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47「皇室は祈りでありたい」とは |
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理念の二極化が進みつつある |
今この国でもまた世界中でも、どうやら理念の二極化というのが進んでいるらしいです。いわゆるグローバリズムとナショナリズムへの二極化であります。
直訳しますと、グローバリズムは世界主義、地球主義、ナショナリズムは国家主義、国民主義、民族主義ということになり、それを支持する人は、それぞれグローバリスト、ナショナリストと呼ばれます。
もう少しかみ砕きますと、グローバリズムとは、「地球を一つの共同体と捉え、世界の一体化を図ろうという思想」のことらしいです。「一般的に、国境という物理的な垣根を越えて、経済、政治、文化などを地球規模で拡大させる考え方や姿勢のことを指す」そうです。
今日本に住むグローバリストたちの中には、こんな風に考えている人がいるかもしれません。
「何国人だって何人種だって同じ人間じゃないか。自分は日本人であることでは格別誇りも愛着も持っていない。むしろ戦争を起こした国民として深く恥じている。今や国境というものは邪魔でしかない。誰でもどんな国にも自由に出入りができる多文化共生社会を目指すのだ。外国人が日本の土地を買いあさる。何がいけないのだ。日本列島も日本人だけのものではないだろうが。N社の社長が北海道に中国人500万人が移住する計画の手助けをしているらしい。結構なことだ。天皇制?何それ。生まれつき身分の差があるということ自体、根本的に我慢がならないね」
この人たちが嫌うのは言うまでもなくナショナリズムです。以前読んでいた新聞には、しばしば「偏狭な」という形容詞をつけてそれが論じられていました。偏狭なナショナリズムだけは御免蒙りたいと書く記者がいました。そういう日本のナショナリズムが戦争を引き起こしたのだ、という強固な刷り込みがなされているようでした。 |
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グローバリズムは社会主義とも新自由主義とも相性がいいのだが |
グローバリズムは、従来の社会主義とも、今はびこりつつある新自由主義とも相性がいいので、グローバリストはおおむね社会主義者か新自由主義者かのどちらかです。
グローバリズムは、一見、最初に掲げた教えの精神に近いように見えます。しかし、本当にそうでしょうか。まず、社会主義の方は、実際にやってみるとうまくいかなかったり、思想的にも結局共感を得られず、世界的にも国内的にもかなり衰えてしまいました。それでいて、アメリカの大学などは、今すっかり左翼に支配されているという話もありますが…。いずれにせよ、この主義の人たちには信仰心の裏付けがあまりないので、人類愛も不徹底で、大虐殺でも平気でできてしまう体質になりやすいのです。まあ、特定の宗教を信じる人々も、過去には大虐殺を行ったのですが…。いや、原爆を落としたのも、特定の宗教を信じる人たちであったと言えなくもありませんね。命じたトルーマンは日本人に対してそれを使うことに、何のためらいも悔いも感じなかったそうです。話がどんどんそれていきそうになりますが、そういうことを差し引いても、スターリンや毛沢東やポル・ポトが殺害した人々の人数は桁が違うと言いたいわけです。
新自由主義者についてもあまりいい評判は聞きません。小さな政府を目指し、民営化国際化を推進するのですが、崩壊後の旧ソ連の経済をめちゃくちゃにして利益だけを吸い上げていったとか、南米諸国でも同じようなことをしたとか、わが国にも「悪影響」を及ぼしつつあるといいます。岸田首相が就任時に「新自由主義からの脱却」ということを掲げていたことからすれば、何らかの弊害を認めてのことでしょう。
そもそも、郵政民営化をはじめ、アメリカの理不尽な年次要求で進められてきた日本を弱体化させるための「改革」は、すべて新自由主義的なものです。いずれ具体例をきちんと調べなおしたいと思います。脱却を唱えた岸田さんが、その後何の手も打とうとしなかったことは言うまでもありません。 |
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多文化共生は世界各地で棲み分けながら行うべき |
