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神武天皇陵(祭典準備中)
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| 49「皇室は祈りでありたい」とは 2 |
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ちょっとひどい顔になっていますが、これでもまだましになった方で、実は十日前に車に跳ねられてしまいました。ウォーキングの途中、踏切の前を横切ろうとして、踏切を渡ってくる車に跳ねられたんです。何故そういうことになったのか、あまりよく覚えていませんが、幸い地面で顔を打った以外大したけがもなく、思い返せば有難いことばかりであります。
昨年の春、初めて皇室について話をさせてもらいました。生まれつき我々が否応なしに組み込まれているこの国柄が、我々にとって幸せなのか不幸せなのか、嬉しいか嬉しくないか、好きか嫌いか、誇れるか誇れないか、大切にすべきかすべきでないかを端的に問い直す、ということで話をはじめたのですが、きちんと答えを出せるところまでいかなかったので、できればもう一度話をさせてもらいたいと申し上げました。今回はその続きとして話をさせて頂くのですが、前回の話をお忘れでも別にかまいません。大事なところは蒸し返すので、また新たな話として聞いていただければ結構であります。
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| 皇室のことはとても大切に思う。この国が大切だから |
結論の一部から先に申しますと,私は皇室のことをとても大切に思っております。
私にとってなぜ皇室が大切なのかと言いますと、この国が大切だからであります。なぜ国が大切なのかと言いますと、国という共同体の中で我々の生命財産が守られ、諸権利が保障され、我々の幸不幸が、国という共同体のあり方に大きく左右されるからです。
そして日本国とは、日本人の共同体とその言語、文化、国力、国土、歴史全般を指します。我々はこの日本国に日本人として生きているのであって、世界市民として生きているのではありません。なんでわざわざそんなことを言うのか、話せば長くなるのでそれは他の機会に譲りますが、私はあくまで日本人として、「世界真の平和」と我が日本国の繁栄と安泰を願い続けているのであります。
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| 敗戦後遺症が、国に対する愛、信頼、感謝、誇り、忠誠心を失わせる |
我々の幸不幸が国のあり方に左右されると言いましたが、逆に我々一人一人のあり方も、国のあり方を左右することは言うまでもありません。国に対する国民の愛、信頼、感謝、誇り、忠誠などの念が強ければ強いほど、国は栄え、外からの圧力や侵略にも強くなります。その逆もまた然りです。
ところがこの点で我が国民は深刻な問題を抱えています。敗戦後遺症です、それが我が国の繁栄と安泰を常に妨げ脅かし続けるのです。占領軍の巧妙な洗脳工作によって我々の国家観・歴史観が大きくゆがめられ、先に述べたような国に対する愛だの、信頼だの、感謝だの、誇りだの、忠誠心だのが大幅に失われてしまったままなのであります。
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| アメリカは日本人から神話を奪い、皇室から遠ざけることで日本の弱体化を図った |
前回も話しましたが、我が国が現存する世界最古の国であること、しかも神話時代からの王朝(皇朝)がまだそのまま続いている唯一の国であることを、今や知らない人の方が多いのではないかと思います。たとえ知っていたとしても、それがどんなにスゴイことなのかは、人に教えてもらわなければ、なかなか自分の力だけでは気付けません。私なども、かなり齢を食ってから、渡部昇一という大知識人がそのことを指摘しているのを読むまでは、そこまで思い至りませんでした。
日本人の多くがここまで日本神話や自分の国の成り立ちに無関心になったのは、GHQが学校でそれを教えることを禁じたからです。かなり早い段階から、満州にまで進出し始めた日本を排除し、弱体化させることを目論んでいたアメリカは、日清日露の戦争で示されたような、日本軍の異様なまでの強さのもとを熱心に研究しつくした結果、その強さの根源が皇室と「古事記」「日本書紀」にあると考えるに至ったという話を前回いたしました。
その上で周到に日本を開戦に追い込み、終戦前から占領政策を練り、日本に足を踏み入れるや否や、いち早く日本人の精神を骨抜きにすることから着手したのです。そして日本だけが一方的に悪いという歴史観を押し付けることにも成功しました。こういう点では、向こうの方が一枚も二枚も上手であったことだけは認めざるを得ません。
