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金光教高田教会、うどんが好きかラーメンが好きか
50初めてのがん治療
大和高田市 宗教法人 金光教高田教会|祈り、救いを求め、自分に正直に生きる。
もくじ
〇 健康長寿の具体的な理由について
▲ 医療のおかげ
▲ 国民保険・年金制度のおかげ
▲  サプリメントなどの効用
▲ ウォーキングの効果
▲  安心しない毎日を過ごす」のも長寿の秘訣?
〇 我々を育ててくれた3つの教え
▲ しかし、健康は最終目標ではない
▲ 信心参りが予期せぬ奇跡を生む
▲ 志を持って生きることが長寿の秘訣
〇 とうとうがん患者になった話
▲ 頼みもしないのに検査のお膳立て
▲ 自覚症状の全くない病との闘いがはじまった
▲ 限りなく大往生に近い老衰死を目指そう
令和8年9月22日 奈良県 桜井教会にて
〇 健康長寿の具体的な理由について
 おかげさまで、今年の男性の平均寿命推計81.4を8年近くも上回らせて頂き、女性の推計87,3もとっくに超えさせていただきました。更に、「健康上の問題で日常生活が制限されることのない期間」である健康寿命ともなると、その平均値72,6歳から17年近くも元気に過ごさせて頂いたことになります。
 その理由を一言で述べますなら、「ひとえに神信心のおかげ」とも言えますが、そのお礼を申すべき中味をもう少し具体的に見てみたいと思います。
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▲ 医療のおかげ
 先ずは医療のおかげということがあります。
 私の場合、歯のインプラント手術と、腸の手術のおかげで、ずいぶん寿命を延ばしてもらえたと思います。インプラントの手術を受けるについてはフシギなお繰り合わせも頂きました(ホームページ第1話「おあてがいのままに」参照)。最初のからもう20年にもなりますが、おかげで今でも大好きなイカ・リングのから揚げを、不自由なく噛ませて頂けます。
 腸の手術は85歳の時で、閉塞状態を繰り返す腸の部分を30センチほど切り取ってもらっただけで、もう目詰まりを起こさなくなりました(第43話「はじめての開腹手術」参照)。
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▲ 国民保険・年金制度のおかげ
 次に感謝すべきは、国民健康保険や国民年金制度です。改善すべき点もあるのでしょうが、これらの制度のおかげで、比較的安心して医療を受けることができています。医療サービスの供給能力というのは、いつの世にも必要不可欠で、国力の大切な基礎の一つですから、常に最適な制度と予算を目指すべきでしょう。削ることしか頭にない、というのはちょっと違うと思います。
 インプラントは今のところ保険が利かず、高額でありましたが、何とか費用のお繰り合わせを頂きました。それだけの値打ちは充分あったと思っています。
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▲ サプリメントなどの効用
 また私の場合、サプリメントなどの効用も見逃せません。養父母が晩年失明状態になったのを見て、眼の大切さを身に染みて思い知らされ、ずいぶん早くから、目のサプリを服用するようになりました。
 そこから始まって、ひざのサプリ、尿のサプリ、またニンニクエキス、高麗人参エキスなど、いつの間にかずいぶん増えてしまいました。毎日20グラム入りの納豆と、ビヒダスヨーグルトも欠かせません。酢大豆まで自分で作っています。
 サプリメントなんぞ、効くもんかと疑う人もいますが、今のところ老眼で乱視ながら、眼も見えますし、膝も悪くないし、尿も出ますし、お通じも体調もそんなに悪くはないので、一応効いているものと信じて、服用し続けています。
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今年も誕生日に大勢集まってくれた
▲ ウォーキングの効果
 そしてウォーキングです。これももう30年ぐらいは続いています。大中公園に出て、川沿いの桜並木を行き来するのですが、名所旧跡景勝地だらけのこの奈良県で、珍しくそれが一つもない我が町に、この桜並木があってくれるのは実に大きな救いであります。
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▲ 安心しない毎日を過ごす」のも長寿の秘訣?