こういうグローバリズムに対してなら、私の立場は明らかにナショナリズムであると言えます。日本語で言うなら、国家国民主義であると言いたいです。たとえ世界政府というものができたとしても、国境は大切で、それぞれの国がまずその国内をきちんと整えるべきだと思うのです。移民も安易に受け入れるべきではありません。今ヨーロッパの国々が、多文化共生の美名のもとに移民を多数受け入れて深刻な軋轢を生み、その反動で受け入れ拒否の風潮が広がりつつあります。なのに日本の政治家たちの多くは、そのことに極めて鈍感です。
多文化共生は世界各地で棲み分けながら行うべきであって、日本列島だけは日本人のものとして守り抜き、日本語と日本文化を最優先させるべきなのです。それをしても、冒頭の教えに少しも背くことにはならないと考えています。
それでは共生にならないではないかと言うかもしれませんが、外国人が移住地に溶け込まず、外国人のまま分断状態でいるということは、国が弱体化し、国益が損なわれるもとで、決して好ましいことではありません。受け入れはあくまで、溶け込める条件が整う範囲内で進めていくべきなのであります。その点、古来我が国は渡来人を上手に受け入れて同化してきました。たとえば、秦(はた)氏ユダヤ人起源説が本当であったとしても、もうすっかり溶け込んでしまっているではありませんか。
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日本の強さのもとが神話と皇室にあると結論づけたアメリカは |
その日本国民の一体感、結束の強さに最も大きく影響を及ぼしてきたのが、皇室の存在であることは言うまでもないでしょう。日本という国の国柄、文化の最も著しい特徴は、2千年前後続く世界最古の皇朝を中心に存続し、時に繁栄もしてきた国であるということです。
日清、日露の戦争に勝利し、敗れたとはいえ先の大戦でも日本軍が示した異様なまでの強さの根源はどこから来るのか、アメリカが戦前から研究しつくした結果たどり着いたのが、それは古事記、日本書紀に記録された日本神話、そして連綿と続く皇室と国民との強固な結びつきにあるということでした。
戦後、二度とアメリカに歯向かうことのないように、強い日本に戻らないように、GHQは徹底的な日本弱体化政策を推し進めました。それがまず神話教育を禁じることでした。『自国の神話や歴史を学ばなくなった民族は、100年以内に必ず滅びる』と歴史家のトインビーが言ったのを知ってか知らずか、恐らく知ってのことでしょう。また皇室と国民を離反させる策を講じたり、宮家を減らして、皇室が自然消滅する罠を仕掛けたりもしました。
そしてまた、日本人にだけ一方的な罪悪感を持たせるための洗脳工作を施したり、気付かれないように巧妙に言論統制や焚(ふん)書を行ったりしました。それが見事に功を奏して、影響はいまだに深刻に尾を引いています。 |
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この国柄は我々にとって果たしてどうなのか |
そこで今回は、皇室というものを持つ我が国の国柄について考えてみたいのです。天皇制という言葉を使わないのは、特定の政治的立場にある人たちが、非難の意味を込めて使う言葉だからです。
今回改めて、生まれつき我々が否応なしに組み込まれているこの国柄が、我々にとって幸せなのか不幸せなのか、嬉しいか嬉しくないか、好きか嫌いか、誇れるか誇れないか、大切にすべきかすべきでないかを端的に問い直してみようと思うのです。
近頃の歴史教科書を実際に見たわけではないのですが、建国神話を取り上げられてしまった教科書は、初代神武(じんむ)天皇からではなく、三国志の中の魏志倭人伝の卑弥呼(ひみこ)についての記述からはじまるそうです。GHQの占領がとっくに終わっても、いまだにそのままらしいです。日本の宝である古事記や日本書紀をことさら軽んじて、外国の史書のごく短い記述のみを有難がる風潮は、新しい歴史科書も出て少しは改まったのでしょうか。卑弥呼という表記には、素人でも想像がつくように、さげすむ意味がこもっているようです。我々が表記するときは、せめて日御子とでも書き改めてほしいです。
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神話時代が始まる前から、すでに1万年以上の歴史がある |
日本の皇室が世界最古の皇朝であると言っても、たかだか二千年に過ぎません。その前に千年ほど弥生時代というのがあり、さらにその前に縄文時代というのが一万年以上続いたことが分かってきています。