そうした目的のために、GHQは、アメリカは、国際法に反してでも8千点近い書物を密かに回収して廃棄させました。本当は古事記日本書紀を真っ先に葬りたかったに違いないのですが、さすがにこれら2点を密かに葬るのは不可能だったでしょう。そのかわりその内容を教えることを禁じたのです。GHQが去った後もそれが続いているのは、それを良しとする勢力の人たちが、未だに教育界やマスコミの主導権を握り続けているからであります。
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| もう一つの敗戦の危機感から、統一国家日本が誕生した。 |
その日本書紀の編纂を命じたのが第40代天武天皇でした。この前の第47話で、今の日本の基礎を作ったのは、聖徳太子と天智、天武、持統の3帝であるという話をさせてもらいました。そして天智帝と天武帝は兄弟、天智帝と持統帝は親子、天武帝と持統帝は夫婦という互いに密接な関係にあったという話もしました。
これら3帝が生きた7世紀は、白村江(はくすきのえ)の戦いに大敗して、いつ唐から攻め込まれかわからぬ危機的な状況でありました。その危機感から、それまでは天皇を頂点としつつも各地をばらばらに支配していた豪族たちも、一つにまとめられて初めて統一国家日本が誕生したのです。
しかし、真の統一は武力や制度だけではまだ足りません。史書によって、国民の精神の統一を図り、外国に対しては国の来歴を誇示しなければなりませんでした。天武帝は、自分一代ではとても完成し得ない国史の編纂という大事業を、後の世のために命じたのであります。
そのようにして8世紀に完成した日本書紀、そして古事記、さらに加えて万葉集が、国家統一に果たした役割は計り知れぬものがあり、また、1300年前のご先祖から、我々への最高の贈り物ともなりました。
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 橿原神宮(背景は畝傍山) |
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| そして国民と皇室が一体となる国家を目指し始めた |
私がかなり信用している伊勢雅臣という方が、白村江の敗戦がもたらした自己変革効果についてこう述べています。
「一番大きな改善点は、国民と皇室が一体となる国家を目指し始めたことです。
これは諸外国のような、絶対的な王様がいて、領民を日々搾取するといった国のあり方ではなく、天皇が、神様に国や国民の幸せを祈られ、そのお祈りされる姿を人々が見て、自分たちがお互いに助け合う、という国家を目指したのです」
何を根拠にそう言われるのか、どこまでが真実なのか、歴史学者ではない私には判断しかねますが、宗教家なので、物事を善意に解釈するこういう考え方は好きです。それなりの根拠があってそう言われるのだろうとも受け止めています。
そして、前回も言いましたように、我が国だけが二千年もの長きにわたって続いているのは、皇室があったからだというのは、ほぼ間違いないと考えています。
原理主義者なら、人間は例外なく平等でなければならぬと言うでしょう。国家の形態も純然たる民主制でなければならぬと言うでしょう。生まれつき身分に差があるなど我慢がならないと言うかもしれません。しかし、身分以外でも滅茶苦茶不平等に生まれてくるのですから、それでかえって面白いのですから、そんな原理主義で凝り固まってもあまり意味がないのです。例外も多少は認めようよと言いたいのです。別に差別を容認しようとするわけでもないのですから。ましてや二千年も続いてきた伝統は大切に守るべきだと思うのです。
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| 皇室がそんなに長く続いたのは、祈りを一番大切にしたから |
日本国が二千年も続いたのが皇室のおかげであるとして、それでは皇室がそんなに長く続いたのはどうしてかということになります。これも結論から言いますと、祈りを一番大切にしたからだ、と言えると思います。
天皇も最初は武力で国を平定した覇者であったかもしれません。代々政治権力を振るう統治者でした。中には第21代雄略天皇のような残虐な暴君もいたことが、古事記日本書紀には包み隠さず書いてあるらしいです。しかし、これまでの世界中の支配者の中でただ一つちがうところがありました。代々神々の祭りごと、つまりは祈りをとても大切にしたのです。それはもう初代の神武天皇のときからそうであったとも、日本書紀には書いてあるらしい(以後又読みでも煩わしいので「らしい」は省きます)です。雄略天皇でさえ神を敬った形跡があります。
そして歴代天皇や周囲の人々がどれほど宮中祭祀を大切に考えていたかについては、数々の記録が残されています。同じ日本書紀に、蘇我石川麻呂(そがのいしかわまろ この人自身、波乱の生涯を送りました)が、第36代孝徳天皇に「天皇は、まず神祇(あまつかみ、くにつかみ)を祭り鎮め、そのあと、政治を行ってください」と建言したとあります。7世紀にはもうそういう認識が出来上がっていたのです。先に引用した「天皇が、神様に国や国民の幸せを祈られ、そのお祈りされる姿を人々が見て、自分たちがお互いに助け合う、という国家を目指した」ことの一つの表れでしょう。
