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金光教高田教会、我が信心を語る
国旗損壊罪をめぐる感情論
大和高田市 宗教法人 金光教高田教会|祈り、救いを求め、自分に正直に生きる。
もくじ
▲ 成立したのだからもういいようなものの
▲ 得にはならぬが放っておけない
▲ 是正するにしても二通りの方法があるのだが
▲ 我らが国旗を大切に思う高市氏の長年の悲願が法案を成立させた
▲ 反対した人たちに共通するのが憤りの欠如
▲ 国旗の損壊は、正当な表現手段から大きく逸脱した加害行為
▲ 刷り込まれた罪の意識のせいで怒れない?
▲ 賛否の最後の決め手は理屈ではなく感情だ
令和8年7月25日
成立したのだからもういいようなものの
 「国旗損壊罪」法案が7月17日に成立したが、例によって特定のメディアやネットでは反対論のオンパレードであった。成立したのだから、もうどうでもいいようなものの、やっぱり私はその反対理由とか、反対運動の熱心さが気になるのである。そして、なぜ自分がその「正義」の側にまわることができないのかと、つい考え込んでしまうのである。
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得にはならぬが放っておけない
 そもそもこの法案の骨子は「人に著しく不快または嫌悪の情を催させるような方法により、公然と日本国旗を損壊し除去し、又は汚損したものを処罰する」というものらしいが、それが成立したからといって、何か制度が変わるとか、新しく予算が計上されるということはない。言ってみれば何の利害も利権も生じないのである。そんな法案をわざわざ持ち出すには、別のよほど強い思想的動機があるはずだ。法案を主導する高市首相がこれを持ちだしたのは、1912年、1921年に続いて、今回が3度目だそうである。
 その動機が日本の国旗を大切に思う、すなわち日本を大切に思う気持ちから出たものであることはもちろんだが、もう一つ、現在外国の国旗を侮辱目的で損壊することを罰する法律だけはあるのに、自国の国旗を侮辱することを罰する法律がないという、「矛盾の是正」という目的もあるらしい。
 私自身はこの法案が話題にでるまで、そんな「矛盾」があるなどとは全く知らなかった。そんな卑屈で不均衡な状態(意図的ではないにしても結果的に)が続いていると知ってしまった以上、そんな状態は我慢がならないから速やかに是正してもらいたいと思った。
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是正するにしても二通りの方法があるのだが
 ところが、是正するにしても二通りの方法があるらしい。A案として、外国旗と同等に自国旗をも悪意を持って公然と損壊することを罰するというのと、B案として、自国旗同様に外国旗損壊に対する処罰も撤廃するという方法である。成立した法案は言うまでも無くA案である。私はそれでいいと思った。
 しかし、毎日新聞編集局長の古本陽荘氏の考えは違うらしい。およそ次のように述べている。
 「自分は国旗を燃やしたり破いたりするのは許されない行為であると思うが、それは常識であり、道徳の問題である。法律で禁じる必要はないと考える。
 外国の国旗を損壊したら罰せられるのに、日本の国旗を損壊した人への罰則がないのはおかしいと言うのは、一見もっともらしく聞こえるが、外国国旗の損壊を禁じる現行刑法は、まだ国力が欧米に劣る1907年に、不平等条約を解消したい明治政府が、外交関係がこじれることを恐れて制定したものである。国民主権をうたい、表現の自由や思想良心の自由を保障する現行憲法のもとでは、『国家からの自由』はできるだけ広く保障されるべきだ。外国の国旗との整合性が問題であるのなら、むしろB案にすべきだ」
 と言いたいらしいと私は受け止めた。
 また「そこまで言って委員会」というテレビ番組でもこの問題が取り上げられて、雄弁で鳴る橋下徹氏や、居直り左翼の(と私が名付けた)斎藤幸平氏などが反対を表明していた。 
 古本氏は、時代にそぐわない条文の方を削除せよと言うのだが、どうだろうか。世界を見渡しても、損壊の是非はまだはっきりとした決着はついていないのである。アメリカは禁じていないが、中国、韓国はもちろん、フランス、ドイツ、イタリヤでも自国旗の損壊は法で罰しているらしい。
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我らが国旗を大切に思う高市氏の長年の悲願が法案を成立させた
 外国旗の取り扱いについては各国でどうなっているかは知らぬが、時代が変わっても、我が国において外国旗に配慮すべき事情は変わらないのではないだろうか。それに1907年というのは、不平等条約が完全に解消した1911年よりは前だが、日清日露の戦争に勝利して、国威が大いに上がった後のことである。外国に配慮しなければならぬ度合いは、敗戦後の今の方がむしろ大きいのではないだろうか。
