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金光教高田教会、「血脈」を生んだ霊現象
33君は神に祈ったか
大和高田市 宗教法人 金光教高田教会|祈り、救いを求め、自分に正直に生きる。
もくじ
▲ 「君は神様に祈ったか?」との言葉に社員が奮起
▲ とことんやり抜いてなお力及ばぬという情況は、神信心の原点の一つ 
▲ 我々の流儀は、何をするにもまず祈ってからということではあるが
▲ 前回、二つのことを重点的にお願いしたら早速聞き入れられた
▲ その後も同じ状態が続いている 
▲ またしても、神様は生きて働いてござると実感 
▲ そこに更におかげの上塗り 
▲ 30年目にはじめて関心を示してくれる人が現れた
○  Sさんのプロフィール
○  そんなSさんに尋ねてみた
▲ 人間はみな、生まれる時に約束をしてきている
▲ 平穏無事が一番のおかげ
▲ こういうことは、不思議とつながっていく
平成三十年三月二十二日 奈良県 桜井教会にて
「君は神様に祈ったか?」との言葉に社員が奮起
 今私が購読する新聞に、京セラの創業者である稲盛和夫氏の伝記が連載されています。この会社は稲盛氏一代で幅広い事業を営む大企業に成長しましだが、出発点はセラミックスの製造でした。セラミックスというのは、もともとは陶磁器を意味しましたが、今は人工の材料を焼き固めて様々な特性を持たせた製品をも指すらしいです。
 今では高度な機能を持つ機械や器具に欠かせないセラミックスですが、その用途に合わせた優れた部品を、卓越した研究心と指導力とで次々と生み出していったのが、稲盛氏でありました。氏はどんな難しい注文でもひるまずに引き受け、驚異的な頑張りで、課題を次々と解決しては業績を伸ばしていきました。
 あるとき外国のある会社から難しい注文を受け、色々と試してみましたがどうしても解決策がみつかりません。万策尽きて肩を震わせて涙ぐむ担当者に、稲森氏はこう言葉をかけたといいます。
「君は神様に祈ったか?」と。
 その言葉に奮起した部下達は、更に頑張って見事製品を完成させました。そのことが伝説となって、何があっても諦めない社風ができあがっていったというのです。
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とことんやり抜いてなお力及ばぬという情況は、神信心の原点の一つ
 確かに、そういう場面でのそういう言葉には、その人達が神様を信じていたかどうかに関わりなく、また、実際に祈ったかどうかにも関わりなく、人を感動させ奮い立たせる力があったのだろうと思われます。
 そういう情況、つまり人間の力でとことん真剣にやり抜いて、なお力及ばぬというような情況は、人の心を人智を超えた偉大な力に向かわせる、神信心の原点の一つとなり得る情況であります。
 そんな場面で稲盛氏が、どこの何教の神様というのでもなく、ただ人智を超えた偉大なる存在にすがってでも事を成し遂げようとしていたとき、その職場は、そのままで崇高で神聖な場所と化していたのかもしれません。だからこそ、伝説にもなり得たのであろうと思うのです。
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我々の流儀は、何をするにもまず祈ってからということではあるが
 翻って考えてみまするに,私共の信心の流儀は、やれることをとことんやり尽くした上で祈るというのではなく、何事をなすにもまず祈ってから、そしてつねに祈りを込めながらさせていただくということであります。
 それができるというのはとても素晴らしいこと,有難いことではあります。しかしながら、お互い、その日々の営みにどれほどの感動や喜びを伴っているのか、どれほどの理想とか執念とか熱意とかが込められているのか、そしてどれほどの実績をあげさせてもらえたのか、ということなどへの反省はつねにいると思うのです。