平安時代に入り、第59代宇田天皇のころになりますと、「大地の上で祈る」という古(いにしえ)よりの形を受け継ぐため、天皇が起居される建物の東南の隅(伊勢神宮のある方向)に、板敷と同じ高さに土を積み上げその上を石灰で塗り固めた場所で、毎朝起床されると、体を清めた後、祈りを捧げられるようになっていました。
この毎朝の祈りや数々の宮中祭祀は、鎌倉時代に入っても歴代天皇にしっかりと受け継がれ、第84代順徳天皇はこう書き残しておられます。
「様々なことを皇居では行いますが、それらのうち、神を祀ることこそ、まず天皇がなすべきことであり、他のすべてのことは、その後に行うべきものです。天皇たるもの、朝から夜まで、神を敬うことを怠けてはなりません」
平安時代から既に、皇室が政治権力から遠ざかることは始まっていましたが、そうなればなるほど、このように宮中祭祀が重みを増し、皇室の役割が祈りに特化していくことで、かえって皇室の権威が安定したと言えるのではないでしょうか。言い換えるなら、どの国の君主や支配者にもない強い祈りがあったればこそ、皇室は長続きしたのでしょう。経済的に困窮した時期があったにしろ、いつの頃からか天子様と崇められ、あまり高くない塀をめぐらせただけの、無防備な皇居を攻める武将はおらず、盗賊さえ襲おうとしませんでした。こんなことは、外国では考えられないらしいです。
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| 長い年月をかけて、皇室を中心とした国民の一体化が進んだ |
そして、長い長い年月をかけて、皇室を中心とした国民の一体化が進んだのです。今では、我々はつい単一民族であると錯覚しがちですが、もともとは雑多な部族や種族や民族の集合体だったのです。
ところが我が国に限って、そうした部族種族民族が、皇室中心に奇跡的にまとまることが出来た、言わば渾然一体となった「渾一(こんいつ)民族」なのだという説を唱える人もいるくらいです。
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| 戦後、日本的な精神力に対する大々的なネガティブキャンペーン |
そういう一体感からくる強い団結力や忠誠心が日本の強さの根源であることを見抜いたアメリカは、日本弱体化のため、大方同じ日本人を使って、日本的な精神力に対する大々的なネガティブキャンペーンを張るようになった、というのが、私が戦後の言論空間から受け取った大まかな印象であります。
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| 最も便利で有効なキ-ワードが「軍国主義」 |
そのプロパガンダのための最も便利で有効なキ-ワードが「軍国主義」という用語でしょう。これを使えば、我が国の良風美俗と思われることにさえ、言いがかりをつけることが可能なのです。皇學館大学教授の松浦光修氏が次のような話を紹介しています。
ある1年生の教え子が、子供のとき近所のおじいさんから、「ご先祖さまに恥ずかしくない行いをしなさい」と教えられ、そう信じてきました。ところが高校生の時、現代社会の担当の教員から、「そういった考え方は、軍国主義につながるからやめなさい」と怒られたそうです。またある国立大学の教育学部の教授は、「世のため、人のためという考え方は、軍国主義につながる」と、教師を目指す学生たちに教えているそうです。
まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」的な荒唐無稽なこじつけに思えるのですが、ある種の世界に住む人々にとっては、それが疑う余地のない「常識」なのかもしれません。
この言葉が決めつけ用語として有効なのは、中味が薄いからです。薄いからかえって幅広く使えるのです。しかも効果は絶大で、世のため人のために役立とうとすることまで禁じてしまえるのです(このお道では大いに推奨されていますが)。「軍国主義が日本を戦争に駆り立てた」と言えば、ほとんど説明にはなっていないのに、全てが説明されたような気になって、それだけでもう日本の軍備だけに反対する人がでてきたりするのです。巧みな洗脳工作によって、日本だけが悪かったとか、日本が一番悪かったと思い込まされているからであります。
つまりこういう言葉を使いたがる 人は、たいていそこで思考停止してしまって、戦争の真の原因のきめ細かい追及にまで考えが及ばないのです。GHQや、それを引き継いだ政治勢力の、プロパガンダに洗脳された操り人形でしかないのです。
また、「軍国主義日本」と言われるのはよく見聞きしましたが、「軍国主義アメリカ」とか「軍国主義中国」とか、「軍国主義ソ連・ロシア」とか、「軍国主義北朝鮮」とか言われているのはあまり見聞きしたことがありません。どれもみな日本以上の「軍国主義国家」なのにです。してみればこれは、日本をけなしたい人が、日本をけなすときにだけ使う特別な用語なのかもしれぬとも思います。