これが「縄文文明」と言っていいほど意外と高度な文明で、自然と調和を保ちながら、争いごともなく狩猟採取経済を続けてきたらしいのです。すごいことに、対人用の武器が一切出土しないらしいのです。争うようになったのは、弥生時代に入って農業を始めるようになってからであります。
日本人独特の心のあり様や独特の言語である日本語は、この一万年余りの間に培われ育まれたものだと思いたいのですが、確たる証拠はまだ見つかっていないようです。
近頃は遺伝子の解析が進んで、日本人の遺伝子に含まれる諸民族・部族の割合が明らかになってきました。縄文人や弥生人の遺伝子はもちろん持ってはいるものの、比率的には意外と低くて、大部分は外来の雑多な遺伝子らしいです。
歴史人口学というのがあるらしくて、各時代の人口の推移がある程度わかるらしいのです。縄文時代末期には、疫病か何かで人口が8万人ほどに減り、その頃から弥生時代が始まりました。そこから千年ほどかけて西暦200年頃には60万人に増えました。そこからまた古墳時代飛鳥(あすか)時代を経て奈良時代に至る5百年程の間に、4,5百万人になったといいます。
こういう増え方は自然増ではとても考えられないことで、土着の人々以上に大陸から移住してくる人の方が多かったということです。その数は百万単位に及ぶそうです。中には、その頃祖国を追われたユダヤ系の人々もかなり含まれていたらしいです。
それほど多数の人たちが渡来したにもかかわらず、土着の言葉も文化も失われなかったのは、それらの人たちが大集団で押しかけてきたり、攻め込んできたのではなく、千五百年かけて個々ばらばらに入ってきて、いろんな知識や技術ももたらしながら、従来の社会にうまく吸収され同化できたからです。それは今の外国人流入のペースよりはるかにゆるやかなのです。
今の日本を建国した皇室を含む部族の人たちもまた、言葉や神話の一部にユダヤの影響があるとはいえ、ちゃんと日本語を使い続け、古事記や日本書紀を日本語で書き記すことが出来たのです。
その建国神話を今も教えないということは、もはやGHQの策略にはまったせいというより、日本の歴史学者や文科省の怠慢であります。それのみか、政治家官僚言論界教育界全体の怠慢です。それが国家の存亡に関わるということへの認識不足なのです。知ってそうしているのなら、よほど日本が嫌いな人たちか、国家など邪魔でしかないグローバリストでしょう。 |
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第10代以後の天皇の実在が認められつつある |
ここまでが前置きで、いよいよ歴代天皇についての話に入りますが、初期の天皇の存在を疑う人たちにもいろいろあります。実在したのは第26代継体(けいたい)天皇以後だとか、21代雄略(ゆうりゃく)天皇以後だとか、16代仁徳(にんとく)天皇以後だとか、10代崇神(すじん)天皇以後だとか、実に様々な説があるそうです。
ところが最近、この桜井市内の纏向(まきむく)遺跡の発掘が進むにつれて、風向きが少し変わってきました。この地に宮を構えたと日本書紀に記述のある第10代崇神天皇、第11代垂仁(すいにん)天皇,第12代景行(けいこう)天皇の実在が有力視されるようになってきたのです。実在したとすれば、日本書紀の記述とはずれますが、3世紀から4世紀にかけてと考えられています。このお三方はここにおられる皆様とは最も縁の深い天皇ということになります。
景行天皇は、あの有名な日本武尊(やまとたけるのみこと)のお父さんです。となると、日本武尊も単に神話の英雄ではなく、歴史上の人物ということにもなってきます。これもすごいことです。私の住む大和高田市とは違って、桜井市は纏向遺跡をはじめ遺跡の宝庫です。近頃よく話題になる箸墓古墳まであるんですね。
桜井市内ではありませんが、崇神天皇陵と景行天皇陵とされる古墳が、柳本教会近くの山の辺の道沿いにあって、崇神天皇陵は私も訪れたことがあります。景行天皇陵は20万基以上ある墳墓の中で8番目、箸墓古墳は11番目の大きさだそうです。
垂仁天皇陵は少し遠くなりますが、奈良に向かう近鉄沿線の車窓からもみえるので、かえってなじみ深いです。天皇の命で日本に初めて柑橘類を持ち帰った田道間守(たじまもり)の墓というのも一緒についています。そこへも何度か行かせてもらいました。
実は、高3の時のクラスの遠足で訪れた先がここだったのですが(同時に薬師寺唐招提寺にも行ったと思います)、そのちょうど70年後、米寿を迎えた今年5月に、その時の生き残りが集まって、最後のクラス会をすることになっています。 |