 これまで述べてきましたのは、全て長生きできた身体的、物的条件に関してですが、精神面のことも重要であることは言うまでも無いでしょう。この際家族や子孫がいてくれることの恩恵を語るのはあえて避け、誰にでも当てはまる話をさせてもらおうと思います。
 今から12年余り前、後期高齢者になって間なしに、「長寿社会に思う」という話を親教会でさせてもらいました(第23話)。その中で、当時83歳であった作家の曾野綾子さんが、母親と同じ認知症になるのを恐れて、結局、「安心しない毎日を過ごす」のが、認知症を防ぐのに一番有効そうに見える、と書いておられるのに同調して、自分もまた常に「問題山積、前途多難、日暮れて道遠し」との基本認識を持って生きていると言いました。
 それから12年後の今も、この基本認識というか、実感は変わりませんので、これは認知症の予防だけではなく、長寿を保つためにも有効なのではないかと思うようになりました。もちろん、それは神信心あってのことです。祈り続け、奮闘努力し続けた上での基本認識です。そして、この12年間だけでも、ずいぶん有難いことがいっぱい起きてきました。なおその上での「問題山積、前途多難、日暮れて道遠し」なのです。それは自分自身のことについても、自分が仕える教会のことについても、教団のことについても、国家のことについても、願っていること全てについて言えることなのであります。
 ちなみに曽野さんは、それから10年後の昨年、93歳で亡くなられました。息子さんのお嫁さんの手記によれば、ほとんど最後まで意識ははっきりしておられたようです。死因は「老衰」だそうです。しかも、今の私の年齢の頃には、骨折でもう歩けなくなっておられました。度重なる骨折や白内障や膠原病に悩まされながらの、旺盛な執筆活動でした。そういえば、私の死生観の形成に大きく貢献して下さった佐藤愛子さんも、今年102歳で他界されました。お二方には心から「長年ご苦労様でした」と申し上げたいです。
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〇 我々を育ててくれた3つの教え
 ところで、長年我々金光教信奉者の、健康についての認識や心構えを育ててきてくれた教えが3つあります。
 「体(たい)の丈夫を願え。体を作れ。何事も体がもとなり」
 「痛いのが治ったのがありがたいのではない。いつもまめながありがたいのぞ」
 「祈れ薬(くす)れにすればおかげも早いが、薬れ祈れにするからおかげにならぬ」
 の3つです(食物や食事についての教えは、今は別にしておきます)。
 これら単純平易にして的確深遠な教えがどこまで信奉者に浸透しているかはわかりませんが、身についた人々の平均寿命や健康寿命をかなり押し上げてくれているに違いありません。これらを知っているのと知らないのとの差は、とても大きいと思うのです。
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▲ しかし、健康は最終目標ではない
 ところが、新教典になって、更に重要な教えが一つ加わりました。
 「痛き時はお願い参り、痛うない時が信心まいり」(市村光五郎の伝え)

という教えです。要するに、健康は大事ではあっても最終目標ではないということです。
 新教典が収録されたDVDで、更に「信心参り」と検索してみますと、石原峰吉さんに対して
 「峰さん、今日はお願いかな、信心参りかな」
と問われ、山本定次郎さんに対しても
 「お前は信心参りであるか。信心参りは結構である」
と言っておられることがわかります。
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▲ 信心参りが予期せぬ奇跡を生む
 こういう場合のお願い参りというのは、「苦しい時の神頼み」というニュアンスが濃いですね。それに対して信心参りというのは、神信心そのものが目的であるかのようなお参りの仕方と言えるかもしれません。おかげの中に生かされていること自体へのお礼参り、とも言えます。そういうお参りの仕方から、願わずともかえって大きな奇跡が生まれるようです。教祖様が子供の頃から、あろうことか信心参りが大好きであったことが、このお道が生まれるという予期せぬ奇跡の元になったのであります。
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孫娘の婿殿も同じ誕生日
▲ 志を持って生きることが長寿の秘訣」
 信心参りがそういうものであるとしても、もちろん願うこともあっていいのです。教祖様も何かを願っておられたはずです。しかし、願いの大小を問わず、それらの願いには必ず何らかの志(こころざし)が含まれているべきだと思います。
 それは、誰かのために役に立ちたいという思いでもいいし、或いは世のために役に立ちたいという思いでもいいのです。或いはもっと自分を向上させたいとか、徳を積みたいという思いでもよいのです。本当は、そういう志を持って生きることこそが、目標とすべきことであり、長寿の秘訣でもあると言いたいのであります。