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 何処へ? |
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| 皇室関連で一番標的にされたのが「天皇陛下万歳」 |
皇室関連で一番標的にされ、おとしめられたのは、何といっても「天皇陛下万歳」でしょう。これで多くの人々が死地に赴き、送り出されたとして。ある時は加害の象徴のように、ある時は被害の象徴のように、最悪のマイナスイメージで語られることが多くなりました。それがそのまま皇室否定の論理にも結び付きました。二度とこんな唱え言葉で国民が戦いに臨むようなことがあってはならない、などと言いつのられるようになったのですが、本当にそれでよいのでしょうか。陰でいちばんほくそ笑んでいるのは、どこの国々でしょうか。
あの「万歳」の叫びには、単に皇室愛だけでなく、同時に祖国愛、同胞愛、肉親愛までもが込められていたように思います。それらの愛が(誇りも含めて)渾然一体となって、ほとばしり出た叫びなのではないかと、今は考えています。
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| 「民やすかれ」「よかれかし」が皇室の祈り |
ここでそろそろ、話の締めくくりとして、天皇の祈り、皇室の祈りとはどういうものか、ということに触れておきます。
先に伊勢さんという方の、「国民は天皇がお祈りされる姿を見て、自分たちがお互いに助け合うようになる」という言葉を引用しましたが、実際は、そういう姿が直接国民の目に触れることはありません。一番肝心な「本務」であられる宮中祭祀は、国民の目に触れないところで、ひっそりと厳かに真剣に執り行われています。しかも、未だに冷暖房もないらしいです。比較するのも僭越ですが、私など、同じく我々なりの祭祀を担わねばならぬ身ながら、そんなことではとても務まらないのです。
そうして仕えられる儀式の祭詞に、どのような内容が盛り込まれているのか、知る由もありませんが、要するに、私がいつも言う国家の繁栄と安泰や、「民やすかれ」と願われる思いが盛り込まれていることは間違いないでしょう。
「民やすかれ」というのは、幕末の第121代孝明天皇の御製「朝夕に 民やすかれと思う身の 心にかかる 異国(とつくに)の船」から来ています。この時代の天皇のお気持ちがよく表れていて、心にしみます。外圧に対する危機感の強かった孝明天皇の祈りは、相当激しいものだったそうです。明治以後も、歴代天皇はみな心に響く歌を残しておられます。
天皇以外の皇族はどうか。「皇室は祈りでありたい」というのは、知る人ぞ知る、今の上皇后陛下のお言葉ですが、それについて質問されたとき、上皇后様は、一国の方策を選ぶ具体的な判断はそのときその国の人々の英知によってなされねばならないが、それに対して皇室というのは、常に「よかれかし」と思って祈り続けるのが大事だと思う、と言う風に答えられました。この「「民やすかれ」や「よかれかし」こそが、歴代天皇や皇室に共通の思いであり、祈りなのではないかと思うのであります。
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| 対象が何様であれ、祈ることの意義や終着点は万人共通 |
ここでちょっとだけ断っておかねばなりませんのは、人間の祈りは、その祈りの対象が何様であれ、祈ること自体の意義や終着点は、万人共通だと私は考えております。我々は生神金光大神様を介して天地の神様のおかげを頂こうとしているつもりなのですが、そのルートはどうであれ、天皇さまもまた、あまつかみ、くにつかみを介して、最終的には天地の神様のおかげを受けておられるのだと考えています。
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| 祈りは行動の強い原動力となり得る |
では、そのような祈りにはどんな力があるのか、いつの世でも、これを可視化することはなかなかむつかしいです。証明とまではいかなくても、人はある程度納得しなければ信じようとしません。それはそんなに悪いことでもないと思います。
ならば、祈りというものが行動の極めて強い原動力になり得ることは、誰にでもわかるでしょう。最後に、昭和天皇と現上皇ご夫妻を例にとって、そのことを考えてみたいと思います。
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| 〇 昭和天皇の場合 |
この前の話で、仁徳天皇と「民のかまど」の逸話を、もうどなたもご存じでなかったのですが、それなら、昭和天皇とGHQ司令官のマッカーサーが最初に会見したときの逸話はご存じでしょうか(やはり皆首を振る)。これくらいはぜひ知っておいてほしいものです。これにも諸説ありますが、伝説化した話の大筋はこうです。