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 仁徳天皇陵 |
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仁徳帝は古墳時代の頂点に立つ人物 |
古墳時代の天皇でただ一人取り上げるとしたら、やはり紀元4百年前後の第16代仁徳天皇ということになるでしょう。何しろ世界最大の墳墓の被葬者とされる人物です。戦前、戦中までなら、仁徳天皇といえば、民のかまどの煙の逸話をほとんど誰もが知っていたと思います。今はどうなんでしょう。皆さん知ってますか?(みんな首を振る)
要するに、民衆が困窮しているのを知って、租税や労役を3年間免除し、その間宮殿の雨漏りの修復も許さなかった。3年後経済が回復して諸国が課税の再開を要請したが、結局さらに3年、課税停止が延長されたというような話です。
嘘っぽい話だと思う人や、そんな仁政を布いた人に巨大墳墓はかえって似合わないと思う人もあるでしょう。民衆に過酷な労働を強いて作り上げた墳墓というイメージがあるからでしょう。しかし私はそのような偏った暗黒史観は採りません。むしろそこにその時代の人々の心意気のようなものを感じ取るのであります。
このような大工事は、ただ一人の為政者の思いつきや権力だけでなし得るものではありません。墳墓を企画設計し完成までにこぎつけるには、社会全体の技術力や財力や為政者に対する想いといった総合的な要素が必要になってきます。仁徳天皇の功績としては、大規模な田地開発や治水工事を行ったことがあげられていますが、それで蓄積された技術力や,聖帝とまであがめられた人望も、工事規模の雄大さとは決して無関係ではないと思うのです。天皇が生前から自分の墓の位置を百舌鳥の地に定めたという記録はあるのですが、規模まで指定したかどうかはわかりません。それを受けて周囲の人たちが企画し造成したのだとすれば。よほど尊敬される偉大な人物だったのでしょう。
そしてまた、この墳墓の築造に関わった人たちも、単に被葬者のみならず、自分たちが生きた証をもそこに刻み付けたいという意気込みを持っていたのではないでしょうか。こういうモニュメントを残すことに、大きな誇りを感じていたのではないかと思うのです。ちなみに、こういう墳墓の築造技術も、大陸起源ではなくユダヤ起源だそうです。
割合近くにあるのに、それほどの墳墓をうかつにも私はまだ訪ねたことがないので、できることなら一度は行ってみたいと思います。堺市役所の21階展望ロビーから、全景を見渡したいとも思います。その時はきっと、ご先祖たちの偉業が誇らしく思えるに違いありません。
近頃は、被葬者が確定できないということで、大仙(だいせん)古墳とも言っているらしいですが、確定できないからこそ私は仁徳陵でいいのだと思っています。この古墳の被葬者は、間違いなく古墳時代4百年間の頂点に位置する人物であったと考えていいと思うのです。だとしたらもう、仁徳帝以外に考えつきません。
その聖帝仁徳帝も、女性関係では皇后様の怒りを買い、いろいろと悩み苦労する様が日本書紀は包み隠さず記述されているらしいのが面白いです。その皇后さまの祖父がまた、昔のお札の肖像になった武内宿禰(たけのうちすくね)ときています。 |
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聖徳太子と天智、天武、持統の三帝が日本の基礎を作った |
その後のおよそ百年、7世紀の頃が飛鳥(あすか)時代ということになります。今の日本ができ始めたのがその半ばごろからです。「大化の改新ムシゴヒキ」、つまり西暦645年だと覚えさせられました。新しい制度を定めてそれを実施普及させることがいかに大変か、ということまでは教わりませんでした。想像もつきませんでした。関心も感動も湧きませんでした。そんなことは教えようがないのかもしれません。それが教えられるとしたら、よほどの名教師ということになるでしょう。多少なりとも想像がつくようになったのは、ずっと後になってからであります。
その改新も、すぐにどうかなったというのではなく、どうにか目鼻がつくまで50年以上かかっています。その困難を成し遂げたのが第38代天智(てんじ)天皇、第40代天武(てんむ)天皇、第41代持統(じとう)天皇であります。これらのお三方が今の日本の基礎を作ったのです。それに先立つ飛鳥初期の聖徳(しょうとく)太子を加えて4人としてもいいでしょう。