 そういう信心、そういう生き方によって,我々は我々なりに救われ、幸せを得て来てはいます。しかし、社会に対する貢献度、影響力となりますと、まだまだ微々たるもので、将来もっともっと世の中に大きく貢献できる人たち、社会を変える力を持った人たちが、我々の中からどんどん出てきてほしいと願わずにおれません。
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前回、二つのことを重点的にお願いしたら早速聞き入れられた
 と願いはするものの、一足飛びにそんな目標を達成できる手段も近道もないわけで、私は私で、辛気くさくても今できることを地道に続けていくしかないのです。
 前回、昨年9月にここで話をさせて頂いた時に、二つのことを重点的にお願いしたら早速聞き入れて下さった、という話をさせていただきました。
 その一つは、ホームページに載せさせて頂いている私の話が、真に私を理解し支持し必要として下さる人達の目にとまりますようにという、ちょっと身勝手とも言える願いと、二つ目は、ここでの話が元気の出る話で締めくくれますよう、その材料を頂かせて下さいという願いでありました。
 これは私の主観的な受け止め方に過ぎない、と言われればそれまでなのですが、神様はこの私の二つの願いに対して、とにもかくにも、アクセス数(訪問者数)の急激な増加という形で応えて下さった、というふうに私は受け止めて、そのように話をさせて頂いたのです。
 増えた人数分の人達が、はたして「真に私を理解し支持し必要として下さる人達」なのかどうかは、直接声をかけて下さらない限り、確かめようがありません。たとえ共感を覚えたとしても、余程のことがない限り、直接声をかける気にまでなってもらえないだろうというのは、私自身がそういうタイプの人間なので、よく理解できるのであります。
 いずれにせよ、お願いしたことによってアクセス数が増えたことだけは確かなので、私自身にとりましては、それは大いに元気の出るできごとでした。聴いて下さる皆さんまで元気の出る話であったかどうかは別としまして…。
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その後も同じ状態が続いている
 そういうお願いをし始めたのが8月の末か9月の初め頃でしたので、前回ここでは、二十日間程の間の出来事として聴いていただいたのですが、その後の経過を少し報告しておきたいと思います。
 最終的に9月のアクセス数は、3年半ぶりに2千を超えることができました。その後も、今年の2月までの5ヶ月間、ずっと2千を超える状態が続いています。
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またしても、神様は生きて働いてござると実感
 それと、こんなこともありました。
  ここで話させてもらったことは、いつも後で文書化して、当方の信者さんや、身内や、ごく一部の友人知人に配布することにしています。前回の話も、一応元気の出る話で締めくくることができはしたものの、折角訪問者数が増えたのだから、未知の人からの直接の反響が一つでもあれば、なおのこと有難さが増すのにと思いました。そして、できればそのことも書き加えて配布したいと思い、そうお願いすることにしました。
  しかし、そんなに都合のいいことは、願えども願えども一向に“験”がありません。10月10日頃、大祭通知と一緒に信者さんに配布する文書を、もう印刷しなければならぬというタイムリミットが来てしまったので、とりあえず10部だけ印刷して、参拝者に手渡しできるようにしました。