最初マッカーサーは、昭和天皇が命乞いに来たのだろうと、出迎えもしなかったが、天皇は、戦争の全責任は自分にある、自分の身はどのようにしてくれてもかまわないが、どうか国民が飢えるようなことのないよう配慮願いたいと言われた。それに感動したマッカーサーは、すっかり態度を変え、帰られる時には会見場の出口まで見送った、というものです。どこまで事実かはわかりませんが、天皇がマッカーサーの尊敬をかち得たことだけは間違いなく、その後の占領政策に及ぼした好影響は計り知れません。それでも占領政策の悪影響はまだいっぱい残っているのですが…。
このような昭和天皇のご態度や行動は、平素からの「民やすかれ」との真剣な祈りあればこそ、ごく自然に生まれてきたものに違いないと思うのです。その祈りはまた、敗戦の翌年からの全国巡幸にもなりました。国民を慰め、励まし、勇気づけたいとの、8年半にわたる過酷な旅でした。ご自分の体調のことは一切考慮しなくていい、と言い切られました。
「ヒロヒトのおかげで父親や夫が殺されたんだからね、旅先で石のひとつでも投げられりゃあいいんだ」と考えて許可を出した占領軍の思惑は見事に外れて、天皇は行く先々で熱烈な歓迎を受け、感動的な出会いも数々生まれました。人々は天皇の行為が単なるパフォーマンスではなく、本物であることを、ちゃんと見抜いていたのです。警備さえほとんどなされていないことに驚く外国人記者もいました。これによって、敗戦後の人心は大いに安定し、勇気を得、我が国は急速に復興を遂げることになったのであります。
私自身も小学生の頃、どういう経緯でかは知りませんが、「お召列車」が通る鉄道わきに並ばされて、「天皇陛下万歳」を唱えた記憶があります。今にして思えば、そりゃキツイわと思います。列車で移動中にさえ、立ちっぱなしで「万歳」に応えねばならず、恐らく気を抜く間がなかったのです。
そんな昭和天皇を悪く言う人もいるにはいました。その後私も戦後マスコミなどの影響で、皇室をあまり敬わなくなっていましたが、それでも、「広場の孤独」という作品で芥川賞を取った堀田善衛という作家が、ある座談会で昭和天皇を口汚くけなしているのを読んで、とても嫌な感じがしました。あれは何だったのだろうと今でも思います。
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 飛鳥 天武・持統天皇陵 |
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| 〇 上皇ご夫妻の場合 |
現上皇ご夫妻は、「テニスの恋」で結ばれなさった新時代の皇族ではありますが、上皇様もまた、前天皇時代、宮中祭祀をとても大切になさっていたことは、あまり知られていません。それが体力的に難しくなり、譲位なさったのです。このご夫妻について、どうしても知っておいてもらいたい逸話を、最後に紹介しておきます。
戦後のマスコミでは、週刊誌などで興味本位の遠慮会釈のない皇室たたきが行われるようになったことは、よくご存じのことと思います。平成5年の暮、美智子様はそのストレスで倒れられ、声も失ってしまわれました。
あくる6年の2月、ご夫妻は戦没者慰霊のため、激戦地であった硫黄島にでかけられました。あのクリントイーストウッドの映画の舞台にもなった硫黄島です。
その50年前の2月、米軍は栗林忠道中将率いる2万余が守備する小さな島に、島の形が変わるほどの艦砲射撃や飛行機による爆弾投下の後。圧倒的な兵力で襲いかかりました。5日で落とせると豪語した米軍でしたが、灼熱地獄に地下壕を張り巡らせた栗林中将のすぐれた作戦指揮によって、1か月以上も頑強に持ちこたえ、その上、米軍にとって日本軍を上回る死傷者数を出す唯一の戦いとなりました。宗教的人類愛からすれば、そんなことで喜ぶのではなく、相手方の死傷者の多さにも心を痛めるべきなのでしょうが、こうした場合、人類愛よりも祖国愛を優先させるのは、ごく自然なことだと私は考えています。栗林中将は、最も優れた指揮官を選ぶ最近の調査で、東郷平八郎を抜いて第1位に選ばれていました。その上「うちの閣下のそばで暮らすと、世間は醜くて…」と人に思わせるほどの人格者だったそうです。
そしてそれに続く沖縄戦での激しい抵抗などのおかげで、米国に無条件降伏をあきらめさせ、条件付降伏に持ち込むことが出来たのです。一般には無条件降伏だったと喧伝されていますが、実際は立派な条件付き降伏で、そのため皇室が保持されたばかりではなく、米軍による直接統治をも免れたのであります。これは実に大きなことで、もしも直接軍政でも敷かれていたら、日本はもっと滅茶苦茶になっていたに違いありません。
これを機会に「硫黄島からの手紙」という映画の録画を久しぶりに観なおしてみました。日本軍を一方的に悪者扱いすることからは免れていましたが、今述べたようなことは見えてこず、紋切り型思考のワクからは抜け出せていないと感じました。
慰霊祭に話を戻します。
その折、天皇(現上皇)様は、「精魂を 込め戦ひし 人未だ 地下に眠りて 島は悲しき」と詠まれ、皇后(現上皇后)様は、「慰霊地は 今安らかに 水をたたふ 如何ばかり君ら 水を欲りけむ」と詠まれて、手厚い祈りを捧げられました。