当時の日本は、朝鮮半島で百済(くだら)を助けようとしたのですが、白村江(はくすきのえ)の戦に敗れ、次はいつ唐・新羅から攻め込まれるかわからぬという存亡の危機にありました。それに対抗するために、国号を日本と改め、結束して、部族の集合体から強力な統一国家を作りあげる必要に迫られたのであります。愛国心というものが芽生えたのも、この頃からかもしれません。
そのために国防を強化し、法律を整備し、公地公民制を敷き、古事記日本書紀を編纂しようとしたのですが、どれ一つとして容易になし得ることではありません。詳しい説明は省きますが、それらの困難な事業を成し遂げるには、言わば、天智天皇が最初に土地を耕し、天武天皇が種を播き、持統天皇が大きく育てたのですが、収穫はまだその先まで待たねばならなかったのであります。
この齢までうかつなことに、持統天皇なんて、百人一首の「春過ぎて夏来にけらし白たへのころもおほすてふあまの香具山」の歌で、ようやく記憶されている程度の天皇様だと思っていたのですが、本当は日本国の成立存続にとって、とても重要な貢献をした方なのであります。
これも今頃知って驚いたことなのですが、持統天皇は実は天智天皇の娘で、しかも天智帝の弟である天武天皇のお妃だったのです。つまり叔父と姪の夫婦です。いまではもう法律的に不可能ですが、昔はそれに類することが格別珍しいことではなかったようです。
これだけの偉業を成し遂げたお三方が一組の兄弟父娘であったとは驚きですが、すべてのことが順調に進められたわけではありません。天智帝亡き後、天武帝の即位までの間に、これも説明は省きますが、壬申(じんしん)の乱という悲劇が介在しました。そのため持統帝は、夫の天武帝と共に、弟である大友皇子(おおとものおうじ)を相手に戦わねばならなかったのです(この大友皇子にも、明治になって初めて第39代弘文天皇の名が贈られましたが)。 |
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皇位を政治権力と切り離すことで皇室は続いた |
今回は古代の天皇についてしか語れませんでしたが、今回の一応の締めくくりとして、なぜ皇室が現代までの長期間にわたって存続し得たのか、について触れておきます。
主な理由として指摘されていますのは、政治権力と、天皇という地位が持つ権威を分けるようになったことです。その先鞭をつけた功労者が聖徳太子であります。有資格者でありながら自分は決して帝位につこうとせず、最初の女帝である第33代推古(すいこ)天皇の下で、摂政として政治の実務を担当し、大きな業績を残しました。
天智天皇もそれに倣おうとした形跡がありますが、二度も帝位につけた母親の第37代斉明(さいめい)天皇が崩御し、最後にやむを得ず自分が帝位につきました。
その後も天皇が時折実権を握ることはありましたが、皇位と政治権力との分離をほぼ決定的にしたのが、その約6百年後、鎌倉幕府の執権北条泰時だと言われています。後鳥羽上皇が起こした承久(じょうきゅう)の乱を鎮圧した後も、朝廷を敬う気持ちは変わらず、分離体制を強化するだけに止めました。数年前の大河ドラマでは、この人の役を坂口健太郎が演じていましたが、ほんとうに日本史上屈指の優れた武将政治家でした。 |
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役割が祈りに特化することで皇室は続いた |
政治の実権を持たないからといって、天皇はただの飾り物だったかというと、必ずしもそうではないようです。不思議と軽んじられることはなかったのです。独特の存在感をもって敬われ続けましたし、今もそうです。
日本人は無宗教だとよく言われますが、信仰心がないわけではありません。神社や祠というのは、日本中至るところにあります。特定の宗教によらない自然発生的な礼拝施設です。そこに日本人の紛れもない宗教心がよく表れているのです。後にそれは神道と名付けられるようになりました。日本人が皇室を敬う心は、そういう神社を生み出した心に通じるものがありそうに思います。
そういう日本人の宗教性が、国家の中枢にも宗教性と言うか、精神的な拠り所を求めたのだと思います。国家の中枢を担うには、単に力を背景にした権力者ではだめなのです。そういう宗教性を求める心が、今あるような皇室を求め存続させました。武力で権力を手にした歴代武家政権もそのことはちゃんと自覚していて、あえて朝廷を廃そうとも、天皇にとって代わろうともしなかったのであります。