  それでもまだ諦めきれず、なおもひとしきりお願いして、神前から下がってパソコンをのぞきますと、シンガポール在住の未知の男性から一通のメールが舞い込んでいました。またしても、神様は生きて働いてござる、と実感できた瞬間でありました。
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そこに更におかげの上塗り
 それだけでもスゴイと思いましたのに、そこに更におかげの上塗りをして下さるかのように、そのメールの内容が、まだ公表もしていない前回の話の内容にぴったりと合うものだったのです。
 と言いますのは、かねてからの私の持論で、前回でも取り上げました教祖様の信心の4つの特徴説について、賛同の意を表して下さる主旨のメールだったのです。
 つまり,教祖様の説かれた信心をつきつめると①時間と場所と施設を問わず、いつでもどこでもできる信心、②連れのいらぬ、一人でもできる信心、③金も物もいらぬ、素手でできる信心、④特定の儀式儀礼にこだわらぬ、形にとらわれぬ信心、ということになるという説ですが、実は6年あまり前にも、「次世代に手渡したい信心」という表題の話の中でそのことを取り上げていたのです。それをその男性が、ホームページで読んでメールを下さったというわけであります。
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30年目にはじめて関心を示してくれる人が現れた
 私の話というのは、いつも同じようなことばかりを、つまりは自分の信心の基本になっている考えを、順繰りに手を変え品を変えしながら,その都度新たな気持ちで話させてもらっているに過ぎません。またそうすることが大事なのだとも考えています。違うことばかりを話していたのでは、結局大事な基本が身につかないのです。目新しい部分と変わらない部分と,両方が必要なのだと言えます。
 この4つの特徴という考えを打ち出した一番古い記録として残っているのは、平成2年、およそ30年前まで遡ることが出来ます。「究極の信心」という題で、親教会で話したものが、平成3年に出した「あしあと」という本の中に収録されているのです。
 改めて読み返してみますと、もう忘れている部分もあって、その分新しい気持ちで読み返せました。こんな信心が普及したら、自分は無用の存在になってしまうかもしれないという矛盾を抱え込むことになるが、それでも言わずにおれないのだとか、そんな究極の信心の体現者として、ソクラテスが思い浮かぶとか、その後言った覚えがないようなことも色々と言っていますので、これを機会にホームページに掲載してみようかとも思います。
 それ以来30年近く、わずかに表現を変えた部分はありますものの、そのままの主張を続けてきて、誰からも賛成も反対もされませんでした。要するに顧みられることがなかったのでありますが、ここに来て初めて、しかもこんなに劇的な形で関心を示して下さる方があらわれたというわけであります。
 早速そのことを付記という形で文書に新たに書き加えて印刷することにしました。最初に刷った10部も、まだ誰にも手渡していなかったので、ホッチキスを外して最後のページだけを差し替えたのですが、その作業も有難い気持ちばかりで、全く煩わしいという気が起こりませんでした。
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○ Sさんのプロフィール
 その後、その男性、Sさんとのメールの遣り取りは今も続いていますので、ご本人のお許しを得て、わかってきたその方のプロフィールや遣り取りの内容の一端を紹介させて頂くことにします。
 Sさんの在籍教会は玉水系のある教会で、信心は三代目とのことです。
 慶應義塾を出てさる大企業に就職され、一時ロンドンに勤務、更に大手の会社に転職なさり、シンガポール、香港、東京などの間を、何度も移動を繰り返しながら30年近く勤務なさったという経歴は、普通の人から見れば、エリートコースを歩んで来られたと言えるでしょう。
 60歳を過ぎて、今は仕事を離れて、奥さんと子供二人と共にシンガポールに居住しておられます。奥さんはシンガポール人で専業主婦、長男さんは現地で働き、次男さんは現地の大学で学んでおられます。普段の会話は奥さんとは英語、子供さん二人とは日本語だそうです。  その年齢での外国人にとって、就職が極めて困難な現地において、家事を扶けながら、これからの生き方を模索しておられる様子です。
 本国でお参りしておられる教会へはメールでお取次を頂かれますが、普段の信心生活は、私が「究極の信心」として列挙したような形にならざるを得ません。添付して下さった写真をみると、やはり部屋の一隅に立てかけた天地書附を目当てに拝んでおられるようです。
 大変な読書家で、教内の出版物についても、平均的なお道の先生よりは、遙かに精通しておられます。死生観にも私と話が通じるところがあり、私がホームページで取り上げている佐藤愛子さんの本や、森下典子という人の「前世への冒険」という本も、とっくに眼を通しておられたのには驚きました。「めぐりのお取り払い」ということについても、ご自分なりの見識を持っておられます。
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○ そんなSさんに尋ねてみた
 ここで話をさせてもらうにあたって、そんなSさんに尋ねてみました。
 「貴方がこれまで信心してこられて、一番有難いと思われるのは、どういうことでしょうか。或いは、これまで体験されて皆さんに披露してもいいような“おかげ話”とかエピソードとかはないでしょうか。教えて頂けると有難いのですが…」
 すると打てば響くように、数時間後に次のような返信が返って来ましたので、そのまま披露させて頂きます。

