれてあります。
 あのこわもてで強気に見える石原慎太郎さんでさえ、さきほど言った山折哲雄さんとの対談で、自分が頼りない人間であるから何かにすがりたいのだと言っているのです。この人の信仰心については、以前からもよく知られていますが…。
 小泉さんは、はたして何かにすがろうとしているのでしょうか。たびたび靖国神社にお参りするからには、何らかの信仰心はあるのでしょう。
 小泉さんのことを冷たく切り捨てる人は多いけれど(文春の編集部は保守系のはずなのに、何故か小泉さんが嫌いらしく、こきおろすような記事ばかり載せていますが)、私自身には、まだ応援したい気持ちが残っており、小泉さんのために祈りたい気持ちさえあります。
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政治に直接宗教は持ち込まぬ方がよい
 しかし、政治と信仰との関わりというものは、自分の無知無力を自覚して神仏にすがるという、そのことだけで十分だと思うのでありまして、できればそこまででとどめておいてほしいのです。それ以上の宗教的信念とか信条とかが、政治に直接持ち込まれると、困った事態になることの方が多いように思います。
 例えば、過激な宗教指導者がそのまま政治指導者になったような国は、アフガニスタンのタリバン政権にしても、イランのホメイニ政権にしても、我々の目から見ると、極端に窮屈ないびつな国だったようですし(特に女性にとっては)、ホメイニさんがいなくなっても、イランという国は今でも窮屈な国のようです。
 日本でも、まるで独裁者のような宗教指導者を頭に戴く政党が、すでに政治を動かす大きな力を持ってしまっていることを、私はたいへん憂慮しています。
 また、いまいちばん世界中を困らせている無差別の自爆テロも、極端に過激でひとりよがりな宗教的信念の産物です。
 また、宗教的信念の故に、現実を一切無視した絶対平和主義を振り回して、比較的まっとうな紛争解決の努力をさえも、口をきわめて非難する人にも私はついていけません。
 そういうことから、私自身は、できるだけ硬直した主義主張から自由な信仰を目指すようになりました。無知無力なる私に知恵と力をお与え下さいとすがりつつ、それでいてどこまでも自分に授けられた〃ほんとうの心〃を大事にする信仰に徹したいと思っています。
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「一寸先は闇がよい」
 為政者ほどの重い責任はないけれど、われわれもとかく、どちらをとるべきか進路や行動の選択に迷うことが多いものです。吉と出るか凶とでるか、どんなに思案しても先のことが読みきれるものではありません。
 教祖様のもとに、あるとき北海道産の肥料を売買する石原峰吉という人が、参拝してたずねました。いつものように肥料を仕入れに玉島港に行ったが、あまりに高値なので、はたしてこれを買い入れても、もうけになるかどうかとお伺いを立てたのです。すると、 「峰さん、それは神にはわからない。高くても利益になると思えば買うがよし、損になると思えば買わないがよし、そのへんは神にはわからない」という答えが返ってきました。
 それについてその人は、「これは少しも無理がないみ教えである、これが神様であると、大いに感じた」と語っています。
 この人がそういう受けとめ方ができたという感性は、とてもすばらしいと思います。しかし、人によるとそうは受けとめられないかもしれません。どちらにすればよいかを教えてもらいたくて参っているのに、何という頼りない返答か、と思う人もあるでしょう。
 神様にその程度の予知能力がなくてどうして頼るに値するのか、そんな神様を信じたり頼ったりするのはやめだと思う人も、世の中には案外多いのではないでしょうか。
 しかし、それは神様や、そこからの「お知らせ」をいただいておられた教祖様に予知能力がないのではなくて、ただ、教える必要がないから教えられなかっただけのことであろうと思います。おそらくそんなことを教えても、その人間にとっては有害無益なだけなのです。人間にとっては、先のことがわかるよりも、きっと「一寸先は闇がよい」のです。これは私の好きだったエッセイストの山本夏彦さんの言葉です。
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教祖も予見能力はいただいておられた
 かといって、教祖が予言めいたことを一切なさらなかったかといえば、そうでもありません。教祖様ぐらいになると、時にはそういう力をお示しになることもあったのです。
 石原銀造さんという方の伝えた話に、明治維新の頃のあるとき、子供を背負った四十ぐらいの男性が教祖のもとに参ってきた、この人はもとは裕福であったのに、不運が重なって、今では農具まで売って生活しているという、教祖はいろいろ教えをした後、「今から半年ほどすると奥州で戦争があって、上から人夫を召される。財産の高に応じて人夫を出すことになるのであるが、金持ちは危ないと言って出ないから、それを代わって出てやれ。今度の戦争は向こうが逃げる一方であるから、危ないことはない」と言われた、とあります。
 奥州での戦争というのは、あの映画の「たそがれ清兵衛」の終わりの方にもチラと出てくる戊申戦争のことですが、すべて、教祖の予言通りに戦争が行なわれ、その人は人夫に出た日当と、代わってあげた人からもらった謝礼とで、もとの身代となることができたそうです。
 今でこそ、戦争に行くのではないような自衛隊のイラク派遣でさえ、給料以外にかなりの危険手当が出るようですが、こういう話を読みますと、当時においても、民衆がいくさに駆り出された場合、そこそこの日当が支払われていたのだということがわかります。
 また教祖は、戦争は絶対悪であるとして退けるとか、そういう決めつけ方はしておられません。起こり来るすべてのことをひとまずは受け入れ、柔軟に対処しておられます。何事もあまり杓子定規には考えぬ方がよいと思います。しかし個人的な振舞となると、絶対に人と争うことはなされなかったようです。
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神様もまだ先のことを全ては決めておられない
 これまでのような話からは、こうも考えられます。
 神様は、先のことはある程度は決めておられる、あるいはわかっておられるけれど、こまかいところまではまだ決めておられないのかもしれないと思うのです。それは、裏を返せばそれだけ人間に自由が与えられているということではないかと思います。
 人間には、あらかじめ定まった運命というものが確かにあると思います。教祖もそれを「生まれるときに約束をしてきている」と言うておられます。
 だからといって人間は、運命にがんじがらめにしばられていて、まったく自由がないというのではなくて、それは、だいたいの粗筋はきまっていても、細かいところまではまだ書き込まれていない台本を渡されて、芝居をするようなものではなかろうかと思うのです。
 細部の演じ方によって、運勢がよくも悪くもなるし、粗筋さえも大きく変更されることもありうるのではないでしょうか。
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先の読めない人間に教祖はもっとも自然で無理のない生き方を示された
 そこで大事なのは、やはり信心なのです。教祖はつぎのようにも言うておられます。