すると、遺族を前にされたとき、それまで出なくなっていた皇后さまのお声が突然戻って「ご遺族の方たちは、みなさんお元気でお過ごしですか」と声をかけられたのです。またその日を境に、駐屯する自衛隊員たちを悩ませていた、霊の障りとしか言いようのない奇妙な現象がピタリと止んだというのです。おまけに、その夜、無数の火柱のようなものが天に上っていくのが見えた、という話まであります。こんな話は可視化不可能なので、信じたい人が信じるしかないのでありますが、不可能ついでに、もう一つの話を紹介しておきます。
霊能者の佐藤愛子さんが他の霊能者から教わったという話によりますと、皇居の上空には数十年前から、大内山神界という神界が造られたそうです。大内山というのは皇居の別名です。他にも富士神界とか、高天原神界などというのがあるらしいです。神界と言っても、御霊様の霊団で、新しい神界は、主として日本の行く末に危機感を持った維新の元勲たちによって構成されているらしいです。
我が国の行く末を願うとき、一度は皇室について真剣に考えたいと思っていましたが、こうして観ると、やっぱり皇室は、我が国にとって、誠に貴重な、かけがえのない、有難い、誇らしい存在で、我々はそのことにもっと感謝し、もっと皇室を大切にしていくべきではないかというのが、今の私がたどり着いた見解であります。
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| 談話室より |
S.Sさん(男 60代 海外在住)R8.4月
踏切近辺での事故驚きです。お身体は大丈夫ですか? 踏切を越えようとする車はいつ遮断機が下りるか分からないので焦りもあったかもしれませんね。
お話、面白く読ませて頂きました。
天皇家の最も重要な役割が祈り、―多分神道の神様、或いは先祖である天照大御神に対しーは勉強になりました。
仏教が7世紀頃入ってくる前は、日本の神様は神道の神様だったはずなので、天地金乃神も関係しているかもしれないですね。
また、硫黄島での慰霊祭、皇居の上空の神様の話も面白かったです。
教会長より
お気遣い有難うございます。
当日救急車でやや遠方の病院に連れていかれて、レントゲンを撮りまくられはしましたが、傷口にガーゼを当てられたきり治療らしい治療は何もされず、以後病院には2回通ったきりです。それくらい軽くすませてもらいました。ただし1か所だけ目の上のたんこぶの腫れがまだひいておらず、まだまだ日数がかかりそうです。
「面白い」というのは、至ってシンプルながら、とても励みになる言葉です。どこをどう面白いと感じるかは人それぞれでしょうが、一つでも二つでも、面白いと感じてもらえる箇所があれば嬉しいです。皇居上空の神界の話も、少し迷ったのですが、取り上げてよかったです。
そして結局のところ、今回の話に込めた二つの大きな願いが少しなりと叶えられればと思います。その二つの願いとは、まず、宗教家として”祈り“の重要性を人様に伝えられること、それと、国民の皇室観が良い方に改まるお役に立ちたいということです。
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奥村正利さん(教会長の弟 84歳 千葉県市原市在住)R8.4.10
交通事故とは災難でした。此方も先月接触事故で、クルマに10㎝ばかりのへこみ、ぶつけられたのだが、相手も老夫婦、これが高齢化と言う事だろう、危険を察知しながら、或いは察知も出来ず、事故に遭う。せいぜい気を付けるしかない。もう運転は家族に任そうと思う。
〇 日本人とは何か
皇室を論じる前に、日本人とは何かを考えてみたい。
2004年頃であったか、イスラム原理主義者に捕らえられた現地NPOのボランティア達、欧米人は、必死に助命嘆願していたのに、日本人スタッフは男女共に、一向にその素振りなく、淡々としていた。如何にも強制された文章を読み上げるだけであった。
ユーチューブで首切りの実況も撮影していたが、捕らえられた若い日本人は、強制されて助命嘆願文を読み上げていたが、終了後、テロリスト達に気付かれないような小声の日本語で「スイマセン」!「助命嘆願は本意では無い」と言いたげであった。「我々の死生観は若い世代にも根付いて伝わっている」と確信した瞬間であった。直後に「何をする!」の叫びと共に、首をねじ切られたのだが!
学生時代、剣道部に入った。老師範は「日本人は生まれながらに剣道6級だ」と説かれていた。伝統は根強いものだ。
以前にも記したのだが、2008年だったか、尖閣を巡り、日中衝突が危惧されたとき、中国では海保への志願者が激減したのに反し、日本の海上保安庁には万余の志願者が殺到した。筆者が当時働いていた大学研究室の4年生も、皆が引き留めるのを振り切って、大学を中退して志願して行った。卒研もほぼ見通しが立っていたのに、きざなハット帽子姿の軟派学生と思っていたので意外であった。
若い世代は、従来の平和主義ではこの国際環境を乗り切れないと直感しており、それが高市人気につながったのではなかろうか。ついでに言えば、野党の要求する「消費税減税」に、世論調査で反対6割も、無責任なバラマキに対する危機感の表れであろう。