 「一番ありがたいこと:
 子供のときから病気がち、喘息、胃潰瘍、吐血、下血、肝炎などを経験しましたので、日々健康なのが一番だと思っています。今、軽度の前立腺の問題や少し気管支炎気味ですが、仕事に行かなくてもいいので支障はありません。

 子供が24歳、22歳まで成長できたことや暖かいシンガポールに今家族と共にいるのがありがたいと思います。

 周りの人から見たら平凡なおかげかもしれませんが、『何にも事がなく一日が静かに過ぎていく』のが大御影だと思っています。また、困ったときに頼むところがある、教祖金光様と天地金乃神様へ直接、教会へメイルでお願いができるというのもありがたいことだと思います。

 これだと話をするエピソードがあまりないですが、めぐり10周年周期は実体験しています。
 私の場合、ものの見事に17歳、27歳、37歳、47歳、57歳で問題が起き、その後約1-3年で立ち直り、災い転じて福となすのおかげを受けています。不可能な場合は思いわけ。

 17歳、胃潰瘍、十二指腸潰瘍で下血、吐血。輸血が問題で肝炎になりました。  ただ、このおかげで入院や自宅療養もあり、英語の勉強に集中できました。これが将来役立ちます。

 27歳、イギリス赴任直後に胃潰瘍で下血。輸血。人事は帰国も考えたようですが、結局3年間居てビジネス英語や国際環境での仕事の仕方がうまくなりました。

 37歳、シンガポールから日本に人事異動。資産運用の仕事かと思ったらいきなりきつい営業でした。転職活動もしましたがうまくいかず暗い生活でした。ただしその後、会社が合併して結果的に資産運用のど真ん中に入ることができました。

 47歳、上司と折り合いが悪く、日本に帰国命令。東京の資産運用のチームにいましたが運用するファンドもなく心は焦るばかりでした。また、昔の部下が上司になりました(サラリーマンの世界ではよくあることですが)。ただし、一年後にファンド設立成功のおかげ。会社も相当利益を上げました。57歳まで主担当を務めることができ、シンガポールにも戻れました。 57.5歳、東京本社の役員の一部の方たちと意見があわず退社。次にどうしようかと思っているときに、肝炎を治す新薬ができ、厚生労働省が認可。失業中なので副作用を気にせず薬を服用でき、40年ぶりに完治できました。老化すると慢性肝炎は肝硬変になる危ない病気です。
 その後、おかげで別の会社に再就職しています。そしてほぼ定年で退職。

 大きな車輪に傷があり、10年周期でガタッとなります。ある人が『めぐりの周期がもっと短い人もいるよ』と言っていましたので、ケースバイケースだと思いますが。

 湯川先生がめぐりのお取り払いを、緋牡丹の時代と比べて唐辛子の時代と言っています。また、二代白神先生が7,8,9の年に苦難ありとも言っています。何らかの周期があるように思います。

 長々書きましたが、お役に立てれば。」

 という内容で、困難に出会うたびにそれをおかげにしてこられた様がうかがえます。私自身は、めぐりの周期ということを全く意識せずに来てしまいましたが、聴かれた人の中には、思い当たるふしのある方もおられるかもしれませんね。
 いずれにしましても、近藤藤守師の伝えに、
 「信心する人は、めぐりを取り払ってもらっているのであるが、信心せず、うかうかと暮らす人は、めぐりを積んでいるのである。」
 とありますように、信心さしていただくということは、ほんとうに有難いことなのであります。
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人間はみな、生まれる時に約束をしてきている
 しかし、めぐりについてのこうした教えは、昭和58年の新教典刊行以前は、科学的な説明や解釈がむつかしいので、あまり公にはされていなかったように思います。
 そういう話になると、前世とか、先の世とかがからんできますので、教祖様でさえ、よほど信頼の置ける信者にしかなさらなかったといいます。
 人が背負って生まれてくる運命やめぐりということについて、津川治雄師の次のような伝えは、私が新教典刊行以後に初めて知ることが出来た、数少ない貴重な教えであります。

 「人間は、生まれるときに証文を書いてきているようなものである。生まれたといったら、その時に悔やみを言いに行ってもよい。それくらいのものである。どういう災難があるとか、こういう不幸せがあるとかいうことは、決まっているのである。神様はよくご承知なのである。信心を強くすれば、大厄は小厄にしてくださり、小厄はお取り払いくださるのである。それが、おくり合わせをいただくということである。」