「今年は早稲がよいか中手がよいか晩稲がよいかと言うて、いろいろのことをたずねに来ても、金光は指図はいたさず。指図をしても、信心なければおかげはなし。おかげがなければ神を恨むぞ……」(市村光五郎の伝え)
 
 さらに親切にこんなこともいっておられます。当時、稲作は今以上に天候に左右されることが大きかったので、どんな品種を選んで植えるかということは、農家にとってはきわめて切実な問題であったようです。

「今年は早稲がよいと言っても、早稲だけを植えることはようすまい。中手がよいと言っても、中手だけを植えることはようすまい。それであるから、この作をと思いついたら、それを三月にまく時、もみを供えて立派にできるように願い、五月に植える時には、よく生い立ちますようにと言って願って植え、秋、穂が出たら、立派に実るように願えば、作徳がいただけるからなあ」(石原銀造の伝え)
 要するに、結果の善し悪しはあらかじめきまっているのではなく、信心によって左右されるということであります。どちらを選ぼうと、信心によっておかげになっていくのです。おかげにしていくのです。しかも教祖様は、おかげをいただけるという言い方はなさらずに、「作徳がいただける」という言い方をなさっておられます。私はその言葉にも非常な含蓄を感じるのですが、いまは触れないでおきます。

「仕事のことで夜の目も寝ずに考えて、明日は東のことをしようと思っていても、西の方のことをしなければならないようになると、宵に思ったとおりにはいかない。夜が明けたら、今日と言って願えば、手都合は合っていくことになる」(小林財三郎、角南佐之吉、利守千代吉の伝え)
 
  こうした教えを読ましていただくと、改めて、石原峰吉さんが感じたと同じように、「これらは少しも無理がないみ教えである、これが神様である」という感想がわいてまいります。そして、そのようにして生きていくことこそが、人間にとっていちばん自然な無理のない生き方のように思えてきます。
 それこそが、このきびしい修行の場を、比較的ラクにしのぐがしてもらうことのできる唯一の方法ではないか、とさえ思えてくるのであります。
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いま祈れることが究極の救い、願わずにおれないことが究極の願い
 いっとき、仏教の立場から書かれた、人生の究極の目的は何か、究極の救いは何か、というような問いに答える書物がベストセラーになっていました。
 私も一応は目を通しましたが、それが正しいとか正しくないとかに関係なく、どんな答えが用意されたところで、回答が固定されてしまうと、それは一つのイデオロギーであり、主義主張であるに過ぎないことになると思います。もちろん、金光教が答えを用意したとしても、キリスト教が答えを用意したとしても、それは同じことです。
 かといって別にそれらを否定するつもりもありません。大いに参考にはなります。せいぜい視野に入れておこうと思います。
 しかしながら、私にとりましては、いまこうして日々神様にすがり任せることができさせてもらえることこそが、私にとっての究極の救いであり、その時その時真剣に願わずにおれない数々の願いが、そのまま人生の究極の目的なのであります。
 いま、自分にそのような願いのあることが有難く、そのようにして祈れることを何よりも有難いと思いながら、日々信心を続けさせていただいております。
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談話室より
 教会長より H.30.11月

 この話は平成16年4月にさせてもらった話を平成23年頃このサイトに掲載したものです。今からもう14年半も経過したことになります。
 久しぶりに読み返してみて強く感じましたのは、物事はその時期その時期にしか思いつけないことがあるのだなあ、ということです。今ではもうとてもそんなことは思いつけない、そこまでは思いが及ばない、そんな実例も例え話も忘れてしまっていた、というようなことがいっぱいあります。そういう点では、文字にしておいて本当によかったと思います。
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