皇室もまたその要求に応えて存続してきました。すなわち、宮中祭祀を執り行うことが天皇の一番大切な役割だとみなすようになったのであります。言い換えるなら、皇室の役割が「祈り」に特化するようになっていったのです。国家の命運を担う宮中祭祀の祭主として、敬われ重視され続けたのであります。
「皇室は祈りでありたい」とは、今の上皇后さまのお言葉だそうです。このお言葉は単なる偶然ではなく必然です。古来の日本人の心が、魂が、皇室を皇室たらしめているのです。だからこそ、こういう政体のもとで日本人は最も心の安定を保つことが出来、力を発揮でき、団結することもできるのです。言い換えるなら、皇室制度は、この日本の風土から、日本人が主体的に求め生み出した制度でもあります。だからこそ続いたのです。だからこそ誇らしいのです。
そのことを知っていたGHQは、皇室と国民を遠ざけるワナをいろいろと仕掛けました。日本古来の信仰に関して学校で教えることも禁じました。うろ覚えですが「神だな」と題する教科書の中の文章に、墨を塗らされたような記憶があります。
それらの効果はてき面で、皇室に反感を持たぬまでも無関心な人が増え、国に誇りを持てぬ人も増えました。そんなGHQや、その意図を忠実に受け継ぐ人たちの企みを跳ね返して、もっと多くの人に、日本人としての自信と誇りを取り戻してほしいと切願します。
できることなら次回は、古代以後から現代に至る皇室の歩みを振り返りつつ、このことをもう一度考え直してみたいと思います。 |
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 仁徳天皇陵にて R7.4.8 |
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談話室より |
S.Sさん(男 60代 海外在住)R7.4月
桜井教会の周りは天皇家の古墳があるんですね。流石歴史のある奈良県。外国人観光客が押し寄せるのも至極当然。笑い。
以下思ったことです。
金光様は政治に関しては争わない姿勢が基本なので、グローバリズム、反グローバリズムどちらにも与さなかったと思います。
金光様は実生活で苦労されたのと性格もあり、左にも右にも行かず道の真ん中を歩いたと思われます。
教典に、天照大神も元は人、その続きの天子様も人じゃのうという箇所がありますが、あの天皇制の時代によく思い切って言われたと思っています。迂闊に言うと大本教のように弾圧の対象になった可能性があります。
教会長より
「天子様も人」発言があったとしても、教祖様の皇室観は極めて穏健なものであっただろうことは容易に想像がつきます。ところがその後を受けた人たちが旧教典にあの神誡第1条を掲げて、「信忠孝一本の道」として教団としての認可をとり、布教を始めてしまったことが、戦後は逆に大きな足枷となって、普遍的な世界宗教を目指す布教者たちを悩ませることになりました。
しかし、それとは別に、この日本の国柄をもっともっと肯定的に受け止めておきたいという思いがあって今回の話になりました。
私自身にも偏りを避けたいという気持ちは十分にあるつもりですが、今回の主旨はグローバリズムか反グローバリズムかということではなく、今の国民が意図的に刷り込まれた皇室観のままでは、或いは皇室愛までもが意図的に奪われた状態のままでは、国が滅びかねないという強い危機感なのです。国が滅びてしまったのでは、グローバリズムもナショナリズムもあったものではないのですから。
M.O2さん(男 教会長の弟 84歳) R7.4.月
大学時代の親友に、「自分が生きているうちに、日本が軍国主義化するのは見たくない」と反戦平和運動に没頭する男がいる。個人的には非常に優秀で誠実で心優しい男である。その彼に「中国軍高官が『40年後には日本と言う国は無くなっている』と発言していたよ。これは彼等の本音であろう」と告げたところ、「我々が中国発展のために、誠心誠意頑張ったのは何だったのだろう」と嘆いていた。15年前の話である。
彼は現役時代、大手の金属工業で技術開発を主導し、中国にも積極的に技術教示してきたのであろう。彼とはロシアによるウクライナ侵攻を語らったことはないが、未だに反戦運動は続けている模様である。戦後教育の染み付いた老世代をどうするか、先日ある老婦人と政治家の信頼性を語らった時、「この荒波を乗り切る舵取りができるんなら、女癖が悪い男なら、それは奥さんだけが我慢すればいいんだ!」。成程!頼もしい!