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〇 とうとうがん患者になった話
 さて、ここからが今日の本題です。とは言っても安心して下さい。極めて短い話で、締めくくりのような話です。
 此処へきて、とうとう私もがん患者のお墨付きを頂きました。
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▲ 頼みもしないのに検査のお膳立て
 そもそもの発端は、3年半前に腸の手術を受けた時に、前立腺がんの疑いもあるから、泌尿器科のある市立病院で精密検査を受けるよう、手術してくれた主治医の先生が、頼みもしないのに紹介状を書いてくれたことに始まります。
 もともと私自身もその可能性は十分考慮に入れていました。それよりもう10年以上前に、実家の兄と弟がそれを患ったことを知っていたからです。弟などは第4ステージから生還したらしいです。
 しかし、それでも自分から調べてもらおうなどという気にはなれませんでした。多分症状が出始めてからしか動かなかったでしょうが、その時にはもう手遅れだったかもしれません。そういう人間が、検査を受けねばならぬようにわざわざお膳立てをしてもらえたということは、実に有難いことなのであります。
 それでその紹介状をたずさえて市立病院に行くと、血液と尿の検査をして下さいました。興味がないので何の数値か知らないけれど、この数値ならまだいいでしょう、1年後にまた検査しましょうということで、その予約日まで決めて下さいました。言われた通りに同じことを繰り返し、3年目に、だいぶ数値が上がってきたから、その部分の組織を採って検査した方がいいということになり、一泊してその検査を受けました。麻酔をかけてあるので痛くはないのですが、あまり気持ちのいいものではありません。結果はやはり黒でした。
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▲ 自覚症状の全くない病との闘いがはじまった
 そして4月からその治療が始まりました。自覚症状の全くない病との闘いです。
 治療と言いましても、今のところ、3か月に1回お腹にプチュっと薬をつぎ込むのと、毎朝薬を1粒飲むだけです。放射線もあてるはずでしたが、もうしばらく様子を見てからということになりました。薬1粒と言ってもあなどれません。義務付けられた副作用の表示がてんこ盛りなんです。
 こうして改めて、3番目の教え「祈れ薬れにすればおかげも早いが、薬れ祈れにするからおかげにならぬ」が身につく稽古をさせられることになりました。
 ご承知とは思いますが、「薬る」というのは、薬という名詞を動詞化したもので、一般には使われていません、一種の方言です。薬を用いるとか、医療を受けるという意味に使われていると考えていいでしょう。
 「祈れ薬れ」というのは、時間的な前後関係のみを言うのではなく、どちらに重きを置くかが問われているのでしょう。何事もお願い申しお礼を申してさせて頂く、という神信心による生き方の基本が、ここでも求められるのです。「薬れ祈れ」とは、祈りは形だけで、実際は医療に頼り切った心理状態などをいうのでしょう。
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▲ 限りなく大往生に近い老衰死を目指そう
 もう私などは、治りさえすればよいという段階はとっくに過ぎてしまって、どういう終わり方をさせてもらえるかが、切実な問題となってきています。あるネット情報によれば、今でも男性で87歳を超えられるのは10パーセント程度らしいですが、それを超えてなお、介護も受けずに過ごさせて頂いているのは、とても有難いことではあります。しかし、いずれは、まず健康寿命の尽きるときが必ずやってきます。
 近頃は何故か、老衰でだけは死にたくない、と言うお医者さんが増えてきているそうです。どうやら、多くの人の死に立ち会って、老衰というのは実際は悲惨なものであると実感するようになったかららしいのです。それなら、何か別の病気で死ぬ必要がありますが、前立腺がんというのは、その選択肢の一つになり得るのでしょうか。新聞の死亡欄などでは、かなり高齢な人でも意外と多くこれで亡くなっていますが、今のところ自覚症状が全くありませんので、そこまでいくのにどれほどの苦痛を経なければならないのか、見当もつかないのです。
 とにかく治療が始まって5か月、大した副作用も感じずに過ごさせて頂いているのは本当に有難いことです。副作用としては書かれていませんが、近頃体のバランスがやや不安定で、すぐコケそうになります。しかも踏ん張りがきかないのです。実際、車に跳ねられたとき以外にも、何度か無様なコケ方をしましたが、幸い骨折だけはまだしたことがありません。歩く距離も歩幅も短くなりました。ゆったりと歩いている女性にもどんどん追い抜かれていきます。それでも自分の足でまだ歩かせてもらえるのが有難いです。
 老衰が全部悲惨だとも思いません。それぞれの生き方によって、きっと大きな差が出るのだろうと思うのです。お互いせっかく信心させてもらっているのですから、たとえ「問題山積、前途多難、日暮れて道遠し」であっても、くさらず、あせらず、あきらめず、願うべきことを願い続けながら、自分にできることをさせて頂き、その上で、限りなく大往生に近い老衰死を目指させて頂くことにしようでありませんか。