 実際問題として、「在日外国人や左翼の人たちが日本国旗を燃やすのを許すなら、ネトウヨと(不当に)蔑まれる人たちがアメリカや中国の国旗を燃やすのも罰しないことにしよう」と誰かが声を上げたとしても、すんなりと通るとは思えない。
 A案の方が成立したのは、日本の国旗を大切に思い、外国と同等に、我らの国旗が辱められることも許すまいとする高市氏の長年の悲願が、多数の共感を得たからこそであろう。
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反対した人たちに共通するのが、憤りの欠如
 私から見ると、法案に反対した人たちに共通するのは、憤りの欠如である。まるで国旗は国家権力だけのシンボルだと考えているらしく見える。国民主権をうたいながら、国旗を自分たちのものとは考えていないように見えるのである。だから他人事なのである。どんなに国旗が粗末に扱われても、一向に傷つかないようなのだ、腹が立たないようなのだ。平気そうなのだ。
 それに引き換え私は、日本の国旗というものを、日本の国土、文化、歴史、そして日本国民全体のシンボルだと考え、この国を自分たちの国だと考え、誇りにも思っているので、日本国旗が辱められると、とても傷つくのである。腹が立つのである。平気でいられないのである。何より自尊心が傷つくのである。
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国旗の損壊は、正当な表現手段から大きく逸脱した加害行為
 「私たちだって平気なものか、だがそれ以上に、表現の自由や思想良心の自由を大切にしたいから反対するのだ」とこの人たちは言いたいのかもしれない。しかし、「国家からの自由」を担保しておきたいという発想自体が、自分と国家を対立物とみなす、いかにも欧米からの輸入思想の発想である。それに、国旗を辱めることが、果たして思想良心の自由な表現方法だと言えるのだろうか。そうではなくて、正当な表現手段から大きく逸脱した加害行為ではないのか。
 加害行為の最たるものは殺人で、罰せられることに誰も疑問を持たないが、これもまた別種の重大な加害行為で、罰せられて当然だと私は考える。平素は寛容の精神を説き、人格円満な宗教家のツモリではいるが、こんな加害行為をへらへらと見過ごしてはならないと考えるのである。
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刷り込まれた罪の意識のせいで怒れない?
 反対する人たちの中にはまた、そういう加害行為をする人たちが出てくるのは、自分たちが悪いせいだと、つい思ってしまい、怒れずに許してしまう人たちも数多くいるに違いない。敗戦後、戦勝国の洗脳工作によって巧みに刷り込まれ、深く根付いてしまった罪の意識のせいである。いわゆるWGIP(日本人に罪悪意識を植え付ける戦略)などが、一方的な政治的プロパガンダをそのまま鵜呑みにして内面化し、しかもその自覚がないおめでたい国民を大量に生んでしまったのである。彼らは、外国に対していつも何かしら引け目を感じていて、当然持つべき警戒心も批判力も欠いた、極めて無防備な人たちである。
 そんな人種が、教育やマスコミや言論の世界にもまだまだ多数生息していて、日本に危機を招いているのである。あの戦闘的で誇り高く見えた福田和也氏さえ、「某国に迷惑をかけた」などという、洗脳された人しか使わない表現を不用意に使っているのを読んだことがあるくらいだから、他は推して知るべしだ。
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賛否の最後の決め手は理屈ではなく感情だ
 結局のところ、この問題の賛否の最後の決め手は、理屈ではなく感情だと思う。我慢できるかできないかという二択で言うなら、この法案に賛成した私は、日本国旗を辱めるという、我が国家、国民に対する重大な加害行為が、処罰というけじめをつけずに放置されるのは我慢ならないのである。それは寛容の精神を欠くというのとはまた別のことである。
 一方、反対した人たちは、言論や表現や良心の自由が損なわれるのが我慢ならないのであろうが、何を主張するにせよ、手段として、加害の自由など、もともと認められるわけがないのである。
 何れにせよ法案は成立し、百二十年ぶりに矛盾も是正された。その熱意を称え、高市氏に感謝したい。
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談話室
 奥村正利さん(教会長の弟 84歳 千葉県市原市在住)R8.7.23