我家の隣人にブラジル人一家が引っ越してきた。白人の旦那と日系の奥さん、未就学娘2人、会話はポルトガル語である。奥さんは日本語はたどたどしいが、価値観は、移民一世である両親の古い日本の価値観を継承している。
戦国時代の日本人町は総数10万人と言われ、当代は各現地で随分活躍した模様である。しかし3~4代はミームが残るのであろうが、周囲を気遣うミームはある意味周囲に溶け込んで消滅してしまうのかも知れない。華僑と違って数代後には痕跡も消えていった。日本人の最大の財産は相互信頼である。お互い気遣い合う文化である。反面、周囲への気遣いは周囲に溶け込んでしまう結果となる。日本人のミームは日本列島内だから保持され、逆に環境に特化して進化したとも言える。
〇 天皇制の意義
英国王室の生活の乱れは、高貴とは縁の無いどろどろの人間模様である。ドイツ皇帝は、第一次大戦の敗戦で退位に際し只管心配したのは王室財産の維持であり、敗戦国民への配慮は皆無であった。欧州系王族には倫理的な高貴さが欠落している感がある。
欧州の王族と皇室とは質が違うと考えられる。
天皇が終戦の詔勅を放送したから、「一億玉砕」が消えた。玉音放送と言う「錦の御旗」に狂信的な軍人達も従わざるを得なかった。
明治維新は、革命である。幕府と言う巨大な組織が崩壊して、薩長土肥の若き下級武士集団にとって代わられたのである。フランスもロシアも中国も革命戦争は苛烈を極め、それ以上に革命後には凄惨な処刑の嵐が吹き荒れた。日本はそれが殆ど無かった。朝敵になった途端将軍慶喜は大急ぎで負け急いでいる。敗戦処理もせいぜい集団流刑である。それどころか敗者も新政府の要職に就いている。天皇がいたから、内乱が小さく収まった。正邪よりも「錦旗を掴んだ方が勝ち」となったのである。革命は善と悪との戦いである。問題は「どちらが善か」だが、その判定は人智を越えている。敵味方共に「錦の御旗」に納得できるなら、社会的に大変な共有財産である。
皇室と「相互信頼」とは日本社会の貴重な共有財産である。
我々はそれを主張してよいのだ。損なうものは糾弾してよいのだ。生存権である。
(余談だが、種々の詐欺電話はこの相互信頼を悪用する、生存権の敵である。人権など配慮せず徹底攻撃すべきではなかろうか。)
天皇制とは何であろうか
ローマ法王とも異なる、宗教的権威を越えた存在である。
天皇の権威とは何だろう?
ここで話題を変える。
〇 ミームに鍛えられたDNA(身体の遺伝子DNA、心の遺伝子ミーム)
DNAだけで伝統が守れるものでは無い。智恵や心掛け、ミームを鍛えねばならない。大阪や京都の老舗は実子が居ても不適切なら養子に店を継がせてきた。ミーム優先である。
天皇家は稀にみる男系DNA継承を続けている。公家と言う強力なミーム補佐集団が有ったからであろうか?
強烈なDNAは数代有効である。ナポレオンはその甥ルイ・ナポレオンに引き継がれた。チンギス・カンの血を継ぐ者はその世界では別格視され、今やチンギス・カンのDNAの子孫は世界に1000万人居ると言われる。しかしミームを伴わない1000万人は意味を成さない。
日本も神武天皇のDNAを継ぐ者は、幾百万いるであろう。しかしミームを伴う集団は僅かである。系統を掘り起こし、予備集団としてミーム教育を施す必要がある。
宗旨や主義主張に人民を合わせよう。合わない人民は抹消して美しい世界を作ろう。
其の極みはカンボジアのポルポト政権だが、ソ連も、種よりも育て方で収穫が増えるとするルイセンコ学説を信奉して、資本主義的思考を持ち得る有能な人材を、ごっそり排除したのである。逆に種を選ぶべしと考えたのがナチスで、不良品と判定した者を大量に消した。残念ながら良い組み合わせからも一定の比率で不良品は出る。不良品を出さない為には種を絶滅させるにしくは無い
種の保存の為には多くの変異を作り続けるのが有利である、環境の変化に順応できた変異が生き残る。どの変異が良品なのかは結果次第で、これが進化の実態と考えられる。
価値を決め込んで、人民は教育で思想を叩き込めば、「不良」を消せるとする共産主義者や宗教思想家達は、完全と信じる言葉で説得しようとする。
そもそも言葉は不完全なもの、それを使って表現する宗教や主義は当然不完全、人間全てを表現できない。キリスト教はユダヤ教との論争で、仏教も在来宗教との論争で自己を正統化する過程で経典が膨大化した。それでも不完全である。
完全良品になるには、生物としての人間を辞めるしかない。北一輝曰く「共産主義は人類が神類にならないと実現しない」。デュマ曰く「宗教者は神ばかりを愛して人を憎む」。
不完全な言葉に頼らず、相互信頼と、集団の安寧を祈るだけの、象徴のような天皇が核にあって、以心伝心、融通無碍、アメーバのように、誰が指揮しているのか判らないが、群れは目指す方向へ、それが日本だ。
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天皇後継者問題
千数百年男系で続いて来たのは奇跡に近い。今後共それを継承したいものである。