自主防衛・教育・研究投資を拡大するには、消費税増税と、社会福祉・医療の抑制は、国民の覚悟である。財政赤字に関する見解は過去(2022/10/16)に述べたので割愛するが、赤字国債に頼るのはもっての外、「紙幣は刷り得」なんて許されない。
最新DNA研究によると、縄文人の系統は、ホモサピエンスの先遣隊として東南アジアから日本に分布したが、後から来た民族に殆んど滅ぼされ、日本に到達した集団だけが、氷河期終了後の孤島化で生き延び、1万2千年間縄文人として繁栄した。3千年前から徐々に稲作民族が流入してきたが、初期は稲作技術が拙く、豊かな採取生活に飲み込まれて消滅し、その後更に高度な稲作技術を持つ民族が継続的に流入し、原住民に同化しつつ稲作も定着することで、弥生人が形成されていったと考えられる。しかし限られた水田適地や、水利権、長期保存可能な作物が争奪の対象になって、ここに争乱が始まったとも考えられる。
何れにしても、日本人は、多くの外来種を受容して、縄文文化を基調に、独自の文化を創り出して来たと言える。今後も受容同化するには、宗教は何とかしなければ!一神教の弊害は何とかしなければ、体力が低下した時に暴れ出す、悪性ウィルスである。
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教会長より
日本人の大多数は、まだGHQの洗脳工作から抜け出せていない。そのくせ自分の頭でちゃんと考えていると思い込んでいる。当然の前提として受け入れている考えがデタラメなものだから、何を考えてもピント外れになる。反戦平和主義もその典型である。
財政についての考えは、相変わらず財務省のプロパガンダそのままやね。しかも、金本位制の貨幣観をまだ引きずっているようだ。
不換紙幣制度において貨幣の価値を保証するのは、国民相互の信頼と需要と供給の均衡のみである。しかし、金銀よりもこちらの方かかえって実質的である。金銀など本当の非常時には実質的に何の保証にもならない。
真に実質的に貨幣の価値を保証できるのは「供給能力」以外にない。私に言わせれば、それには常に「必要不可欠な財やサービスの」という枕詞がつきまとうのである。しかもそれは固定したものではないから、その時々にとって必要不可欠な財やサービスとは何かを考え続けるしかないのである。
そういう不換貨幣制度にとって、国債は極めて有効な物価の調整弁となる。デフレの折には、国債を日銀が買い上げ、予算化して市中にもっと供給すればよいのである。それをしないからデフレが続くのである。今のインフレは輸入物資が高騰して物価が上昇しただけの最も悪質なもので、実質的にはデフレのままである。
日銀が買い上げた分の国債までが国民の借金である、つまり赤字国債であるというのは完全なウソで、財務省も承知でついている大嘘である。今の貨幣制度において、物価調整のために市中に供給された紙幣は、まさに「刷り得」であって、しかも得をするのは国民なのである。
一神教にもいろいろあり、排他性独善性の強いものばかりではないが、日本化にはなかなか時間がかかりそうだ。日本のキリスト教はかなり日本化しているらしいが、イスラム教はどうかな。
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