国旗損壊罪法は余りに当然過ぎて、見過ごしてしまった。反対する者にはさせておけ!
 それより神社仏閣文化財の損壊も、民族の共有財産である相互信頼を毀損する行為も、厳罰にすべきでと考えていたら、トクリュウ詐欺に加担する者が、若者中心に年間1万人以上と聞いて驚いた。これは厳罰化以前の教育・躾けの問題である。他人の子供であっても、過剰干渉の誹りを恐れず皆で教育しようではないか。

 高市内閣の「消費税を2年間下げて給付金を・・」これが理解できない。消費税程平等な税は無いと考えるからである。豊かで高級品を買う者は多額を、廉価品を買うものは少額を納める。消費税を上げるのに歴代内閣はどれほど苦労してきたか!一時的でも下げるものではない。消費税はシンプルに10%に統一して、財務改善の覚悟を国民と共有すべきである。給付金はその手間暇が大変、社会的経費を考えると、取り敢えず既存の国民年金と最低賃金を上げるにしくはないと考えるが如何に!

 
 教会長より
 
 今回の論考の動機には、反対意見をどうしても見過ごしにできないという気持ちが強くあった。双方が言いっ放しの水掛け論のままで終わるのではなく、単に相手を言い負かすのでもなく、お互い、影響し合えるだけの力を持つ議論はどうしたらできるのだろうか、といつも考えてはいるのである。そう願って、記事を送ってきた毎日新聞の古本氏にもメールでこの原文を送ったのだが、まだ返信はない。それに、こちらもまだまだ言い負かそうとする気が抜けきれない。
 
 トクリュウ詐欺とやらについては、まだ思考が追い付かない。
 
 消費税の公平性についてだが、生きるための最低必要品の一人当たりの消費量が、貧富を問わず似たり寄ったりであるとするなら、税率が上がるほど貧困層の負担は重くなる理屈だ。
 あまり詳しくはないが、輸出企業には消費税分が祓い戻されるので、その分潤うというからくりもあるらしい。経団連が消費税を上げたがるのはそのせいらしい。
 一番厄介なのは、財務省が増税と緊縮財政をセットでやりたがることだ。実際、税率を上げるたびに上向きかけた景気が後退し、35年の低迷が続いた。それでもその路線を頑なに変えようとしない。国債を活かそうともしない。
 これまでは政府の関与を最小限に抑えて、民間の活力とやらに委ねるという新自由主義が跋扈していたが、世界的にそれが大きな弊害を生むようになり、政府関与の有効性や、業種によっては必須性が見直される流れになってきている。高市政権の目指す積極財政もその流れに沿ったものだが、それを必死に阻もうとしているのも、財務省とそれに支配されたメディアである。緊縮財政で財政が改善しないことは、35年かかって証明されているのにまだ懲りないのだ。
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