男女平等なんていう浅薄な思考で女系に移行すべきではない。男系DNAの価値は未詳であるが、分からないうちは、取り敢えず継続こそ重要である。
明治までは「何としても男系の子孫を残す」事が最優先であり、側室は当然であった。昭和以降その策は廃止された。
昭和天皇のこの決断は、皇太子誕生で事なきを得た。しかし平成天皇では危機に直面している。辛うじて弟君に男子が生まれて、今のところ維持される見込みである。次世代はどうなるか、DNA集団を掘り起こしてミームで鍛え直す必要がある。
1500年前、応神天皇から5代を、天皇家から離れていた傍系の継体天皇が、皇統を継いだ例もある。
秋篠宮家の方針は「外の世界を経験させよう」とて子弟を一般の学校に通わせている。
明治以来築かれた伝統的教育体制から外れた一般教育を目指したが、ミームに鍛えられないDNAに周囲は不安を感じるのである。幼時からしっかりと、帝王教育をしてもらいたいところだが、一般教育というのも一興か!補佐体制をしっかりして欲しいものだ。
結語
欧州の王族もローマ法王も世俗的権力争いや利権争い等の欲望が丸見えである。皇室には役割が有るだけ、それが「祈り」である。「祈り」の内容にどんな意味があるのか、言葉では表せないが、「祈り」に没入する姿が皇室の権威であり、日本人の共有財産である。
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教会長より
相変わらずの力作力論で有難い。
まず日本人論であるが、尖閣問題の折、海保の志願者が殺到したという逸話は、あらゆる調査において、日本の若者の国防意欲が世界中で最も低い数値を示しているだけに、誠に頼もしい。日頃から吹き込まれた観念と実際の行動は別なのだ。意識調査の結果を案じ過ぎるには及ばないのかもしれない。しかし、意識変革の必要性も大である。
ミームという耳慣れぬ言葉が出てくるが、調べてみると、「利己的遺伝子」論で有名なドーキンスの造語らしいね。
• 本来の意味:文化的情報が人から人へ模倣されて伝わる単位
• 現代の意味:ネット上で拡散・改変される文章、画像、動画などのコンテンツ
ということらしいが、まだよく使いこなせない。「単位」って何だ。
「願わくは、定住外国人も、世代を重ねるごとにミームを繰り返して日本人化してほしいものだ」というような使い方でよいのか。
ついでに出てきた消費税減税反対の世論の取り上げ方のニュアンスは、あれほど議論を重ねているのに、相変わらず頑固に財務省寄りのようだ。消費税というのは、普通に考えられている以上に厄介な問題点を孕んだ税金らしい。その税率を上げ続けることと、緊縮財政を同時に強行したがために、すっかり国力が衰えてしまったのである。これひとえに財務省の責任である。
次に 「天皇制の意義」についてだが、「皇室と「相互信頼」とは日本社会の貴重な共有財産である」「『祈り』に没入する姿が皇室の権威であり、日本人の共有財産である」という考えは、私の説の強固な補強材料になってくれるものである。
皇室がもたらす一体感や好結果の近年の実例が挙げられているが、私ももう少し遡って、鎌倉時代皇室はすでにどう見られていたかという例をあげておこう。
後鳥羽上皇が討幕の兵をあげた承久の乱(変とも言う)の折、北条義時は鎮圧のため息子の泰時を京都に差し向けた。泰時は朝廷に弓を引く事態に迷いに迷った挙句、一度戻って義時に尋ねた。「もしもこの戦いで、院ご自身が先頭に立ちご出陣あそばされたら如何いたしましょう」と。すると義時さえも、そんな折は武装を解き投降せよ、しかし院ご自身が都に留まって軍勢を差し向けなされただけなら、徹底抗戦せよと答えたという。義時・泰時のみならず、他の武士たちの間でも、朝敵となることを厭う土壌はすでに出来上がっていたとみえて、尼将軍と言われた北条政子は、ためらう武将たちを説得して送り出すのに「君側の奸を討つのだ」、という論法を用いたという。
幕府側が勝利をおさめた後も、上皇を討つことはせず島流しにとどめ、後堀河天皇を擁立するなどして、天皇の権威と幕府の権力という「二階建て構造」が確立し、国家の一体性が護られるようになったと言われる。
後継問題はとてもむつかしい。男系にこだわるのは遺伝子の問題ではなく,家系交代を避けたいのであろう。場合によっては、ハプスブルグ家のように、他国を乗っ取る(或いは他国に乗っ取られる)ことさえ、いとも簡単にできてしまうからね。
男系でなければならぬという理由も一応は知っているし、賛成でもある。しかし、その論を無知な世論を変えるところまで普及させられるかどうか、それで皆をを説得できるかどうか、また、宗教学者の島田裕巳氏をはじめ、愛子天皇を強力に推す今の潮流、もしくは陰謀を跳ね返せるかどうかは、はなはだ心もとない。
けれども、第46話から第49話までの我々兄弟の一連の論考は、賛成が得られる得られないにかかわらず、ある程度の問題提起にはなっていると思う。こういう問題意識を、後に続く人たちがちょっとでも引き継いでくれるなら、これほど嬉しいことはないんだがね。
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