 こうも言っておられます。
 「人間はみな、生まれる時に約束をしてきているのである。だから、家族が一人よりは二人、二人より三人、三人よりは五人と大勢いるほど、家庭の中に種々の難儀がある。幸いに信心をしていると、まあ、それを除いていただくのであるが、下地(生まれつき)の約束であるから、また、こういうことが起きたというようなことが出てくるかも知れない。その時に、これほど信心するのに、なぜこういうことが出てくるのだろうかと思えば、もう信心はとまっている。これはまだ私の信心が足らないのだと思い、これはどこまでも私の勤めるべき役であると思って、信心をしていかなければならない。そこからおかげがいただける。これほど信心するのにと思えば、もう、それきり信心の筋はとまっているのである。」

 私自身は、たとえ科学的合理的な説明ができなくても、信仰的には、もっと踏み込んで信じてもいいのではないか、信じるべきではないかと考えています。そういう話も踏み込んでできる数少ない仲間として、神様はSさんを選んで私に差し向けてくださったのではないかと思うくらいです。
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平穏無事が一番のおかげ
 もう一つ、Sさんからのメールの最初の部分、健康と平穏無事が一番のおかげと言われる気持ちの方は、多くの人が共感できるのではないかと思います。新聞の川柳のある日の一句に「いつもの朝いつもの景色ありがとう」というのが選ばれていました。そのようなことに有難うを言える人は、本当にわかっている人、救われている人です。もしくは、そこから救われていく人、おかげを受けられる人だと思います。
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こういうことは、不思議とつながっていく
 それにしても。有難い世の中になったものです(手放しでは喜べないにしても)。どんなに距離が離れていても、メールというのは一瞬にして届くのですね。しかも無料で…。
 シンガポールについて、私はこれまで無関心で、ほとんど何も知らないに等しかったので、初めて知った最低限の知識もお伝えしておきますと、
 正式には、シンガポール共和国、マレー半島南端の都市国家です。マレーシアとインドネシアに囲まれ、東京都とほぼ同じ面積ですが、赤道直下で高温多湿、ダニの駆除がたいへんらしいです。そこに日本人も2万5千人が暮らしているそうです。
 そういう折も折、長女が友達とシンガポールに行ってきたと言って、スマホに撮った観光スポットの写真をいろいろと見せてくれました。ユングという人が唱えた「同時性」とでもいうのでしょうか、こういうことは、不思議とつながっていくものなんですね。

 今回は、稲盛和夫氏の言葉から話を始めましたので、稲盛氏の信仰についても、ネットでちょっとだけ調べてみたのですが、若い頃、成長の家の本に大きな影響を受けられたとか、禅宗の修行をされたことがあるとか、正月には欠かさず近所の氏神様にお参りされるとか、信仰心の厚い方であることは確かなようです。そして、経営理念そのものが、宗教的であることで知られた方のようです。
 そして今回に限り、話のタイトルは、内容はどうであれ余程のことがない限り「君は神に祈ったか」で決まりだ、と思いつつ準備に取りかからせて頂いたのですが、Sさんの手助けも頂いて、何とか一話にまとめさせて頂くことができました。
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談話室
 坊っちゃん(男40代) H.30.5.6
 「君は神様に祈ったか?」、基本に立ち返らせて頂ける、シンプルないい言葉だなと思いました。
 仕事であれ、日常のことであれ、何か行き詰まったときには、ついつい私たちは、「どうしたらいいんだろう?!」と、ただただ悩むばかりで、なかなか前に進めないことがあります。
 しかしながら、先生も書いておられますように、「何事をなすにもまず祈ってから、そしてつねに祈りを込めながらさせていただく」、ということの大切さを忘れてはいけないなと思いました。
 実意を込めて丁寧に、心にあるがままを祈らせて頂き、心配事は神様にお預けして、そのときどきにおいて、させて頂けることを丁寧にさせて頂く。
 あとは、神様におまかせする。
 TBSテレビの「アッコにおまかせ~!」ではなくて(笑)、「神様におまかせ~!」といったところでしょうか(笑)?
 『自分でする』というよりは『神様にさせて頂く』という姿勢。
 私自身、ついつい忘れがちになってしまいそうなその基本姿勢を、「君は神様に祈ったか?」と、シンプルに、日々、自身に問い掛け続けたいと思います。

 教会長より
 「坊っちゃん」健在を示すメール有難うございます。
 一人一人が背負う運命、背負う苦労はみな違いますが、神様に祈り続けさえすれば、そこから運勢が好転していくことだけは確かだと言えます。
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