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談話室より
 教会長より
 この話を添付して、どこにいるかわからない孫の一人にメールしたら、すぐにタイから下記のような返事が返ってきました。どこにいてもすぐにつながる世界になったんですね(かといって今のグローバリズムは推奨できませんが)。
 以前、金光教大阪センターの近くで飲食業を営んでいた孫と言えば、知って下さっている方も多いと思います。コロナ後は、国際物流会社勤務の経験を活かして、農林水産省の仕事などを請け負いながら、貿易業や、日本企業の海外進出の支援のようなことをやっているらしいです。


 H.Kさん(男 30代 教会長の孫)R8.9月
 メールありがとう!素敵な説教原稿の共有をありがとう。
 おじいちゃんの文章と行間に含まれる想いやメッセージはとても暖かい気持ちになります。
 現在タイにおりますが、冠水や大雨の被害がところどころ甚大な感じですが(日本でもニュースでやってる?)幸いにも被害からは逃れられて平和に仕事をしております。ありがたい限りです。
 9月はNew York → Poland → Thailand、10月は半月France - ParisとMonacoでお仕事です。
 11月はLos Angeles → Venezuelaと初の南米に行きます。
 治療はどう?次に高田に参る時には、一緒にお散歩に連れて行ってね。
 おじいちゃんは酢大豆を毎日食べた連続日数世界一で、ギネスブックに載れるのでは?


 教会長
 「文は人なり」と言うように、書かれたものによって、「行間」すなわち書かれていない部分、その人の人間性やら、知識経験の蓄積やら、何を考え何を考えていないかという目配りの仕方までが、ある程度察しがついてしまうというのは、すごいことであり、恐ろしいことでもある。
 「行間」を暖かいなどと言ってくれるのは、常日頃自分は冷たい人間ではないかと案じている身にとって、とても心強い言葉や。
 私がいま一番気になるのは、戦後の日本人は、GHQの洗脳工作やそれを忠実に受け継いだ人たちによって、目配りの仕方を狂わせられたままの人たちが、まだまだ多すぎるということや。この狂いの是正に貢献することが、ライフワークの一つだと思っている。
 酢大豆のギネスブックはともかく、ヨーグルトの蓋が高く積み上がっていくのを見て、森永さんに表彰してほしいと思ったことはある。
 バルをやめた後の消息を気にしてくれている人もいるだろうから、メール全文載せるね。
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  S.Sさん(男 60代 海外在住)R8.10月
 今回の原稿は以前と違い金光様の教えが随所に見られ更に勉強になりました。
 金光様から"峰さん"と親しく呼ばれるのは凄いことだと思いました。他には"民さん"の例もありますが。
 恐らくやや厳しい四神(しじん)様(2代様)に比べて金光様の地の性格が温和で柔和だったからだと思います。
 体が元なりや、今日は信心参りかなは本当にそうだと思います。

 追伸、最近は最先端のAIが10年から20年後人類を滅ぼすというYoutubeや宇宙についてのYoutubeが多く沢山見ています。人類の後継者がAIや人型ロボットでもいいですが、その場合御霊の存在はどうなるのだろうか?等を限られた知識で考えています。


 教会長より
 久しぶりに教祖様の教えを数多く引用する、標準形に近いお話ができて、自分でもほっとしています。こんな話もできないと見放されてしまいそうですからね。
 まだ見放されているとまでは思いませんが、自分がここを評価してほしいと思うところと、人様が評価して下さるところが一致することはなかなかありません。それでも、たまに一致することがあるのが有難いですし、思わぬところで評価していただけることがあるのもまた有難いです。
 
 AIについては、全く使った経験がないので、私の場合、まずは使いこなしてみることが先決問題ですが、それにしましても、AIがどんな質問にも答えを出す精度が上がっていくということの恐ろしさは理解できます。これは戦争はおろかテロや犯罪にも確実に利用されるでしょうから、人類の自滅を早めるかもしれませんね。
 確か龍というのは、絶滅した種の動物霊だという説を読んだ記憶があります。人間も霊としてのみ存在するようになるかもしれませんが、そんなことになったらどうすればいいのか、まだ見当もつきません。
 できることならAIが、人類の持つ倫理観や、絶滅したくないという強い思いをデータとしてキチンと読み取って、それに反する動きに対しては「その質問には答えられません」と言ってくれるようになるのが一番望ましいのですが…。無理でしょうか。
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